石巻線
最終更新日2010.10.18.
● 基本データ
石巻線は東北本線の小牛田駅から石巻を経由して、女川駅を結ぶ、JR東日本の地方交通線(ローカル線)である。
明治43(1910)年4月21日に公布された(施行、同年8月3日)軽便鉄道法により、全国に多くの鉄道が建設されることとなった。宮城県北部もその例外ではなく、東北本線の各駅を起点とした様々な鉄道が計画された。その中で、石巻の振興と観光地鳴子を結ぶ目的で「石巻鉄道株式会社」が設立されたが、資金難で解散。しかし、地元の有志が「仙北軽便鉄道株式会社」をあらためて組織し、ここに路線が建設されることになった。小牛田から石巻へは日本有数の穀倉地帯を走るので難所は少なく、工事は順調に進み、大正元(1912)年10月18日小牛田-石巻間が開業した。大正8(1919)年4月1日には国に買収され、翌大正9年(1920)5月23日には改軌(762mm→1067mm)が行われた。軽便鉄道法の廃止により大正11(1922)年9月1日石巻線となり、昭和14年(1939)10月7日女川まで延伸して全線が開通した。
宮城電気鉄道(後の仙石線)が、昭和3(1928)年11月22日石巻まで開業させたことで石巻は仙台圏に入り、運行本数の多い仙石線が乗客輸送の担当することになり、石巻線はローカル線となってしまった。しかし、石巻市南部にある日本製紙の工場からなどの貨物輸送を担っていると言える。もちろん乗客輸送も行っている。
また、別会社がそれぞれ石巻駅を開業させたので、国鉄、JRになっても2つの石巻駅が存在していた。地元では宮城電気鉄道(現;仙石線)の駅を「電車駅」、石巻線の駅を「汽車駅」と呼んで区別するなど、長らくこの状態が続いていたが、平成2(1990)年7月21日仙石線石巻駅を石巻線の駅舎に統合して解消している。
宮城県北部の経済圏は陸羽東線の古川駅を中心とした大崎市であり石巻線列車の古川までの直通運転や、女川まで電化し仙石線に乗り入れ仙台-女川間の直通運転などを望む声があるが、具体的には計画は進んでいない。
小牛田-女川間 44.9km
※ 全線を走る列車もあるが、半数は前谷地、石巻発着の区間運転の列車となる。しかし、
1〜2時間おきに走っているので乗りつくしは容易。また、仙石線との組み合わせも可能。
[車窓の楽しみ方]
石巻駅の起点をあわらす0kmポストは小牛田駅の北側(一ノ関側)にある。小牛田を出発すると、すぐに東北本線と分かれ右カーブをし、水田地帯を走っていく。江戸時代、ここら辺を領有したいたのは仙台藩の伊達氏、公的の石高は62万石だが、実質には100万石あったそうなのだが、それが肯ける光景が続く。こうして、涌谷駅に着く。涌谷町は、天平21(749)年日本で初めての金が産出し、東大寺大仏の建立の際金を献上したことでも知られている。涌谷駅の隣は、前谷地。前谷地はアイヌ語の「モイ・ヤチ」が訛ったものといわれ、「モイ」とは"穏やかな・静かな"という意味で、「ヤチ」は"湿地"とか"沢"、またはそのまま、"谷地"をあらわす言葉なのだそうだ。この谷地という地名は、この地方ではよくあるのだそうで、陸羽東線にも陸前谷地駅がある。この穏やかな平原が広がるこの地方は、日本屈指の穀倉地帯でもある。この前谷地から気仙沼線が分岐していく。
佳景山付近から旧北上川が近づき、隣の鹿又から川に沿って大きく南へカーブする。しかし、車窓からは堤防が見えるだけで川面を見ることができない。家屋が増えはじめ、石巻線と合流すると石巻に着く。
石巻は、漫画家石ノ森章太郎の生地でもあるので、石ノ森作品を利用した街づくりでも有名である。駅構内でも改札や駅舎のステンドグラス、車止め、シャッター、階段などに見ることができる。この階段がなかなか力作で、複眼の中に石ノ森先生の自画像が数多く描かれている。そして、市街南東旧北上川の中州には石ノ森萬画館があり、その近未来的な建物が目を引く、そして館内では、多くの作品が紹介されてる。また、駅から萬画館までの道は石巻マンガロードとされ、多くのヒーロー達にあうことができる。そして、萬画館の隣には旧石巻ハリスト正教会堂がある。これは、明治13(1880)年に建設されたギリシア正教会堂で、現存する日本最古の木造教会堂である。残念ながら内部は非公開で、内部見学する場合は、石巻市教育委員会生涯学習課に事前の予約が必要である。
