長崎本線

最終更新日2012.02.22.


● 基本データ

 長崎本線は、鹿児島本線の鳥栖から佐賀、諫早を経由し長崎に至るJR九州の幹線路線である。また、旧線区である喜々津-長与-浦上間の別線を持つ。
 鹿児島・日豊本線ともに九州を代表する路線であり、寝台特急をはじめ多くの特急が運行されている。特に国鉄の分割民営化後は、デザイナーの手による特急列車(車輌)が投入され、その斬新なデザインに目が奪われる。
 路線の建設は、九州鉄道が長崎線として鳥栖-佐賀間を明治24(1891)年8月20日に開業させたのにはじまる。長崎へは肥前鹿島を経由して有明湾に沿って進むのが最短になるのだが、海岸に沿ったコースは入り組んだ地形が多い為、佐賀からそのまま西に進み早岐から南進、大村湾に沿って進む現在の佐世保線大村線のルートで建設されることになった。明治28(1895)年5月5日武雄(現;武雄温泉)、明治30(1897)年7月10日早岐までが延伸開業した。一方、長崎方面からも建設が進み、長与-長崎(現;浦上)間が明治30(1897)年7月22日に開業している。翌明治31(1898)年1月20日早岐-大村間が延伸開業した。この際、長与-大村間の大村湾に連絡船を開設して暫定的な連絡機関とした歴史があるが、10ヵ月後の同年11月27日、大村-諫早-長与間の路線が完成しその役目を終えた。こうして鳥栖-早岐-長崎間が開通した。明治40(1907)年7月1日九州鉄道は買収され国有化、明治42(1909)年10月12日の国有鉄道線路名称制定で鳥栖-早岐-長崎間が長崎本線とされた。それより前の明治38(1905)年4月5日に浦上から長崎に延伸されている。また、出島埠頭に発着する上海航路との連絡の為、昭和5(1930)年3月19日、長崎-長崎港間(1.1km)が延伸された。太平洋戦争の激化した昭和18(1943)年頃により上海航路が廃止された後、この区間は貨物線として使われていたが、国鉄最後の日となった昭和62(1987)年3月31日に正式に廃止された。
 大正11(1922)年4月11日に公布された改正鉄道敷設法で、「佐賀県肥前山口附近ヨリ鹿島ヲ経テ長崎県諌早ニ至ル鉄道」(別表114号)、「長崎県喜々津ヨリ矢上ヲ経テ浦上ニ至ル鉄道」(同114号の2)として規定されたこともあり、有明湾に沿ってのルートと市布経由の新線が建設されることになった。肥前山口からは有明線として、肥前竜王までが昭和5(1930)年3月9日に開業した。同年11月30日肥前浜まで延伸。一方、諫早からは湯江までが昭和9(1934)年3月24日に開業した。この際、諫早-湯江間が有明西線に、肥前山口-肥前浜間が有明東線になった。同年4月16日肥前浜-多良間が、そして同年12月1日多良-湯江間が延伸開業し、肥前山口-肥前鹿島-諫早間が完成した。同区間が長崎本線に編入され、同時に肥前山口-早岐間が佐世保線に、早岐-諫早間が大村線にそれぞれ分離された。喜々津から最短コースで長崎に至るルートは、途中のいくつかのトンネルが完成した昭和47(1972)年10月2日に開業。この際、特急・急行などの列車は新線経由に変更された。また、全線の電化は昭和51(1976)年6月6日に完成している。昭和62(1987)年4月1日に他の線区と一緒にJR九州に移管された。
 平成23(2011)年春の開業が予定されている九州新幹線から諫早付近で分岐、長崎まで至る新幹線(西九州(長崎)ルート)の建設が、現在計画されている。長崎本線の肥前山口-諫早間が(経営分離してもよいとされる)並行在来線として指定され、JR九州も経営分離する方針を考えているが、第三セクター方式で経営分離されると特急が全廃、多くの列車が減便されることが予想され、特急「かもめ」を絶滅危惧種になぞらえ、「"かもめ"を絶滅させるな!」と沿線一部自治体がこれ(新幹線建設)に反対している。
 長崎本線を走る優等列車は、博多-鳥栖-長崎間の特急「かもめ」をはじめ、鳥栖-肥前山口間を走り佐世保線に乗り入れる特急「みどり」「ハウステンボス」や、京都-長崎間を走る寝台特急「あかつき」がある。また、快速「シーサイドライナー」も大村線経由で(諫早から)乗り入れてくる。そして、国鉄色気動車も長崎付近で走っている。




