日豊本線

最終更新日2011.01.15.




西小倉-鹿児島間 461.8 km

※ 全線を通じて特急がよく整備されているので、距離は長いが乗りつくしは比較的楽。普通列車の場合には、日に3本しかない佐伯-市棚間に注意が必要。それ以外は比較的本数が多い。
● 基本データ

 日豊本線は、鹿児島本線西小倉から大分、延岡、宮崎と九州東海岸の主要都市を結び、鹿児島本線の鹿児島まで至るJR九州の幹線路線である。鹿児島本線が九州の西回り、日豊本線が九州の東回りを受け持っている。
 路線の建設は小倉からで、九州鉄道が小倉-行事(現:行橋)間を明治28(1895)年4月1日に開業させたのにはじまる。その先は、豊州鉄道が明治30(1897)年9月25日に長洲(一時宇佐、現;柳ヶ浦)まで開業させた。その後、明治34(1901)年9月3日豊州鉄道は九州鉄道に合併され、さらに明治40(1907)年7月1日九州鉄道は買収・国有化された。明治42(1909)年10月12日の国有鉄道線路名称制定で小倉-柳ヶ浦間が豊州本線になった。この先は、官設鉄道として建設が続き、明治42(1909)年12月21日宇佐、明治43(1910)年12月15日中山香、明治44(1911)年3月22日日出、同年7月16日別府、同年11月1日大分まで延伸開業した。その先、大正3(1914)年4月1日幸崎、大正4(1915)年8月15日臼杵、大正5(1916)年10月25日佐伯、大正9(1920)年1月20日神原、大正11(1922)年3月26日重岡まで小刻みに延伸開業した。
 このように九州の東海岸の路線の建設は進んでいったが、西海岸の鹿児島本線の建設は(国防上の理由から)八代から吉松を通って鹿児島に至るルートで建設されることになった。この吉松から分岐し、宮崎まで結ぶ為に宮崎線が建設されることになり、大正元(1912)年10月1日の開業以降、順次路線を延ばし大正2(1913)年10月8日都城まで延伸された。この後、宮崎・都城両方から建設が進み、大正5(1916)年10月25日宮崎まで(宮崎-都城-吉松)開業した。
 宮崎より北は、宮崎県営鉄道が妻線として、大正2(1913)年12月15日宮崎-福島町間を開業させ、翌大正3(1914)年4月26日佐土原(後の西佐土原)まで、そして、広瀬(現;佐土原)まで延伸開業させたが、宮崎県営鉄道妻線は国に買収、宮崎線に編入され吉松-宮崎-広瀬間が宮崎本線となった。その後、路線を北に延ばし、大正9(1920)年9月11日高鍋、大正10(1921)年6月11日美々津、同年10月11日富高、大正11(1922)年2月11日南延岡、同年5月1日延岡、同10月29日日向長井、大正12(1923)年7月1日市棚まで延伸した。
 宮崎・大分県境の市棚-重岡間が開業され、小倉から宮崎さらには都城間が繋がった。この際、福岡・大分県に広がる豊州本線と宮崎県にあった宮崎本線が統合され、小倉-宮崎-都城-吉松間が日豊本線となった。
 残る都城-鹿児島間だが、鹿児島からは鹿児島線(後に鹿児島本線)として、国分(一時西国分、現;隼人)-鹿児島間が明治34(1901)年6月10日開業している。都城からは志布志線として、都城-西都城-末吉間が大正12(1923)年1月14日に開業している。この志布志線はその後複雑な歴史を辿ることになるが、これに関しては日南線を参照をして頂きたい。この志布志線の西都城から国分(現;隼人)間を建設する為、西都城から国都東線として、昭和4(1929)年4月28日財部、昭和6(1931)年11月1日大隅大川原までが開業。西国分から国都西線として、昭和4(1929)年11月24日西国分-国分(2代目)、昭和5(1930)年7月10日霧島神宮までが開業。昭和(1932)7年12月6日、大隅大川原-霧島神宮間が開業、小倉-鹿児島間が全通したことになる。この際、西都城-西国分(現;隼人)間が日豊本線に編入され、この際、都城-吉松間は分離され吉都線となった。
 さらに、鹿児島本線の海側のルートが完成した昭和2(1927)年10月17日、八代-吉松-西国分-鹿児島間が分離され、八代-吉松-西国分(昭和5(1930)年9月15日隼人に改称)間が肥薩線となり、西国分-鹿児島間が日豊本線に編入され、昭和(1932)年12月6日の線路名称制定で小倉-宮崎-都城-隼人-鹿児島間が日豊本線となった。  優等列車は以前小倉-鹿児島の全区間を走るものもあったが、現在では大分駅・宮崎駅または南宮崎駅を境に運転系統が分かれている。博多-大分間(上りの一部柳ヶ浦)に「ソニック号」(時に白い車体で)が、小倉-宮崎(宮崎空港)間に「にちりん号」が、博多-宮崎(宮崎空港)間に「にちりんシーガイア号」が、延岡-南宮崎間に「ひゅうが号」が、宮崎(一部霧島神宮・国分)-鹿児島間に「きりしま号」が運行されている。また、別府-大分間には久大本線・豊肥本線直通の特急も走る
 普通列車は大体、宇佐駅・佐伯駅・延岡駅・宮崎駅で運転系統が分かれている。特筆すべきは、佐伯-市棚間が日に(普通列車が)3本(朝・夕・夜)しか運行ないことである。幹線にもかかわらず、これは北海道や中国山地を走るローカル線に匹敵する密度である。
 また、夜行(特急)として、東京-大分間を走る「富士号」や博多-小倉-南宮崎(下りは宮崎空港)間を走る「ドリームにちりん号」がある。この列車は寝台車はなく座席で寝ることになるのだが、下りは博多-小倉-行橋間・延岡-宮崎空港間、上りは小倉-博多間を除いて、比較的乗客が少ないので、このような寝方ができる。ただ、下り・上りとも、明け方には宮崎・博多に近づき乗客が増えてくるので、他の乗客の迷惑にならない範囲で。
[車窓の楽しみ方]
 西小倉を出発した列車は鹿児島本線から分岐し、一路南に向かう。北九州工業地帯が近いので、まだ車窓には工場が多い。北九州都市高速の高架をくぐると進行(大分)方向右手にJRの小倉工場が見える。小倉市内を流れる紫川を渡ると住宅街が増え、城野になる。日田彦山線が分かれていくと、進行(大分)方向右手に、車窓に関門海峡から連なる山が見えてくる。左手が開けてくると工場や家屋が増え、セメント工場やそれに続くコンベア―をくぐるとと苅田。そして、沿線に水田などが見えると行橋に着く。
 行橋から今川を渡ると平成筑豊鉄道の路線が分かれていき、のんびりとした水田地帯を走る。途中、築城航空自衛隊基地のアンテナ群が見える。進行(大分)方向左手に整備された海岸線が見えてくると宇島。吉富が近づくと工場群が見え、吉冨から福岡・大分県境を流れる三国川を渡ると城下町中津に着く。慶応義塾の創立者で10000円札の肖像に使われている福沢諭吉の出身地である。小さな工場、水田、集落と車窓が過ぎていき柳ヶ浦。この区間では耶馬溪などがある英彦山(ひこさん)山系を進行(大分)方向右手に見ることができて楽しい。また、進行(大分)方向左手、水田の先に国東半島の山々も望むことができる。柳ヶ浦を出ると駅館川(やっかんがわ)を渡り宇佐に着く。日本三大八幡であり、古代の時代、宇佐八幡信託事件として有名な宇佐八幡神社は駅から車(かバス)で10分ほど。
 ここから山沿いを走るようになり、いくつかのトンネルを越えると杵築。この区間では難所を抜けるため、2度ほど上下線が分かれるようになる。さらに山の中を走り、海が見えてくるのは日出(ひじ)を出てからである。海沿いを走り、集落が増えてくると一大観光地別府に着く。地獄巡りなどの観光の中心地は駅からバスで約15分ほど。観光するには半日以上欲しい。温泉だけなら駅前温泉でも楽しい。別府からは海岸線を走り、進行(大分)方向左手、国道10号線の先に別府湾の海が広がり、とても美しい。また、左手後方には別府市街が広がる。また、時間が合うと大阪-大分間に就航しているさんふらわあ号を見ることができる。途中、野生の猿が生息する国立公園高崎山自然動物園の建物が見える。こうして市街地が広がると大分に着く。