石巻を出発すると、旧北上川を渡り、しばらく水田地帯を走るが、北側進行(女川)方向左手から崖が近づいてきて、これまでと雰囲気が変わる。こうして渡波(わたのは)駅に着く。渡波は、江戸時代初期伊達政宗の命を受け、太平洋を渡った支倉常長一行(慶長使節船)が出航した月浦があることで有名で、駅から徒歩約20分の所には、慶長使節船を勉強することができる宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)がある。沢田駅をでると、進行(女川)方向右手に万石浦が見えるようになる。まるで湖のように見えるが、海と繋がっている。この光景が浦宿駅付近まで続く、ここから再び山の中を走り終点女川に到着する。宮城県を見た時、鹿の前足のように牡鹿半島が突き出ているが、陸と繋がっているのは、実はこの浦宿-女川間のわずが2〜3kmだけである。
駅から国鉄色の気動車が見えるが、これは女川温泉の施設の一部となっていて、中で休憩やカラオケが楽しむことができる。もちろん温泉も楽しめるが、駅前に足湯もあるので、時間のない人はこちらで。また、三陸地方は津波被害が多いことで知られているが、中でも、昭和35(1960)年5月23日午前4時10分(日本時間)南米チリ沖で発生したマグニチュード8.5という最大級の地震によって引き起こされた津波は、ハワイ諸島やその他の太平洋諸島を襲ったうえ、約一昼夜を経て17000km余を隔てた日本の太平洋沿岸に襲来し、この津波による死者・行方不明者は139名、被害額は260億円という大災害をもたらした。この時、津波は女川駅まで押し寄せた。その時海面がどこまで達したかが駅の階段に記されいて、その被害を直接知ることができる。
さて、気象通報でおなじみの女川の地名は、前九年の役(1051〜62)の頃、豪族阿部貞任の軍が源氏方と戦った際、一族の婦女子を安全地帯である町の北側にある安野平(アノダイラ)に非難させたことから、ここから流れる小川を女川と呼ぶようになり、集落や海とまた女川湾と呼ばれるようになったといわれている。しかし、女川の名前が広く知られることとなったのは、明治18(1885)年英国のハミルトン将軍が率いる当用艦隊が初めて女川港に入港して以来のことで、当時のこの大艦艇が楽々と碇泊したので、天然の良港であるとして世界中に紹介したからだと言われている。時間があるなら港まで歩いてみるのもよいだろう。約5分ほどで着くので。そして更に徒歩10分くらいのところには物産館のマリンパル女川があり、館内で雲丹などを楽しむことができる。また、港には牡鹿半島突端の金華山にむかうフェリー乗り場もある。
車窓は、石巻までは左右それほど差がない。それ以降は、万石浦の海が見えるので進行(女川)方向右が面白い。
● 乗りつぶし記録
・2007.07.14. 仙台作戦で石巻→女川→小牛田間に乗車。完乗達成。
・2007.11.23. 東北完乗作戦で小牛田→前谷地間に乗車。
・2008.10.25. 東北 SL&紅葉撮影旅行で小牛田→前谷地→小牛田間に乗車。
・2010.10.09. 東北撮影旅行で、小牛田→佳景山→鹿又→小牛田間に乗車。
・2010.10.10. 同、小牛田→前谷地→小牛田間に乗車。
● 駅舎写真
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| 小牛田駅(2007.03.)
| 涌谷駅(2007.07.)
| 前谷地駅(2007.07.) |
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| 佳景山駅(2010.10.)
| 鹿又駅(2010.10.)
| 石巻駅(2007.07.) |
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| 渡波駅(2007.07.)
| 浦宿駅(2007.07.)
| 女川駅(2007.07.) |
● おすすめ撮影ポイント
撮影ポイントは、JR線路線別撮影地石巻線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。
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