鳥栖-長崎間 125.3km  喜々津-浦上間 23.5km  計148.8km

※ 特急、普通とも本数が多いので乗りつくしは容易。しかし、多良-諫早間は日中普通列車の本数が少なくなるので注意が必要。



[車窓の楽しみ方]
 鳥栖と出発すると、雄大な筑紫平野の水田地帯の中を走るようになる。進行(長崎)方向右手遠方には背振山地まで、左手は地平線まで水田が広がる。こうして、吉野ヶ里公園駅に着く。古代の巨大集落の生計はこの水田によるものとよく分かる。吉野ヶ里遺跡へは、吉野ヶ里公園駅か神埼駅からそれぞれ徒歩10分程。列車に乗っていると分かりずらいのだが、この区間では架線柱の間隔が狭く、それで柱が両方にある。これは、筑紫平野の地盤がゆるいからなのだそうだ。
 市街地が広がり出すと佐賀、しばらく走ると再び水田地帯を走るようになる。久保田で唐津線と、肥前山口で佐世保線と分岐すると、進行方向が南へと変わっていく。肥前七浦付近から海沿いを走るようになり、車窓がとても気持ちがよいものになる。大潮の引き潮の時には、干潟が沖の方まで続くので驚かされる。小長井付近から島原半島が見えはじめ、天気が良いときには雲仙普賢岳も望むことができる。そして、諫早湾の干拓する為築かれた潮止め堤防が見えてくる。堤防の付け根は地形の関係で見ることができないが、沖まで続く堤防は圧巻である。こうして諫早に着く。
 諫早からの喜々津へ、ここからの新線と旧線とに分岐する(左;新線、右;旧線)。新線はほぼトンネルで、トンネルとトンネルの間に駅があるような感じだ。このように浦上へむかう。一方、旧線は新線と分岐後、大村湾に沿ってのんびり進んでいく。ときには、対岸に大村市街も見て取ることができる。大草を出発すると、いよいよ大村湾ともお別れ水田地帯の中、急勾配を登っていく。トンネルを越え、下り坂になると次第に家屋が増えてきて、長崎市街がはじまる。新線と合流すると浦上。進行(長崎)方向右手、建物と建物の間から稲佐山が見えてくると終点長崎に到着する。
 車窓は、進行(長崎)方向左手が有明湾の海が望めて楽しい。



● 乗りつぶし記録

  ・2003.03.13. 九州1周旅行で、鳥栖→長崎間に乗車。
  ・2003.03.13. 同、浦上→諫早→佐賀→鳥栖間に乗車。
  ・2006.08.18. 北九州攻略作戦で、鳥栖→久保田間に乗車。
  ・2007.07.28. 西九州攻略作戦で、久保田→佐賀→肥前山口間に乗車。
  ・2007.07.28. 同、諫早→東園→喜々津−(長与経由)→長崎間に乗車。完乗達成。
  ・2007.07.29. 同、長崎→諫早/諫早→鳥栖間に乗車。
  ・2009.03.29. 同、鳥栖→吉野ヶ里公園/神埼→鳥栖間に乗車。
  ・2010.11.23. 九州撮影旅行で、鳥栖→肥前山口→鳥栖間に乗車。
  ・2011.08.20. 九州遠征で、鳥栖→浦上間に乗車。
  ・2011.08.21. 同、長崎→諫早/肥前山口→鳥栖間に乗車。



● 駅舎写真

鳥栖駅(2003.03.) 吉野ヶ里公園駅(2009.03.) 神埼駅(2009.03.)
伊賀屋駅(2010.11.) 佐賀駅(2003.03.) 久保田駅(2006.08.)
肥前山口駅(2007.07.) 諫早駅(2003.03.) 喜々津駅(2007.07.)
東園駅(2007.07.) 浦上駅(2003.03.) 長崎駅(2003.03.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地長崎本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)



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