横須賀線

最終更新日2012.02.07.





品川-鶴見間 17.8km
大船-久里浜間 23.9km 計41.7km


※ 本数も多く、東京-久里浜間も1時間半ほどと乗りつくしは楽。
ただ、逗子-久里浜間は本数が少なくなることを気にとめておきたい。
● 基本データ

 横須賀線は、正式には東海道本線の大船から鎌倉・逗子・横須賀を経由して、久里浜にむかうJR東日本の幹線路線である。しかし、一般的には東京から地下新線で品川、そこから貨物支線(通称;品鶴線)や東海道貨物線で大船、そして久里浜に至る路線を総称して横須賀線と呼ばれている。ここでは東京-鶴見(停車はせず)、大船-久里浜間を横須賀線として紹介する。

 横須賀は、現在でも米軍基地があるが、明治17(1884)年に横須賀鎮守府が置かれるなど古くから重要な海軍基地であった。一方、陸軍も明治13(1880)年から観音崎をはじめとして沿岸各所に砲台を築いていた。しかし、人員や物資の輸送は、横浜-横須賀間の船便に頼っているのが実情で、明治19(1886)年6月、陸海軍は鉄道敷設を要求、この求めに応じて鉄道省が明治21(1888)年1月より工事を着工、翌明治22(1889)年6月16日、大船-横須賀間が完成した。
 軍からの強い要望であった為、北鎌倉駅付近では円覚寺境内を横切り、また鎌倉駅付近では鶴岡八幡宮の段葛を寸断して線路が敷設されるなど、用地買収は比較的強引に行われたといわれている。開業当初は、東海道線の一部であったが、明治42(1909)年10月12日線路名称設定によって、横須賀線となった。
 開業当初はおよそ1時間おきに運行され、東京-横須賀間を約2時間でむすんでいた。

 軍都、横須賀への路線であることから、その後の整備も早く、複線化は、大正5(1916)年9月13日鎌倉まで、 大正6(1917)年3月逗子まで、大正9(1920)年10月19日田浦、大正13(1924)年12月25日横須賀まで完成している。 また。大正14(1925)年12月13日には、(横浜-)大船-横須賀間で電化され、東京-横須賀間で電気機関車による運転開始され、 昭和5(1930)年3月15日には、電車による運転が開始されている。そして、昭和19(1944)年4月1日横須賀-久里浜間が延伸開業して、全線が完成した。しかし、これにも戦時体制下唯一の電化区間として完成をみているので軍事的色合いが顕著であった。

 戦前から東京-大船間は東海道本線の路線を利用していたが、戦後は東海道本線・横須賀沿線のベッドタウン化が急激に進み、両線とも混雑が激化、特に東海道線と線路を共用する大船駅以北では輸送力が限界に達した。これを受け、東京-品川間は東京トンネル(昭和51(1976)年10月1日開業)で、品川-鶴見間は品鶴線を走行、鶴見-戸塚では貨物線を郊外に(羽沢線を)新設して旧線を流用、これにより東京-大船間を複々線化させることになった。いわゆるSM分離といわれる両線の分離運転が、昭和55(1980)年10月1日よりはじまった。この際、新川崎、東戸塚が開業、保土ヶ谷が横須賀線のみ停車する駅となった。
 SM分離により総武本線との相互直通も開始され、現在では、総武快速線経由で総武本線の成東、外房線の上総一ノ宮、内房線の君津、成田線の成田空港駅、鹿島線鹿島神宮駅まで行く列車が運行されている。また、平成13(2001)年12月1日より湘南新宿ラインの運行が開始され、新宿経由で東北本線(宇都宮線)の小金井や宇都宮までの列車もあるなど、その運行形態は多彩である。
 ただ、逗子-久里浜間は単線で、しかもホームの長さが短いので、首都圏から15両運転で運転されてくる列車は逗子発着か、切り離してその先の区間は4両で運転されている。

 横須賀線の列車は、通称スカ色といわれるクリームと青色のツートンカラーで塗られていた。これは、戦前の国鉄電車(32系)が始まりとされ、現在横須賀線内を走る列車はステンレスの車体になったが、帯にはスカ色の組み合わせが残る。この配色は、「海に近い地域を走るので砂浜のクリーム色と海の青」とする説や、昭和15(1940)年に開催予定であった東京五輪(戦争激化で中止)のイメージカラーを転用した、などの説がある。



