最終面に私の履歴書という連載がありまして、最終面に掲載されているので、日経取ってない人でも電車内で座っていると前に立っている人が日経広げているといやでも目に入ってくるものですが(ヲイ)
昨日までライオンズなどの監督を歴任した広岡氏が連載しておりました。
そこで気になるのがやはり’95~96のマリーンズGM時代をどのように考えているか。当時はやっとメージャーと同様、フロントと現場の役割分担ができ、GMを中心としたチーム作りが始まると期待したものです。
…だったのですが、記事内容は「監督としてバレンタインを連れてきたが、選手をメジャーと同様完成された選手として扱う監督とげエーム前にも練習を課すGM以下日本人スタッフと考えが合わなかった」という、ほぼ今までにも伝えられているな事だけでした。
さて、95年といえばマリーンズが万年Bクラスから二位へ躍進した年、これについて氏は「現場に介入するようになってから成績が上昇した」としています。実際その効果はあったのでしょう。
しかし監督は去った、これについては「調子が悪い選手にコーチの指導をさせず休ませた、コーチスタッフからやってられないといった声があった」といった事を書いています。
だが、ファンは圧倒的に監督を支持した。もし第二次政権がなかったらそれこそ「夢のような一年だった」となっていたでしょう。「野球が変わった」と思った、それ程印象深いものであったのです。
翌年、GMも辞めさせられた。あの時、実際にはどうすればよかったのか。
95年にGMを切って監督を続投させるべきだったのではないか。そうでなかったのならGMをさらに5年は続けてもらうべきだったのでは。
どちらにしてもその後の野球が変わったろうに、結局はどっちつかずの中途半端に終わってしまったのが残念な出来事でした。