 大分を出発すると久大本線と、大分川を渡ると豊肥本線と分岐し、日豊本線の路線は大分の新興住宅街の中を走っていく。しばらく住宅街の中を走り、大野川を渡る。渡った後も住宅街が続くが、屋根と屋根の先、進行(佐伯)方向左手に工場の煙突や造船所のクレーンが見えるので、海が近いことがうかがい知ることができる。これが幸崎まで続く。ここから、線路が大きく右にカーブし、山の中に入っていく。まばらにある集落を過ぎると、少し長い佐志生(さしう)トンネルになり、トンネルを抜けても、しばらく山の中を走るようになる。再び、家屋が増えてくるのは熊崎を過ぎてから、臼杵川を周り込むように走ると臼杵に着く。臼杵には国宝の「臼杵石仏」がある。大分県には石の文化と言われるほど多くの石仏があるが、その中では最も有名であるかもしれない。しかし、国宝に指定されたのは、平成7(1995)年6月15日と最近のこと。傷みがひどくなった臼杵磨崖仏の保存修理が昭和55(1980)年〜平成6(1994)年まで行われた。この際、本来の姿に近い、見事な出来栄えをなったことが高い評価を受け、59体の磨崖仏が石仏としては我が国では初めて国宝という経緯があるからだ。ただ、駅の西約4kmにあるので、少々遠い。だが、駅前には保存修理が可能かどうかを調べる為に製作された臼杵磨崖仏の複製があり、石仏がどのようなものであるか知ることができる。そして、駅ホームにも石仏の大日如来像頭部がある。また、同じくホームから臼杵港にある造船所のクレーンが見える。
 臼杵を出発すると海が見えるが、すぐに山の中に入っていく、少し長いトンネルを抜けると、幾つものコンベア―が頭上を通過するので驚かされる。これは、津久見港にある太平洋セメントの工場に石炭を運ぶ為のものであるが、津久見に着く少し前、進行(佐伯)方向右手に巨大な石灰採石場があり、こちらにも驚かされる。ここから佐伯までは、山→海→山の繰り返しになるが、その中で最も海が美しいのは、日代-浅海井間。豊後水道の先、遠く四国まで望むことができる。車窓に工場が見えると海崎、そして、佐伯に着く。