[車窓の楽しみ方]

 東京を出発した列車は、しばらく東京トンネルの地下線を走行し、品川手前で地上にでる。品川からは東海道・京浜東北の路線をまたぎ、東海道新幹線と山手線の路線と大きく右にカーブする。そして、進行(大船)方向左を走っていた新幹線の高架が上を通過する頃、路線の下には山手線の引込み線や湘南新宿ラインの路線(山手貨物大崎支線(通称;蛇窪線)が通過する。そして、湘南新宿ライン(蛇窪線)の路線が、東急大井町線下神明駅高架下あたり(蛇窪信号所)で平面交差で合流する。画像右が横須賀線、左が湘南新宿ラインの路線となる。ここから先は、東海道本線の貨物支線(通称;品鶴線)を走行、南武線武蔵小杉駅付近まで東海道新幹線と並走する。ここから路線は大きく左カーブをし、新幹線と別れていく。この付近より貨物線が多くなる、これらは新鶴見操車場のもので、貨物列車や機関車を見ながら進んでいく。しかし、新川崎付近から南の操車場の高大な敷地は転売され、現在一部で企業や病院、そしてマンションが建てられている。旧新鶴見操車場の敷地が狭くなってくると、尻手黒川道路や国道1号線をくぐり、ここから一気に高架になり眺めがよくなり、進行(大船)方向右手には横浜の丘陵地に点在する家屋や鶴見にある曹洞宗の大本山総持寺の青銅色をした本殿の屋根が、左手にが川崎駅前のビル群が遠望できる。そして、鶴見川が見えてくると貨物線とサンドイッチのような形で東海道本線・京浜東北線の路線と合流する。この際、貨物線は大きな橋でオーバーパスしていくので、見ていて楽しい。

 ここから先は、東海道本線や京浜東北線と並走するが、横須賀線の路線は一番北寄りを走り、横浜。SM分離によって横須賀線のみの停車となる保土ヶ谷と東戸塚になっていく。東戸塚はSM分離の際誕生した駅だが、急速に駅周辺が開発され、駅前には大きなショッピングモール(オーロラモール)がある。東戸塚から下り線が東海道本線をパスして戸塚になるが、これによって戸塚では東海道本線と横須賀線が方向別ホームとなる。東京方面、あるいは久里浜・小田原方面が同ホームになるので、乗り換えがスムーズに行える。戸塚を出発すると、今度は上り線が東海道本線をオーバーパスして大船に着く。

 大船から東海道本線と分岐、大きく左カーブをして久里浜方面へむかう。この時、頭上を湘南モノレールの路線が通過していく。途中、大船電車区からの引込み線などと並走して、北鎌倉に着く。北鎌倉を出発すると、すぐに進行(大船)方向左手に円覚寺の境内が見える。また、右手にある道路まで境内が延びているので、円覚寺の境内が路線建設の際、使われたことがよく分かる。そして、その道路を踏切で渡るとトンネルになる。この道路はあじさい寺で有名な名月院や建長寺などに通じる道なので、休日など踏切を渡る際には、多くの観光客を見ることができる。そして、トンネルを抜けると鎌倉になる。古都鎌倉への観光、また江ノ島電鉄で湘南方面に行けるなど、鎌倉は観光の拠点駅になっているので、平日でも多くの乗客で込み合う。
 鎌倉を出発すると、大きく左カーブをする。この時、進行(大船)方向左手には鶴岡八幡の森や手前には段葛が見え、そして右手には湘南の海が顔をのぞかせる。鎌倉は、幕府が置かれた理由になっているのだが、三方が低い山で囲まれ一方が海に面する地形になっている。そのうち横須賀線は、北より進入して東へと、二面の山をトンネルで抜ける。トンネルを抜けると逗子になる。逗子の先、左右に留置線があり、多くの列車がしばしの休憩をしているのが見ることができる。それも、京急逗子線の高架までで、それからは宅地街の中を走り東逗子。東逗子を出てしばらくすると、横浜横須賀道路の下をくぐり、トンネルとなる。トンネルを抜け、京急本線の高架が頭上を通過すると、進行(久里浜)方向左手前方に東京湾の海が広がる。こうして、田浦になる。田浦からは海沿いを走り、多くの田浦を出ると艦艇が見えてくる。そして、いくつかのトンネルを抜けると横須賀に着く。
 横須賀では米軍風のシンボルマークがお出迎え。そして、駅前の公園からは軍港の全貌が望め、多くの艦艇を見ることができる。向かって右が米軍で、左が海上自衛隊の基地になる。また、日露戦争で勇名をはせた戦艦三笠が駅から徒歩15分ほどの所にある三笠公園に固定されている。また、海軍といえばカレー。駅舎内に広告があるのをはじめ、かわいらしいかもめがカレーを持っている。
 横須賀から大きく右カーブをして、長いトンネルに入る。トンネルを抜けると衣笠、ここから平作川沿いに平地を走り、建物が増えてくると、終点久里浜駅に到着する。
 駅前には京急久里浜駅があるほか、久里浜港へのバス停もある。ちなみに、久里浜港から房総半島の金谷港まで、フェリーで35分ほど。横須賀線-総武本線-内房線だと約3時間半ほどかかるので、東京湾がいかに大きいか想像することができる。
 車窓は、逗子までは進行(久里浜)方向左右それほど差がないが、その先は海が望めるので左手が楽しい。



