福知山線

最終更新日2012.02.10.




尼崎-福知山間 106.5km
※ 尼崎-新三田間は数多くの列車があるが、それ以北は
30分〜1時間に1本なる。しかし、(乗りつぶしは)それ
ほど難しくはない。
● 基本データ

 福知山線は、東海道本線の尼崎から山陰本線の福知山に至る幹線路線である。
 川辺馬車鉄道が明治24(1891)年9月、尼ヶ崎(後の尼崎港)-伊丹間を開業させたのにはじまる。翌年6月川辺馬車鉄道は摂津鉄道に改称、開業区間と新規区間を軽便鉄道規格(軌間762mm)として建設、明治26(1893)年12月12日、伊丹-池田(現;川西池田)間が開業した。
 明治22(1889)年、海軍の鎮守府が舞鶴に設置する事が閣議決定し(明治34(1901)年開庁)、摂津鉄道に出資していた小西新右衛門らが、大阪と軍港で日本海側の主要都市の1つであった舞鶴を結ぶ鉄道を計画、明治30(1897)年2月16日阪鶴鉄道が設立された。阪鶴鉄道は摂津鉄道を合併する形で建設をすすめ、伊丹-池田間の軌間を1067mmに改軌し、さらに同年年12月27日宝塚まで延伸した。明治31(1898)年6月8日有馬口(現;生瀬)まで延伸、同時に路線の南では、枝分かれする形で神崎(現;尼崎)-塚口間が開業した。
 明治32(1899)年には路線が順次北に伸び、1月25日には三田、3月25日篠山(現;篠山口)、5月25日柏原、7月15日福知山南口(後に福知、現;廃止)まで開業した。
 京都から福知山まで大阪回りで直通列車が走っていた。その先、福知山から阪鶴鉄道の系列会社由良汽舟商社が汽船を運行しており、由良川を下って舞鶴まで約3時間で結んでいた。また、舞鶴の他に、天橋立、宮津、小浜などへの連絡船もあった。
 日清戦争後の三国干渉(明治28(1895)年)などにより、対露戦争が避けられないものと考えた政府は、軍部からの要請もあり舞鶴からの路線の整備を急ぐことになった。明治37(1904)年11月3日福知-福知山間が開業、同時に福知山-綾部-新舞鶴(現;東舞鶴)間が官設で開通し、同区間が阪鶴鉄道に貸与され運行がはじまった。阪鶴鉄道の他に、京都鉄道が舞鶴を目指していたが、明治37(1904)年時点では京都-園部間(後の山陰本線)の開業にとどまっている。
 明治40(1907)年8月1日、阪鶴鉄道(京都鉄道も)が国有化され、明治42(1909)年10月12日、神崎(現;尼崎)-福知山-新舞鶴(現;東舞鶴)間、尼ヶ崎-塚口間が阪鶴線と命名された。明治45(1912)年3月1日、綾部-新舞鶴間を分離、この区間を舞鶴線に改称、同時に残った阪鶴線区間が福知山線となった。
 山陰本線が整備されるようになると、福知山線は亜幹線となり、山陰本線初の特急「まつかぜ」が昭和36(1961)年10月1日に設定されるなどしたが、路線の(電化等の)整備は遅れていた。1980年代後半に篠山口以南の沿線が開発されるようになると、電化・複線化が進み、近郊の通勤・通学路線としての性格を強め、昭和63(1988)年3月13日JR宝塚線という愛称を大阪-篠山口間で使用されるようになった。平成9(1997)年3月8日、尼崎-篠山口間が複線化されると、同時に開業したJR東西線に乗り入れ、片町線との直通運転が開始された。
 馬車鉄道から三田の人や物を運ぶ軽便鉄道へ、そして政府や軍の要請にこたえる、戦後は通勤・通学路線と、路線の建設や整備の目的が時代によって変わっているので面白い。

 平成17(2005)年4月25日午前9時18分頃、尼崎-塚口間で脱線事故が発生し、死者107名(乗客106名、運転士1名)、負傷者は549名を出す惨事が発生した(同年6月19日復旧)。ここに哀悼の意を表するとともに、今後このような事故が起こらないことを切に願う。



