![]() | ● 基本データ 内房線は、外房線の蘇我から木更津、館山など房総半島の東京湾側を走り、半島南部の安房鴨川に至るJR東日本の幹線路線である。蘇我で外房線と別れ、再び安房鴨川で接続するので、両線で房総半島を外周する。 外房線は、房総鉄道という私鉄が建設を進めたが、内房線は初めから官設(国鉄)で建設されることになった。木更津線として明治45(1912)年3月28日、蘇我-姉ケ崎間が開業した。これが内房線のはじまりで、大正元(1912)年8月21日に木更津、大正4(1915)年1月15日に上総湊、大正5(1916)年10月11日に浜金谷、大正6(1917)年8月1日に安房勝山、大正7(1918)年8月10日に那古船形、そして大正8(1919)年5月24日に安房北条(現;館山)まで延伸され、この際北条線に改称された。 路線は、更に半島南端部を周るように建設され、大正10(1921)年6月1日に南三原、大正11(1922)年12月20日に江見、大正13(1924)年7月25日に太海、大正14(1925)年7月11日に安房鴨川まで延伸され全通した。 半島の東側に路線を建設していた房総鉄道は明治40(1907)年9月1日の鉄道国有法により国に買収され、房総線として路線建設を引き継いでいた。昭和4(1929)年4月15日、房総線が安房鴨川まで延伸され北条線とつながったが、同時に北条線が房総線に編入されることになり、千葉-大網-安房鴨川-木更津-蘇我間が房総線になった。しかし、昭和8(1933)年4月1日に千葉-大網-安房鴨川間が房総東線(ぼうそうとうせん)に、同時に蘇我-木更津-安房鴨川間が房総西線に分離された。路線の建設途中で、○○東線・○○西線と名付けられ、全通後○○線と統一されるのがたいていのパターンであるが、全通後に東線と西線に分離されるのは珍しい。そして、戦後しばらく経った昭和47(1972)年7月15日に房総西線が内房線と改称された。 電化は、昭和46(1971)年7月1日に完成し、改称された時電車特急「さざなみ」の運転が開始された。また、複線化も順次工事されたが、君津から南に単線区間が残る。以前は、房総半島を一周する列車も運行されていたが、現在は外房線とお互いのテリトリーを侵さないよう、厳密に安房鴨川で運行が分かれている。そして、京葉線全通の際には、外房・内房線を走る特急は臨時列車を除き、東京発同線経由に変更された。安房鴨川で運行が分かれることを書いたが、それぞれの特急は、房総半島の東岸・西岸を走り安房鴨川に至るので、東京を出発して安房鴨川を通り、房総半島を一周、再び東京駅に戻る特急列車があっても面白いような気がする。両線を走る特急は、同じ車輌なのだから(内房線内を走るさざなみ)。 そして、普通列車は全線を走る列車の他、千葉-君津・上総湊間、館山-安房鴨川間などの区間運転がある。そして、京葉線や横須賀線から乗り入れ君津までやってくる列車もある。複線区間であることや千葉都市圏の広がりで、千葉-君津間の本数がとても多いのが特徴になっている。 ※ 本数も多く、乗りつくしは比較的楽。ただ、日中は(臨時列車を 除き)特急がなく、また君津以南は普通列車も1時間に1本程度に なるので、注意が必要。また距離も長いのにも気をつけたい。
| 君津からここからは単線になり小糸川を渡ると青堀。この駅の前に古墳があり面白い。青堀までは住宅街が続いていたが、この先から谷あいの中に入っていくようになる。上総湊に近づくと海が近づき、湊川を渡りトンネルを抜けると、いよいよ海沿いを走るようになりとても気持ちがよい。天気がよいと富士山はもちろんのこと、目を凝らすと横浜のランドマークタワーも見ることができる。また、竹岡駅停車中の列車からの車窓も楽しい。国指定天然記念物に指定されているヒカリモ発生地が竹岡にあり、駅から徒歩5分ほどの井戸の中に見ることができる。光の加減なのだろうか本当に輝いているようにみえる。ここからは、房総丘陵の中に入っていくためか、海岸線を走るのにトンネルが多くなってくる。三浦半島久里浜から東京湾を渡ってくるフェリーが見えてくると浜金谷になる。 浜金谷を出ると比較的長いトンネルになるが、このトンネルの上が、房総半島で有名な鋸山で、そのノコギリのような姿は、浜金谷の隣、保田駅からから楽しむことができる。また、保田は江戸時代の浮世絵師菱川師宣の生誕地でもある。保田の隣は安房勝山、ここは神奈川県の石橋山の戦いで破れた源頼朝が、相模湾を逃れ上陸した地である。その後、頼朝は関東の武士をまとめ鎌倉に入り、日本史史上初の武士政権を作っていく。安房勝山の次は岩井、ここは富浦町になるが、駅では町の花ゆりの花が出迎えてくれる。また、駅東部には町の名の由来となった富山があるが、この山は『南総里見八犬伝』の舞台となった山だ。駅出て左の公園には伏姫と八房の像がある。岩井を出発すると、線路は岩井海岸を巻くようにカーブし高度を稼いで登っていくが、坂道を登る直前には断崖があり驚かされる。また、坂を登っていくと海水浴場が見え、気持ちがよい。富浦町は、また日本一のビワの郷でも知られ、岩井からは多くのビワのビニールハウスを見ることができる。こうして富浦になるが、江戸時代から大正にかけては、押送船と呼ばれる帆船がここから鯛やビワを東京湾を渡って運んでいた。