● 乗りつぶし記録 品川-鶴見間は乗車回数過多の為、大部分省略している。

 ・1980.08.   家族鎌倉旅行で、大船→鎌倉→大船間に乗車。
 ・1999.10.31. 横須賀撮影旅行で、大船→北鎌倉→横須賀→北鎌倉→大船間に乗車。
 ・2000.10.29. お守りを買いに鎌倉へ、大船→北鎌倉間に乗車。
 ・2000.10.29. その帰り、鎌倉→大船沢間に乗車。
 ・2001.04.15. 横須賀の友人宅に遊びに行く前に、大船→久里浜間に乗車。完乗達成。
 ・2002.11.16. お守りを買いと撮影で鎌倉へ、大船→鎌倉間に乗車。
 ・2003.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2003.11.16. お守りを買いと撮影で鎌倉へ、大船→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2004.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2004.11.10. お守りを買いに鎌倉へ、大船→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2005.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2005.04.17. 秩父攻略作戦で、横浜→大崎間に乗車。
 ・2005.08.28. 身延・小海線攻略作戦で、大崎→横浜間に乗車。
 ・2005.12.18. 生徒達と鎌倉へ、大船→北鎌倉/鎌倉→大船間に乗車。
 ・2005.12.25. SL撮影作戦で、横浜→大崎/大崎→横浜間に乗車。
 ・2006.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2007.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2007.12.08. 星見駅取材旅で、新川崎→久里浜/久里浜→大船間に乗車。全駅下車達成。
 ・2008.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2009.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2010.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2011.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。
 ・2011.02.13. 青森&房総撮影旅行で、久里浜→横浜間に乗車。
 ・2011.09.10. ありがとう113系撮影で、新川崎→大船/横須賀→北鎌倉→大船→新川崎間に乗車。
 ・2012.01.01. 初詣で鎌倉へ、新川崎→鎌倉→大船間に乗車。



● 駅舎写真

品川駅(2005.09.) 大崎駅(2006.02.) 西大井駅(2006.06.)
武蔵小杉駅(2011.07.) 新川崎駅(2000.10.) 鶴見駅(2005.10.)
横浜駅(2006.01.) 保土ヶ谷駅(2007.09.) 東戸塚駅(2007.09.)
戸塚駅(2006.02.) 大船駅(2007.12.)
北鎌倉駅(1999.10.) 鎌倉駅東口(2007.01.) 鎌倉駅西口(2000.10.)
逗子駅(2007.12.) 東逗子駅(2007.12.) 田浦駅(2007.12.)
横須賀駅(1999.10.) 衣笠駅(2007.12.) 久里浜駅(2001.04.)

全駅掲載



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地横須賀線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。



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