 佐伯を出ると、家屋や小さな工場などの中を走り、それを抜けると番匠川を渡り、耕作地帯の中を走り、どんどん標高を上げていく。直見を出ると、番匠川の支流久留須川が近づいてくる。しばらく、この川が作り出した平野をのんびり走るようになるが、川のほうは大きく蛇行を繰り返すので、路線に近づいたり遠ざかったりする。徐々に谷が深くなり、同時に線路は谷の高いところを走るようになるので、生い茂った木々に隠され、川面は見えなくなってくる。そして、重岡、宗太郎と氏名になるような駅が続く。宗太郎を出発すると、宮崎県に入り、今度は日向灘に流れ込む北川の支流小川に沿って、谷を駆け下っていく。しかし、同じように雑木林で川面はしばらく見ることができない。この間は、本線にも関わらず列車の運行本数の少ない区間。これはすなわち路線が難所を通過することを意味するのだか、その分、車窓から見える渓谷は素晴らしい。川を何度か渡り、川幅が広がってくると北川になる。北川とを出ると、その名の通り北川に沿って下っていき、かなり川幅が広くなると北延岡。そして、北川が離れていき、家屋が増え、五ヶ瀬川の支流祝子川を渡ると延岡市街に入り、延岡に着く。

 延岡を出発した列車は、高千穂から流れ出た五ヶ瀬川と大瀬川の合流点を渡る。延岡は旭化成の城下町、進行(宮崎)方向右側に工場群が広がる。次第に左手に山が迫り、家屋の向こうに海が見えるようになる。山間の土地を越え、港が見えると門川。五十鈴川を渡り、街並みが広がると日向市になる。ここから切り立った海岸線を走るようになるが日向灘の海が美しい。こうして美々津に着く。ここから日向灘に沿った平らな土地をまっすぐ走るようになるのだが、防風林があり海を見ることができない。そうこうするうち高架線があらわれ進行(宮崎)方向左側に5kmほど並走するようになる。これはリニア実験線の跡で、山梨県に実験線が移るまでここで高速鉄道の実験が行われていた。都農(つの)を出発してしならくすると海岸線を走り気持ちがよい。河口が大きく広がった小丸川を渡ると高鍋。ここから海沿いから離れ水田地帯が広がる。一ツ瀬川を渡ると佐土原。徐々に市街地が広がり出すと宮崎に着く。
 宮崎を出発して大淀川を渡ると南宮崎。ここから日南線が分岐し、宮崎空港へ向かう列車もここでお別れとなる。しばらく住宅街が続くが、加納を出ると山になり、清武川を渡ると清武。ここから段々上り坂になり、進行方向左右から険しい山々が近づいてくる。田野を出発すると、線路は左右に蛇行し上り坂を登っていく、SL時代には難所であったこの区間は、特急や新型車輌の普通列車は苦もなく登っていく。もっとも標高の所にある青井岳トンネルを越えると下り坂になり、市街地が広がり都城に着く。
 都城から高架路線を走り西都城。ここから志布志線が分岐していたのだが、高架路線にその遺構が残る。また、高架を走るので市街地がよく観察できる。ここから山間の路線を走り霧島神宮。有名な霧島神宮は駅から北北東に4kmほど。また、この霧島神宮をはじめ、吉都線、肥薩線、指宿枕崎線にはおめでたい駅が多いのでこれらをめぐる切符が日豊本線では隼人で販売されている。いくつかのトンネルを越え、山を下ると国分の市街が広がり、天降川を渡り、肥薩線と合流すると隼人になる。隼人は竹の産地だそうで、駅舎だけでなく、駅舎内や待合室も竹で覆われていた。
 隼人を出てしばらくすると進行(鹿児島)方向右側に霧島連峰が見えるが、ここからは鹿児島(錦江)に沿って走るようになり、重富から先で海が見える。天気がよいと雄大な桜島が海に浮かびとても気持ちがよい風景が広がる。桜島が近づき、海側にあった国道10号が線路の上を通り過ぎると海岸線との別れが近いことを告げている。トンネルを抜けると鹿児島市街に入り、こうして終点鹿児島に到着する。しかし、全ての列車は1つ先の鹿児島中央に向かう。
 車窓は全般的に進行(鹿児島)方向左が海沿いを走るので楽しい。



