上越線

最終更新日2012.02.04.




高崎-宮内間 162.6km

※ 普通列車の場合は、必ず水上で乗り換えが必要となる。距離が長いので、乗りつくしはやや大変。
● 基本データ

 上越線は、高崎線の高崎から越後山脈の南端部に広がる三国山脈の下を抜け、信越本線の宮内までを結ぶJR東日本の幹線路線である。宮内が終点であるが、優等列車を除き(路線北端部を走る)全ての列車が長岡発着となる。また、越後湯沢-ガーラ湯沢間の支線を持つ。これは、上越新幹線の保線基地への引き込み線を利用した営業線であり、同新幹線から列車が乗り入れるので、ここでは支線区間を上越新幹線の一部として扱っている。

 上越線が開通する(昭和6(1931)年)より前、関東と新潟県を結ぶ鉄道ルートは明治37(1904)年5月3日に開通した「高崎線・信越本線ルート」と大正3(1914)年11月1日年に開通した「東北本線磐越西線(開通当時は岩越線)ルート」の二つがあった。前者の上野-新潟間の距離は428.5km、後者は414.6kmであった。距離は(わずかに)長かったが信越本線を経由するルートがメインであった。しかし、ここには急勾配の碓氷峠が控えていて時間的ロスを生じさせていた(急行の所要時間は11時間6分)。また、両者とも越後山脈を大きく迂回するコースであったことから、早くから群馬-新潟県境の山脈にトンネルを掘り、関東と新潟を直線的に結ぶルートが望まれていた。
 やがて、この区間に路線が建設されることになり、トンネルを挟むように南北からの建設となった。南側は、両毛線の高崎-前橋間に新前橋を設け、そこから北へ上越南線として建設されることになった(この区間は明治17(1884)年8月20日に日本鉄道が開通させている)。大正10(1921)年7月1日、新前橋-渋川間が開業。大正13(1924)年3月31日に沼田、大正15(1926)年11月20日に後閑、昭和3(1928)年10月30日に水上まで延伸された。一方、宮内からは上越北線として大正9(1920)年11月1日に宮内-東小千谷間が開業。大正10(1921)年8月5日に越後川口、大正11(1922)年8月1日に越後堀之内、大正12(1923)年9月1日に浦佐、同年11月18日に塩沢、大正14(1925)年11月1日に越後湯沢まで延伸された。
 全長9702mの清水トンネル掘削には9年という歳月がかかったが、昭和6(1931)年9月1日ついに完成。同時に水上-越後湯沢間が開業、上越線が全通した。長大トンネルの清水トンネルの前後に2つのループ線があることなど、急勾配が続く山岳路線で、建設がいかに困難なものであったかがうかがい知ることが出来る。また、長大トンネルであることより煤煙対策として水上-石打間が開業当初より直流電化されていた。また、全通の際に起点が高崎駅に変更された。高崎-新前橋間は両毛線との二重戸籍区間となったが、昭和32(1957)年12月20日、両毛線の終点が新前橋駅に変更され二重戸籍状態は解消された。現在でも高崎からの多くの列車が、新前橋から両毛線(の前橋)方面に乗り入れている。
 開業時は、高崎線を編入して大宮-高崎-宮内間を「上越本線」とする構想もあったが、高崎線が上越線より先に開通していた信越本線と一体化した運行形態が取られたいたことと、上越線全通後も(運行形態に)変更がなかったので、上越本線は実現しなかった。ただ、上越線のキロポストは高崎線から連続していることなどに、その名残が残る。
 こうして、完成した上越線は信越本線ルートより98.2kmも短い330.3kmで、急行が7時間10分で結んでいた。これは4時間もの所要時間短縮が図られたことになる。新潟はそれまで北陸道の一員であり大阪の経済圏にあったが、これによって東京の経済圏に入ることになり、関東甲信越という認識が強くなった。
 戦後の昭和22(1947)年10月1日に高崎-長岡間の電化が完成。この時、上野-新潟間を4時間40分で結ぶ電車特急「とき」が登場した。経済成長で新潟への交通量が増えたことにより電化とともに複線化も積極的に進められ、昭和42(1967)年9月28日に新清水トンネル開通により、複線化が完成した。新清水トンネルは、清水トンネルより約3800m長い全長13500mで、ループ線などを必要としないものであった(しかし、土合駅(などの一部)は地下に設けられることになる)。これにより、従来の清水トンネルは上り(東京方面)専用、新清水トンネルは下り(新潟方面)専用となった。