[車窓の楽しみ方]
 尼崎駅を出発するとすぐに東海道本線(JR神戸線)と分かれて北上する。川西池田駅の直前までほぼ北にむかって走り、名神自動車道、阪神神戸線、東海道新幹線や道路の高架を次々にくぐって行く。多くの建物が路線近くまであるので、車窓はそれほど面白くない。
 川西池田駅を出ると、森が多くなってくるが、進行(福知山)方向の右側の山に、造成された家々が広がり、宅地開発が急速になされたことがうかがえる。阪急宝塚本線の高架をくぐると宝塚駅。道路を挟んだ反対側には阪急宝塚駅、そして南東方向5分ほどの所には、有名な歌劇場がある。
 武庫川を渡ると宝塚の隣、生瀬。ここから山が急に近づいてくる。トンネルに入り、明るくなったら西宮名塩駅、またトンネルに入り、明るくなったら武田尾駅と、幾つかのトンネルを抜けて六甲山系の山々を越えていく、尼崎から約30分ほど大都会から山深いものへと車窓が大きく変わるので面白い。こうして三田に着く。三田駅から神戸電鉄の路線が出ており、神戸方面や有名な有馬温泉へむかう。
 ここから田園風景が多くなり、のんびり進む。篠山口の隣、丹波大山駅から加古川水系の篠山川に沿って走るようになるが、谷川駅まで、素晴らしい渓谷美を車窓に映す。また、日本の原風景のような光景が広がるので、下滝駅で途中下車するのも面白い。加古川線の路線が近づくと、谷川駅。谷川は漢方の里ということで、駅から西へ約6kmのところに丹波市立薬草薬樹公園リフレッシュ館があり、駅前には神農炎帝の"のぼり"が乗客を誘っている。
 本州には背骨のように山脈が連なっているが、山脈からの川の水は長い旅をして太平洋か日本海のいづれかに流れ出す。太平洋か日本海かを分かつ山々を分水嶺と呼ばれている。日本の多くの路線が太平洋側の都市から日本海側の都市を結ぶ使命があるので、この分水嶺を越えなければならない。福知山線では石生駅付近に分水嶺が横たわっているのだが、分水嶺の標高が本州で最も低い所なので、トンネルなしに分水嶺を越えることができる。また、石生駅には大正期(か昭和初期)のものと思える階段があって、ローカル線の駅のような風情を楽しむことができる。福知山線は近郊路線として有名だが、篠山口以北に来るとなかなかそれを想像することができない。
 市島駅から由良川や田園風景を見ながら進む。進行(福知山)方向右側に、由良川が作り出した広々とした風景が広がるので気持ちがよい。家屋が増えてきて、家々の間から同じ方向にお城が見えてくると、高架になり、同じく高架の山陰本線と合流すると、福知山駅に到着する。
 車窓は、篠山口まで左右それほど差がない。篠山口から谷川までは谷川駅まで進行(福知山)方向左側。谷川から福知山までは右側が面白い。近郊列車では(ロングシートなので)車窓を楽しむのが難しい、朝夕の福知山直通列車を選択したい。



● 乗りつぶし記録

  ・2001.09.06. 南紀・近畿旅行で、三田→下滝→福知山間に乗車。
  ・2006.03.13. 出雲撮影旅行で、福知山→谷川間に乗車。
  ・2006.03.24. 京都研修旅行で、尼崎→三田→尼崎間に乗車。完乗達成。
  ・2010.12.19. 近畿旅行旅行で、福知山→篠山口→尼崎間に乗車。往復完乗達成。
  ・2011.03.13. 大阪撮影&乗りつくし旅行で、尼崎→南矢代→尼崎間に乗車。
  ・2011.03.25. 関西撮影旅行で、宝塚→広野→三田間に乗車。
  ・2011.03.28. 同、伊丹→尼崎間に乗車。



● 駅舎写真

尼崎駅(2006.03.) 伊丹駅(2011.03.) 川西池田駅(2011.03.)
宝塚駅(2011.03.) 生瀬駅(2011.03.) 三田駅(2001.09.)
新三田駅(2011.03.) 広野駅(2011.03.) 南矢代駅(2011.03.)
篠山口駅(2001.09.) 下滝駅(2001.09.) 谷川駅(2006.03.)
石生駅(2006.03.) 福知山駅(2001.09.) 福知山駅南口(2006.03.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地福知山線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)
 この他、福知山城と列車が撮影できる福知山駅など。



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