順風の時には、二枚の帆を張って休まず漕いで8〜9時間で鯛などを生きたまま運んでいたのだそうだ。崖観音がある船形山が見えてくると那古船形。ここから家屋が増えてきて、平久里川を渡ると館山に着く。 江戸時代、房総南部はクジラ漁業で栄えた。現在でも館山の駅弁屋でクジラ弁当を食べることができる。館山を出発すると、大きく左カーブをして、列車は東へと進んでいく。ここからは、進行(安房鴨川)方向右手に小高い山々を左手に田園地帯を見ながらのんびり進んでいく。山を一つ越えると千倉。ここでは多くの竹屋さんを見ることができる。千倉から北に進むようになり、路線は東京湾から太平洋側に移るが、まだ海を見ることができない。海が見えてくるのは、南三原を出てからしばらく経ってからで、青く、荒々しい海が車窓に広がる。南三原のお隣は和田浦。ここもクジラ漁が盛んに行われていたそうで、駅構内ではクジラ漁の文化について勉強することができる。また、駅ホームにはツチクジラ頭部などが展示されている。ここからは、海岸段丘の上を走るようになり、水田の先に太平洋が広がり気持ちが良い。トンネルが続き、太海海岸が見えてくると太海。源頼朝や日蓮聖人の伝説で知られる名勝仁右衛門島へは、駅から徒歩15分程。人が漕ぐ船などもある。太海から長いトンネルと抜けると鴨川市街が広がり、終点安房鴨川に到着する。 車窓は、海が広がるので進行(安房鴨川)方向右手が楽しい。 | |||
● 乗りつぶし記録
・1994.08.03. 大学研究室の研修旅行に行く為、蘇我→館山間に乗車。
・1994.08.05. その帰り、館山→蘇我間に乗車。
・1999.03.28. 房総一周旅行で、浜金谷→安房鴨川間に乗車。完乗達成。
・2004.04.03. 小湊鉄道に乗る為、東京→五井/五井→東京間に乗車。
・2005.06.18. 北関東攻略作戦で蘇我→木更津/木更津→蘇我間に乗車。
・2006.04.09. 伊豆・房総旅行で、蘇我→安房鴨川/蘇我→五井/五井→蘇我間に乗車。
・2006.02.04. SL南房総号撮影旅行で、蘇我→上総湊→木更津→竹岡→蘇我間に乗車。
・2008.07.21. 近畿完乗作戦and 千葉旅行で、安房鴨川→蘇我間に乗車。往復完乗達成
・2009.08.13. いすみ鉄道攻略で、蘇我→巖根→蘇我間に乗車。全駅完乗達成
・2010.02.11. 久留里線撮影で、蘇我→木更津/木更津→蘇我間に乗車。
・2010.05.01. 久留里線撮影で、蘇我→木更津/木更津→蘇我間に乗車。
● 駅舎写真
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蘇我駅(2006.04.) 浜野駅(2009.08.) 八幡宿駅(2009.08.) ![]()
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五井駅(2006.04.) 姉ヶ崎駅(2009.08.) 長浦駅(2009.08.) ![]()
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袖ヶ浦駅(2009.08.) 巖根駅(2009.08.) 木更津駅(2005.06.) ![]()
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君津駅(2006.04.) 青堀駅(2008.07.) 大貫駅(2006.04.) ![]()
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佐貫町駅(2006.04.) 上総湊駅(2007.02.) 竹岡駅(2007.02.) 旧駅舎 ![]()
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浜金谷駅(1999.03.) 保田駅(2008.07.) 安房勝山駅(2008.07.) ![]()
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岩井駅(2008.07.) 富浦駅(2008.07.) 那古船形駅(2008.07.) ![]()
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館山駅(2006.04.) 九重駅(2008.07.) 千倉駅(2008.07.) ![]()
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千歳駅(2008.07.) 南三原駅(2008.07.) 和田浦駅(2008.07.) ![]()
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江見駅(2008.07.) 太海駅(2008.07.) 安房鴨川駅(2006.04.)
全駅掲載
● おすすめ撮影ポイント
撮影ポイントは、JR線路線別撮影地内房線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。