● 乗りつぶし記録

  ・2003.03.15. 九州1周旅行で、延岡→宮崎→南宮崎間に乗車。
  ・2003.03.15-16. 同、ドリームにちりんにて南宮崎→西小倉間に乗車。
  ・2003.03.16. 同、西小倉→宇佐→杵築→別府→大分間に乗車。
  ・2003.03.16. 同、寝台特急富士にて大分→西小倉間に乗車。
  ・2006.08.17. 北九州攻略作戦で、城野→西小倉間に乗車。
  ・2007.03.30-31. 南九州攻略作戦で、ドリームにちりんにて西小倉→南宮崎間に乗車。
  ・2007.03.31. 同、南宮崎→都城/隼人→鹿児島間に乗車。
  ・2007.04.02. 同、鹿児島→南宮崎間に乗車。完乗達成。
  ・2007.04.02-03. 同、ドリームにちりんにて南宮崎→西小倉間に乗車。
  ・2008.03.29. 九州完乗作戦で、西小倉→南延岡→大分間に乗車。
  ・2008.03.31. 同、大分→西小倉間に乗車。
  ・2009.07.19. 奄美日食作戦で、西小倉→宮崎→鹿児島間に乗車。
  ・2009.07.24. 同、鹿児島→西小倉間に乗車。
  ・2010.08.21. 九州鉄道記念館号撮影で、行橋→西小倉間に乗車。
  ・2010.11.21. 九州撮影旅行で、南宮崎→宮崎間に乗車。
  ・2010.11.22. 同、宮崎→鹿児島→南宮崎/南宮崎→別府間に乗車。
  ・2010.11.23. 同、別府→西小倉間に乗車。



● 駅舎写真

西小倉駅(2006.08.) 城野駅(2006.08.) 朽網駅(2010.08.)
小波瀬西工大前駅(2010.11.) 行橋駅(2003.03.) 宇佐駅(2003.03.)
中山香駅(2009.07.) 杵築駅(2003.03.) 別府駅(2003.03.)
大分駅(2003.03.) 熊崎駅(2009.07.) 臼杵駅(2008.03.)
佐伯駅(2008.03.) 直川駅(2009.07.) 延岡駅(2009.07.)
南延岡駅(2008.03.) 土々呂駅(2009.07.) 東都農駅(2009.07.)
高鍋駅(2009.07.) 佐土原駅(2009.07.) 宮崎駅(2007.03.)
南宮崎駅(2007.03.) 青井岳駅(2009.07.) 都城駅(2007.03.)
西都城駅(2009.07.) 北俣駅(2009.07.) 国分駅(2010.11.)
隼人駅(2007.04.) 重富駅(2009.07.) 鹿児島駅(2003.03.)



(ともりんが)行ってみたいおすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地日豊本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)
 この他、菜の花が満開の築堤を行く列車が撮影できる杵築-大神間、大淀川を渡る宮崎-南宮崎間、二つのトラスト橋を行く列車が撮影できる南日向-美々津間、霧島山を遠景にできる霧島神宮-国分間、SL時代のお立ち台田野-青井岳間など。



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