 上越線が劇的に変化したのは、昭和57(1982)年11月15日の上越新幹線開業の時で、全国のエル特急とともに親しまれていたエル特急「とき」が全廃され、東海道・山陽本線のように普通列車が、それも区間内を走るという寂しいものになってしまった。長大な清水トンネルがあることより県境を越える列車は更に少なくなった。
 普通列車は少なくなってしまったが、上野から東北・北陸にむかう寝台特急(夜行快速)や貨物列車にとっては重要なルートになっている。また、奥羽本線の一部がミニ新幹線として整備されてしまった今、東北本線の長距離列車の唯一の迂回路としての機能も担っている。他に優等列車としては、上野から渋川そして吾妻線に乗り入れる特急などがある。

[車窓の楽しみ方]
 高崎を出発した列車は、信越本線、上越新幹線の高架と分かれ、高崎市街の中を走っていく。この先平坦な平地を走り、新前橋になる。新前橋を出るとで両毛線と分かれ、大きく左カーブして北に向かうようになる。利根川が作り出した平地をのんびり渋川まで進んでいくが、進行(水上)方向右手には赤城山の左手には榛名山の山麓が徐々に迫ってくるので、これからむかう山岳地帯を想像することができるようになってくる。渋川を出ると吾妻線と分かれ、大きく右にカーブして、利根川を渡る。そして、赤城山の山麓に沿って登っていく。この時、利根川が作り出した谷が進行(水上)方向左手に広がるので素晴らしい。津久田から先、利根川を何度か渡るようになるが、川が近くにあるので気持ちが良い。列車は左右に大きく蛇行しながら登っていくので、いかに勾配が厳しいかが分かる。そして、盆地が広がると沼田。沼田は尾瀬への玄関口ともなっている。後閑を出ると川面にゴツゴツとした岩石が見えるようになってきて、谷も一層深くなる。そして、諏訪峡の渓谷美が車窓を通過すると、川の対岸に温泉街の旅館やホテルが見えてくると水上に着く。上り線からは諏訪峡や温泉街を見ることができない。

 これから、いよいよ三国山脈になるが、水上での停車は、それに備える準備時間のように感じる。水上からしばらく走り、列車が大きく左カーブすると眼前に谷川岳が広がると湯檜曽になる。ただ、下り線はすぐトンネル(新清水トンネル)になってしまい、駅はトンネルの中となる。一方、清水トンネルを抜けてきた上り列車はループ下りながら駅に到着する。下り線は引き続き新清水トンネルを進み土合になるが、ここもトンネルの中の駅である。谷川岳をはじめ三国山脈の山々への玄関口となっている土合であるが、下りホームから地上に出るためには、338メートル、462段の階段を登らないとならない。親切なことに案内板もある。もちろん、エスカレーターやエレベーターもないので、クライマーにとってはいい準備運動かもしれない。階段を登り、スノーシェイドで川と国道を渡ると駅舎にたどり着く、そして上りホームは地上にある。地上に出てるまで約10分あるので、日本一のもぐらえきとは言い得て妙かもしれない。
 土合から先も長い新清水トンネルの中を走るようになる。ある意味ここからが本番かもしれない。ちなみに夜行列車は、湯檜曽、土合は停車しないが、明りで駅の位置を知ることができる。そして、10分ほどでトンネルを抜けるが、ずっと暗闇が続くともっと長いような気がする。この区間は、是非冬季に乗ってもらいたい。川端康成の名作『雪国』の冒頭の「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」が体験できるからだ。トンネルを抜けると土樽であるが、この先もトンネルが続き平野になるのは、越後中里になってからだ。そして、車窓左右の山々にスキー場を見ながら進むと越後湯沢になる。

