篠栗線

最終更新日2006.10.05.




桂川-吉塚間 25.1km

※ 距離もさぼど長くなく、とても多くの列車が運行されているので乗りつくしは容易。
● 基本データ

 篠栗線(ささぐりせん)は、筑豊本線桂川駅からほぼ西へ進み鹿児島本線吉塚駅に至るJR九州の幹線路線である。篠栗線は、篠栗町から産出される石炭を輸送する為に、明治時代に建設された吉塚-篠栗間と、昭和40(1960)年代に三郡山地を篠栗トンネルで貫いて建設された篠栗-桂川間とに歴史的に分けることができる。
 篠栗町北西部にあった炭鉱から産出される石炭輸送の為、九州鉄道が明治37(1904)年6月19日、吉塚-篠栗間を開業している。当初、鹿児島本線とは箱崎で接続する予定であったが、地元住民の反対で、博多よりに吉塚駅を新設、そこで接続することになった。さらに博多までは、明治38(1905)年2月16日鹿児島本線に単線を併設する形で延伸開業している。明治40(1907)年7月1日九州鉄道が買収され国有化、明治42(1909)年10月12日の国有鉄道線路名称設定で博多-篠栗間が篠栗線となった。篠栗線の路線を鹿児島本線の複線化に転用されることで、明治44(1911)年5月5日、起点が博多から吉塚に変更されている。
 篠栗から先は、大正11(1922年)年4月11日公布された改正鉄道敷設法別表第110号に「福岡県篠栗ヨリ長尾(現;桂川)附近ニ至ル鉄道」と規定されたが、これには三郡山地の八木山峠に長大トンネルを掘削する必要があった為、長い期間実施されることはなかった。篠栗トンネルの掘削が完成し、昭和43(1968)年5月25日桂川まで延伸開業、全通した。
 全通後は沿線の宅地開発が進み、昭和59(1984)年2月1日貨物営業が廃止、平成3(1991)年3月16日、鹿児島本線の吉塚-博多間にもう路線が作られ(三線化)全列車が博多駅直通となり、さらに平成13(2001)年10月6日全線電化されるなど、福岡の近郊路線として発展した。
 これにあわせて、直通運転が行われていた筑豊本線を含む黒崎-直方-桂川-博多間が福北ゆたか線の愛称が使われるようになった。また、昭和63(1998)年3月13日、香椎線との立体交差上に連絡駅として長者原(ちょうじゃばる)が新設され、福岡市街地への通勤・通学網が整備された。
[車窓の楽しみ方]
 桂川駅を出発した列車は筑豊本線と分かれ、一路三郡山地の山の中へ。お隣の筑前大分駅までは、集落が見られるが、駅を出発すると山の中を蛇行しながら進む。次の九郎原駅を出発して、すぐ篠栗トンネルの闇がはじまる。しばらく、闇が続くが、トンネルを抜けると城戸南蔵院前駅。進行(吉塚)方向右手後方に巨大な涅槃の石像を見ることができるが、これは上り(桂川方面にむかう列車)からの方がよさそうである。
 ここから篠栗駅まで一気に谷を駆け下る。電化された高架区間、速度もそれなりに出ているので、早いスピードで木々や山が通過していく車窓が楽しめる。また、筑前山手駅付近では、進行(吉塚)方向左手後方にはお寺の赤い屋根が見えたりする。
 家屋が増えてくると篠栗駅。ここからは一転、のんびりした水田地帯が広がる。長者原駅付近から住宅が、原町-柚須駅間から小さな町工場が増えてくる。山陽新幹線の高架をくぐると高架がはじまり、宇美川を渡ると鹿児島本線と合流。終点吉塚駅に到着する。
 車窓は、左右それほど差がない。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.08.17. 北九州攻略作戦で、桂川→吉塚間に乗車。完乗達成。
  ・2006.08.18. 同、吉塚→桂川間に乗車。桂川→吉塚間に乗車。往復完乗達成。



● 駅舎写真

桂川駅(2006.08.) 筑前大分駅(2006.08.) 長者原駅
原町駅(2006.08.) 吉塚駅(2006.08.)



(ともりんが)行ってみたいおすすめ撮影ポイント

  筑前山手駅で、お寺をバックに入線する列車を撮影してみたい。



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