本日もまた来てしまった。
広島駅弁当 広島名物牡蠣の弁当と言えばしゃもじかきめしがありますが、こちら内容はほぼ同じか、通常の駅弁タイプなだけお得感が。牡蠣の身もまざった御飯にカキフライなど、牡蠣好きとしては避けて通るわけにはいかないのであります。
1150円/
松川弁当店 米沢駅の駅弁屋さんは2件ありますが、いずれも毎回のように新作を発表してきます。今回はハラミ肉とは今まで駅弁に使われたことがなさそうな部位を持ってきました。ハラミステーキとサイコロステーキの組み合わせで洋風な仕上がりです。
一文字家 宍道湖と言えばしじみですが、さらに鯖、堺港水揚げの蟹とのお弁当です。
休み中に「どうでしょう」を見直したりしていたんだが、そこで作りたくなってしまった。いや本来作りたくなるメニューではないはずなのだが。
という訳でオーロラな味になった…か?
ミートソースにあらず、ボローニャの風を感じてくれぃ。
外食が成功する秘訣は「しばらく食べていないと無性に食べたくなる」という麻薬性にあるのではないか、と最近思うようになっているのだが、本日の昼食はそんな味の一つであるサリサリのカレーを食べに。
なお写真はこの店カレー以外の唯一のメニューのデザートである。
で、しばらくしていると向かいの席に女性二人組が、姿を見るとどうやらロードサイクルをやっているようで(後で見たら店の前に自転車がつながれていた)、さらに背格好から中学生ぐらいか?と思ったのだが会話からどうやら社会人のようだ。さて、その程度だったらわざわざ日記に記録したりしない。
どうやら片割れが、
職業マンガアシスタントなのだそうだ。そして、この後、市内の自転車屋に広告のカットを描く打ち合わせに行くのだそうだ。
さて、彼女がアシをやっている漫画家は誰なのか?一人真っ先に思いついた人がいるが違うだろうな。なお、目の前に出されたカレーを何らかのSNSに投稿していたようだったので後から検索かけてみたが引っかからなった、残念。
まだ多少調子は良くないのだが折角の休日に寝てばかりもいられないので外出。なお本日はるぅ嬢とは別行動。
まずは腹ごしらえで、前にも寄ったイツワ製麺所へ。
前回はつけ麺だったので今回は普通に醤油ラーメン。ウム、こちらもいける。相変わらず麺の味が違います。
鉄資料収集。
夕飯は何となくベトナム料理な気分で商店街の
ウィンズへ。うまうま。
今年もやって来た、この季節が!! …が、例年であれば初日は開店前から並ぶところであるが、前述の如く体調が悪いので今年は業務が終わってから参加。
…で、会場内で行列に並んでいるとテレビカメラとどうやら取材に訪れたらしいタレント二人組が… 漫才のナイツじゃないか!
で、カメラが回っている間はギャグを飛ばしたりしていたが、終了したら途端に表情が変わっていたのが印象に残ってしまった。
なお、後日放送されたものを見たが、クマ登場シーンは見事にカットされていた(笑) さて、それでは本日の成果。
清雅荘 あの、現地でも買えるかどうかわからないとまで言われた幻の久慈駅のうに弁当がここに登場!まさか駅弁大会で食べられるとは思わなかった。
見よこのたっぷりと敷き詰められたうにを!
…なお大会ではうには海外産だったようだ。まぁそりゃそうだな、あれだけの量はさばけまい。やはり現地に行って食べねばなるまいか。
花善 大館の鶏飯が実演販売していると言うだけでありがたいのだが、今回は昔販売していた桶飯タイプを販売。何でも当時は好評だったが桶を作る金型が壊れて販売を止めたんだそうだ。
ご飯は現在の鶏飯とは味付けが違っていたそうでそれを再現、鶏はおなじみ甘辛煮。付け合わせの蒲鉾も当時のものを蒲鉾屋さんに再現してもらったんだそうな。掛け紙も当時のものを復刻、まだ鉄道が移動の主役であった昭和の雰囲気を感じさせます。
神尾弁当 のどぐろは赤むつという魚だが喉が黒いからのどぐろと呼ぶそうで、新潟のは冬場が旬のようで脂がのってうまいらしいぞ。
本来なら「正月料理が続いたところで」というところだが、どちらかというと今の体調に合っていると言うべきか。
という訳でお粥を作って七草の方はフリーズドライである。
今年初出勤。…一体何人から「インフルだって?」とか聞かれたやら。
ただまぁ風邪のせいだか正月ぼけだか解らないがぼーっとしているので来客だけ捌いて早々に退散。
…なのだが、体調回復せず休むことに。
そもそもやる気が起きないというのもあったかも知れんが。
ともかく、午前中はかかりつけの医者へ。症状を話すと真っ先にインフルエンザを疑われたが「しかし熱が高くなっていないからなぁ」と、一応検査薬を…鼻の穴に突っ込まれる。結果陰性。
薬を処方してもらい寝ることに。…夜には大分回復したからやはり医者の薬は効くものである。
結局、一日寝ていた。
昨日外出したのが悪かったのか再び体調を崩すことに。という訳で一日寝込みつつ年末の収穫などを読みふけるのであった。
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