陸羽東線

最終更新日2012.02.04.


● 基本データ

 陸羽東線(りくうとうせん)は、東北本線の小牛田(こごた)駅から奥羽本線の新庄駅までを結ぶJR東日本のローカル線(地方交通線)である。
 太平洋-日本海の横断線の1つとして、「宮城県下石ノ巻ヨリ小牛田ヲ経テ山形県下舟形町ニ至ル鉄道」と明治25(1892)年6月21日公布の「鉄道敷設法」に規定された。しかし、建設はすぐにはじまらず、まず地元の方で石巻-舟形(新庄の南付近)間の建設が明治39(1906)年に計画された。そのうち、小牛田-新庄間を「鉄道敷設法」の第1期工事線になるよう陳情が行なわれ、その結果明治43(1910)年「鉄道敷設法改正法」が公布され路線建設が決定した。
 小牛田・新庄それぞれから工事が始まり、小牛田からは陸羽線として、大正2(1913)年4月20日小牛田-岩出山間が開業した。そして、大正3(1914)年4月19日川渡(現;川渡温泉)、大正4(1915)年4月18日鳴子(現;鳴子温泉)まで延伸している。一方、新庄からは新庄線として、大正4(1915)年11月1日新庄-瀬見(現;瀬見温泉)間が開業、大正5(1916)年8月1日羽前向町(現;最上)まで延伸、大正6(1917)年11月1日鳴子-羽前向町間が開業して全通した。これを機に、新庄から西へ余目そして酒田まで開業していた(大正3(1914)年12月24日)酒田線が陸羽西線となり、陸羽線が新庄線を編入する形で、小牛田-新庄間が陸羽東線となった。
 新庄から南新庄の南側付近まで約5kmを奥羽本線と並行しているが、開業以来このような形であった。しかし、太平洋戦争中の昭和19(1944)年12月1日不要不急線として線路が撤去された。戦後の昭和35(1960)年12月20日に元に戻されるまで、陸羽東線は奥羽本線と共用していた。この区間は、地図上でも複線路線のように見えるが、山形新幹線開業で奥羽本線が標準軌に改軌されたので、現在それぞれの線路は完全に独立している。
 かつては、石巻線女川駅や陸羽西線余目駅まで結ぶ直通列車や、仙台までむかう優等列車も存在した。しかし、次第に運転区間が細かく設定されるようになり、さらに平成11(1999)年12月4日の山形新幹線新庄延伸に伴い、新庄駅構内の配線が大きく変わり直通運転はできなくなっている。
 沿線各地で温泉が出ることより、沿線に6駅もの「温泉駅」があるのが、この路線の特徴である(川渡温泉駅、鳴子御殿湯駅、鳴子温泉駅、中山平温泉駅、赤倉温泉駅、瀬見温泉駅)。これは平成9(1997)年3月22日と平成11(1999)年12月4日に一気に駅名改称が行われた結果による。また、この地方が松尾芭蕉が旅をした縁の地であることで、路線愛称も平成9(1997)年奥の細道湯けむりラインとつけられ、あわせて沿線の観光振興がはかられている。


小牛田-新庄間 94.1km

※ 直通運転の列車もあるが、小牛田-鳴子温泉間、鳴子温泉-新庄間で区間運転が
行われているので(他に小牛田-古川間)、鳴子温泉で乗換えが必要なことが多い。
また、日中も8〜10往復ほどしかないので、計画にはやや注意が必要。



