石北本線

最終更新日2012.01.27.


● 基本データ

 石北本線は、新旭川駅から遠軽・北見駅を経由して網走駅を結ぶ路線である。幹線であるが、現在は地方交通線(ローカル線)扱いである。遠軽で方向転換(スイッチバック)して北見・網走に向かうという複雑な経路をたどるのだが、これは3つの路線(の部分)を繋ぎ合わせて石北本線を誕生させた複雑な生い立ちによる。


新旭川-網走間 234.0km

※ 乗りつぶしをする場合、普通列車で本数の少ない沼ノ端-岩見沢間の攻略がポイント。


 旭川から北見・網走を路線を通す上で、ネックになるのは石狩山地・北見山地である。これを迂回するように路線敷設が行われ、旭川から釧路線(現;根室本線)・池田(明治37(1904)年12月15日開業)から、旧北海道ちほく高原鉄道ちほく線を北上、野付牛(現;北見)に辿り着いた。大正元(1911)年9月25日開業。これが一番はじめに野付牛(現;北見)に辿り着いた路線となった。網走線ルート
 この後、路線は東に延び、大正2(1912)年10月5日網走、昭和4(1929)年11月14日札鶴(現:札弦)まで延伸し開業。大正2(1912)年11月18日、網走線から網走本線に改称されている。やがて、釧網本線(東釧路-網走間)が昭和6(1931)年9月20日に全通したことで、網走-札弦間が釧網線に編入されている。
 一方、野付牛(現;北見)から西に湧別軽便線が路線を建設、大正2(1912)年11月18日野付牛-留辺蘂間が開業。以降、大正4(1915)年11月1日遠軽まで延伸、大正5(1916)年11月7日留辺蘂軽便線を統合することで、野付牛-遠軽-下湧別間が(全線改軌され)開業。大正11(1922)年9月2日湧別線となった。途中、中湧別からオホーツク海を北上紋別・興部を経由して名寄に至る名寄本線が大正10(1921)年10月5日に全通・開業。名寄本線ルート。これにより、旭川から北見に至るコースで網走線ルートより少し短くなった。
 旭川から北見山地を直接越える路線として、大正11(1922)年11月4日新旭川-愛別間が石北線として開業。後に石北西線となり、昭和2(1927)年10月10日上川、 昭和4(1929)年11月20日中越まで延伸された。東からは石北東線として、昭和2(1927)年10月10日遠軽-丸瀬布間が開業。昭和4(1929)年8月12日白滝まで延伸された。昭和7(1932)年10月1日、東西の路線が結ばれ(新旭川-遠軽間)全通した。この際、名寄本線旧湧別線区の遠軽-野付牛間が編入され、新旭川-野付牛(現;北見)間が石北線となった。名寄本線は平成元(1989)年5月1日廃止されている。
 昭和36(1961)年4月1日網走本線の区間統合が行われ、北見-網走間を分離、石北線に編入。残る池田-北見間を池北線とした。これにより、新旭川-網走間が石北本線に改称された。
 池北線は、平成元(1989)年6月4日北海道ちほく高原鉄道に移管。ふるさと銀河線となったが、平成18(2006)年4月21日全線廃止となっている。他に支線・連絡線として中湧別-網走間の湧網線と美幌-北見相生間の相生線が建設されたが、それぞれ廃止されている。湧網線、昭和10(1935)年10月10日開業・昭和28(1953)年10月22日全通・昭和62(1987)年3月20日廃止。相生線、大正13(1924)年11月17日開業・大正14(1925)年11月15日全通・昭和60(1985)年4月1日廃止。
 石北本線の歴史の中で避けて通れないのが、生田原-金華間にある常紋トンネルの建設である。この付近は、もともと急勾配の地にあり、鉄道ファンには撮影の名所として知られていた。しかし、駅職員や鉄道ファンの中で幽霊を見たという人間が多数あらわれ、「常紋トンネルには人柱が埋まっており、彼等の亡霊がトンネルや信号場に出る」というのが噂が流れるようになった。標高約300mところにある全長507mほどの常紋トンネル。しかし、大正3(1914)年の開通までに3年を要する難工事となった。この工事の際、タコ部屋という囚人同様の扱いをされた労働者が多数動員され、強制や虐待の重労働と栄養不足によって多くの命が奪われたとされている。十勝沖地震(昭和43(1968)年)による損傷改修工事が昭和45(1970)年に行われ、その際、壁から立ったままの人骨や入口付近でも大量の人骨が発見され、噂の一部が確認された。


[車窓の楽しみ方]
 新旭川→遠軽間、宗谷本線から分岐すると東に向きを変え、旭川市街の東を北にむかう。駅周辺には住宅があるが、水田の中を走る。愛別付近から石狩川に沿って走る。だいぶ川幅を狭くなり、谷を流れ下る感じで、札沼線の石狩川の河口付近とだいぶ印象が違う。
 上川付近からますます谷が深くなり、車窓の左右に山の壁があるようになる。北見峠の石北トンネルを抜けると、湧別川とともにゆっくり谷を駆け下っていくようになり、遠軽に到着する。途中、朝と夕2本しか列車が止まらない上白滝駅がある。駅舎内には、退屈しないようにと本などが置かれていた。また、生野駅には日に4本しか止まらない。
 車窓は左右あまり変わりはない。
 遠軽→網走間、遠軽で方向転回(スイッチバック)して南に進む。山深い原野の中を徐々に標高を上げ、難工事の末完成した常紋トンネルを抜ける。特急に乗るとあっという間に通過してしまう。留辺蕊から東に向きを変え、北見国道を一緒に走るようになる。地下トンネルを抜けると北見に着く。
 北見から高架区間を走り、遠くに山の峰、手前に北見市街の家の屋根や畑作地帯を見ながら走るので気持ちがよい。緋牛内から再び原野を走り、右や左に向きを変えながら山を越え、割と川幅の広い網走川を渡ると美幌。女満別から進行(網走)方向左側に雄大な網走湖が広がる。冬季には、一面氷の白い平面になる。再び川幅が狭くなった網走川や国道とともに網走のゴールテープを切る。こうして網走に到着する。
 車窓は進行(網走)方向左側が楽しい。



● 乗りつぶし記録

  ・2001.05.11. 最東端の地へ、その帰り網走→新旭川間に乗車。完乗達成。
  ・2005.03.11-12. 流氷作戦で網走へ、(夜行特急オホーツク9号で)新旭川→網走間に乗車。



● 駅舎写真

新旭川駅(2006.03.) 当麻駅 上川駅
上白滝(2011.11.) 白滝駅 旧白滝駅
下白滝駅(2011.11.) 丸瀬布駅(2011.11.) 瀬戸瀬駅(2011.11.)
遠軽駅(2011.11.) 安国駅(2011.11.) 生野駅(2011.11.)
生田原駅(2011.11.) 金華駅(2011.11.) 西留辺蕊駅(2011.11.)
留辺蕊駅(2011.11.) 北見駅 緋牛内駅(2011.11.)
西女満別駅(2011.11.) 女満別駅(2011.11.) 網走駅(2005.03.)


(ともりんが)行ってみたい撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地石北本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)




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