 越後湯沢を出発すると、列車は大きく右カーブする。新幹線の高架は山の中に消えていくが、支線の終着であるガーラ湯沢駅は進行(宮内)方向左手上方にちらっと見える。この先、右手に魚野川を見ながら進み石打になる。石打も有名なスキー場であり、進行方向左右に多くのゲレンデを見ることができる。ここからは、魚野川の造り出した谷づたいの平野の中を進み六日町になる。六日町を出発すると、北陸方面の短絡線の北越急行ほくほく線と並走するが、すぐに、ほくほく線は左に分岐していく。再び、新幹線の高架が近づいてくると浦佐。浦佐からは魚野川が近づく。トンネルを抜けてしばらくすると小出。ここからは、会津若松までむかう只見線が分岐していく。小出から再びのんびりとした平野を走るようになるが、北堀之内を出るとトンネルが続く。トンネルとトンネルの間に魚野川を渡る。この時、新幹線の高架も見える。そして、飯山線が合流してくると越後川口になる。越後川口からは魚野川は車窓の左側に移り、時々川に近づくが、川面が広がり河口や海が近いことが分かる。越後滝谷付近からは越後平野の水田地帯を走るようになり、信越本線を包み込むように合流すると終点宮内に到着する。宮内は日本酒や味噌などの醸造の町だそうで、駅前に大きな樽がシンボルのように置かれている。

 車窓は、高崎-水上間は進行(宮内)方向左、石打-越後川口間は右、越後川口-宮内間は左が楽しい。それ以外は左右それほど差がない。上り線で土合-湯檜曽間は進行(高崎)方向右手に座り、ループ線を楽しみたい。



● 乗りつぶし記録

  ・1994.02.16. サークルの合宿に参加の為高崎→渋川間に乗車。
  ・2004.04.09. 富山・金沢旅行高崎→宮内間に乗車。完乗達成。
  ・2004.04.11. その帰り、六日市→越後湯沢間に乗車。
  ・2005.06.19. 北関東攻略作戦新前橋→渋川/渋川→高崎間に乗車。
  ・2005.11.13. 常磐・只見線攻略作戦小出→浦佐間に乗車。
  ・2005.12.25. SL撮影作戦高崎→水上間に乗車。
  ・2007.09.03. 北関東ぶらり旅高崎→新前橋間に乗車。
  ・2008.09.07. 新潟・長野旅行で、高崎→宮内間に乗車。
  ・2008.11.08. JR全線完乗作戦で、高崎→宮内間に乗車。
  ・2008.11.09. 同、六日町→越後湯沢間に乗車。
  ・2009.01.18. 北関東撮影旅行で、高崎→新前橋間に乗車。
  ・2009.03.13. 秋田乗りつくし旅で、高崎→宮内間に乗車。
  ・2009.03.16. 同、宮内→高崎間に乗車。往復完乗達成。
  ・2009.09.20. 北陸乗りつくしで、越後湯沢→六日町間に乗車。
  ・2009.09.23. その帰り、六日町→越後湯沢間に乗車。
  ・2010.04.03. 東武小泉線乗りつくしで、高崎→新前橋間に乗車。
  ・2010.04.25. 群馬撮影で、高崎→新前橋/新前橋→高崎間に乗車。
  ・2010.08.28. 北関東撮影旅で、高崎→新前橋/新前橋→高崎間に乗車。
  ・2011.05.08. G.W.後半作戦で、越後湯沢→石打間に乗車。
  ・2011.06.25. 群馬SL下見旅で、高崎→上牧→高崎間に乗車。
  ・2011.07.09. EL&SLみなかみ号撮影で、高崎→水上→高崎間に乗車。
  ・2011.07.17. 三連休作戦で、高崎→岩本→高崎/高崎→渋川→高崎間に乗車。
  ・2011.07.18. 同、高崎→八木原→高崎間に乗車。
  ・2011.09.10. EL&SLみなかみ号撮影で、高崎→水上→高崎間に乗車。
  ・2011.11.03. SLいせさき号撮影で、高崎→新前橋/新前橋→渋川/渋川→高崎間に乗車。



● 駅舎写真

高崎駅(2005.12.) 高崎問屋町駅(2010.08.) 井野駅(2011.07.)
新前橋駅(2005.06.) 群馬総社駅(2011.07.) 八木原駅(2011.07.)
渋川駅(2005.06.) 敷島駅(2010.05.) 津久田駅(2010.05.)
岩本駅(2010.05.) 沼田駅(2010.05.) 後閑駅(2010.05.)
上牧駅(2010.05.) 水上駅(2005.12.) 湯檜曽駅(1998.03.)
土合駅(1998.03.) 越後湯沢駅(2007.07.) 石打駅(2011.05.)
小出駅(2005.11.) 越後川口駅(2005.12.) 宮内駅(2007.04.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地上越線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。
 また、土樽駅付近の第2魚野川橋梁も石畳の橋脚付近や、湯檜曽駅ホームにてループ線を走るの列車も撮影してみたい。



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