[車窓の楽しみ方]
 過去には陸羽東線を走る優等列車も存在したが、現在は普通列車のみ。そして車輌は、2両編成で専用の塗装を施されたキハ111形・キハ112形気動車。一部車輌の座席は4方向に回転させることができるので、みちのくの風景を十分に堪能することができる。
 路線の起点を示す0kmポストは、小牛田駅北寄り(盛岡方面)にある。小牛田を出発した列車は、東北本線と別れ西へ。ここから、北上川の支流江合(荒雄)川が作り出した平野(大崎平野)を走っていく。東北新幹線の高架が近づいてくると古川駅。この先、終点新庄までで最も大きな街のように思えた。江戸時代より、この地で生産されるお米は本石米として人気で、当時は和船本石丸に乗せて石巻まで運ばれたそうだ。ちなみに古川は、大正デモクラシーの時代活躍した吉野作造生誕の地としてしられている。
 古川を出発し、大崎平野をのんびり進んでいく。東北自動車道をくぐりると西大崎駅、ここから進路が北西に変わり岩出山駅へ。ここは伊達政宗の四男宗泰初代藩主となった岩出伊達藩の城があった場所。現存する日本最古の藩校として知られる有備館はこの岩出伊達藩が開設したもので、岩出山駅の隣、有備館駅を下車してすぐのところにある。車窓からは進行(新庄)方向左手に見える。
 有備館駅を出発すると江合川を渡り、左右に山が迫ってくる。だんだん、が険しくなり時折川面を見ながら、川沿い温泉街が並びだすと鳴子温泉駅に到着する。ほとんどの列車がこの駅で折返し運転するので、多くの客はここで乗り換えとなる。時間があるのなら、ホームで列車を待たずに改札を出てみることをすすめる。駅舎が1つの旅館のようで、改札が旅館の玄関のよう。反対側からもあまり駅改札のように見えない感じ。案内所にかかる暖簾もかわいいもので、待合室も小さなコンサートホールのよう。そして、何といっても温泉地、駅にて足湯も楽しむことができる。日本で確認されている泉質の全種類があるという鳴子温泉、さらに時間があるなら街で温泉を楽しむのも手。早稲田桟敷湯さんと滝ノ湯さんの2箇所で日帰り温泉が利用できる。早稲田桟敷湯は、大正時代に早稲田の学生が地質調査の末、温泉を掘り当てたのだとか。銭湯に近い雰囲気が楽しめる。また、駅内をはじめ、街にはいたるところで、こけしをみることができる。
 鳴子温泉駅から隣の中山平温泉駅までは、鳴子峡が広がる。列車からは、それほど渓谷美は楽しめないが、両駅の中間地点、鳴子トンネルを出た瞬間に絶景が広がるので、是非進行(新庄)方向右の座席を確保して楽しんで欲しい。紅葉のシーズンには徐行運転もしてくれる。こうして、中山平温泉駅に着く。この駅から(鳴子方面に)徒歩10分位の所に中山平温泉があり、ここでも温泉を楽しむことができる。また、駅前には陸羽東線開業当時に活躍したSLが静態保存される。ただ、野晒しで可哀想な気がした。この駅は宮城と山形の県境に近く、秋(11月中旬)でも天気が悪いとあっという間に銀世界に変わった。
 中山平温泉駅から勾配が厳しくなり、それと同時に手付かずの自然が残ってるようだった。こうして山形県に入り、堺田駅。駅名の通り、宮城県と山形県を分けているのだか、この駅は分水嶺の上にある。分水嶺の上にある駅は、他に福知山線石生駅がある(しかし、これだけではないだろうか)。また、「蚤虱 馬の尿する枕元」と松尾芭蕉が詠んだとされる封人の家(国の重要文化財)があり、観光地となっている(駅から徒歩5分ほど)。ちなみに封人の家とは、国境を守る役人が住んでいる家のことで、だいたいその地の庄屋が勤めていた。
 堺田駅からどんどん標高がさがってきて、赤倉温泉駅。さらに水田などもみられるようになると最上駅になる。ここからしばらく盆地状の土地を走るようになり、進行(新庄)方向左手に水田地帯が広がる。また、右手を並走する国道には民家や商店が並ぶ。
 鵜杉を出発すると再び渓谷のような地形を走るようになり、渓谷美を楽しむことができる。弁慶が薙刀で掘ったとされるのは瀬見温泉。瀬見温泉駅から5分ほどで、渓谷をぬけ渓谷をぬけ比較的平らな土地を走るようになり、川の流れもゆるやかなものになる。
 のんびりとした里山の風景を楽しんでいると、線路は大きく右にカーブし、奥羽本線と合流し、南新庄駅に到着する。ここから(新庄まで)約5km奥羽本線(山形新幹線)と並走するのだか、その軌道間の違い(左;陸羽東線[狭軌]、右;山形新幹線[標準軌])が面白い。こうして、終点新庄駅に到着する。
 車窓は、堺田までは進行(新庄)方向右、その先は左が面白いがあまり差はない。しかし、鳴子温泉-中山平温泉間は、必ず右に座る方がよい。



● 乗りつぶし記録

  ・1994.02.01-02. 青森旅行で、あけぼのにて小牛田→新庄間に乗車。完乗達成。
  ・1995.12.24. 秋田スキー旅行で、あけぼのにて小牛田→新庄間に乗車。
  ・2006.11.12. 福島・山形・宮城旅行で、新庄→中山平温泉→鳴子温泉→小牛田間に乗車。往復完乗達成。
  ・2006.07.14. 仙台作戦で、小牛田→古川間に乗車。
  ・2008.10.25. 東北 SL&紅葉撮影旅行で、小牛田→中山平温泉→鳴子温泉→古川間に乗車。
  ・2010.10.09. 東北撮影旅行で、小牛田→古川間に乗車。
  ・2010.10.10. 同、古川→小牛田間に乗車。
  ・2011.06.04. 石巻ボランティア作戦で、小牛田→古川間に乗車。
  ・2011.06.05. 同、古川→小牛田間に乗車。
  ・2011.11.26. SLゆけむり復興号撮影で、古川→中山平温泉間に乗車。
  ・2011.11.27. 同、堺田→鳴子御殿湯→鳴子温泉→小牛田間に乗車。



● 駅舎写真

小牛田駅(2006.11.) 北浦駅(2007.07.) 古川駅(2007.07.)
鳴子御殿湯駅(2011.11.) 鳴子温泉駅(2006.11.) 中山平温泉駅(2006.11.)
堺田駅(2006.11.) 赤倉温泉駅(2006.11.)未下車 大堀駅(2006.11.)未下車
新庄駅(2006.11.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地陸羽東線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。



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