姫新線

最終更新日2012.02.21.


● 基本データ

 姫新線(きしんせん)、山陽本線の姫路から津山を経由し、伯備線の新見に至る地方交通線(ローカル線)である。全線非電化で、ローカル線の中では比較的距離の長い路線に入る。しかし、全線を通して走る列車は1本もない。
 西回り航路で運ばれていた産物を鳥取県境港で水揚げし、陸路鉄道で運ぼうとする計画が明治初期になされた。これにより明治25(1892)年6月21日に公布された鉄道敷設法に「兵庫県下姫路近傍ヨリ鳥取県鳥取ニ至ル鉄道又ハ岡山県下岡山ヨリ津山ヲ経テ鳥取県下米子及境ニ至ル鉄道若ハ岡山県下倉敷又ハ玉島ヨリ鳥取県境ニ至ル鉄道」と規定された。現在では中国山地を縦断するように走る姫新線であるが、当初は陰陽連絡線の一角として建設が計画されていたことになる。
 路線の建設は、ますは中国山地を走る津山-新見間ではじまった。これには陰陽連絡線の接続線としての意味合いがあったのかもしれない。津山から西へ、作備線として建設がはじまり、津山-美作追分間が大正12(1923)年8月21日に開業した。同時に後の津山線の一部となる津山-津山口間も開業している。大正13(1924)年5月1日久世、大正14(1925)年3月15日中国勝山まで延伸された。新見から(東へ)は作備西線として、昭和4(1929)年4月14日新見-岩山間が開業。同時に津山-中国勝山間を作備東線に改称されたが、昭和5(1930)年12月11日、中国勝山-岩山間が開業し、津山-新見間が作備線となった。
 作備線が全通する数年前より津山から東への建設がはじまり、初めは津山と鳥取を結ぶ因美線として、昭和3(1928)年3月15日(因美南線の)津山-東津山-美作加茂間が開業した。そして、姫路と津山を結ぶ姫津線(ひめつ)として、姫路から北西への路線の建設もはじまり、昭和5(1930)年9月1日、姫路-余部間が開業した。昭和6(1931)年12月23日東觜崎、昭和7(1932)年7月11日播磨新宮、昭和9(1934)年3月24日三日月まで延伸された。一方、東津山からは姫津西線として、昭和9(1934)年11月28日、東津山-美作江見間が開業。同時に姫路-三日月間が姫津東線と改称された。姫津東線の延伸が続き、昭和10(1935)年7月30日、三日月-佐用間が、昭和11(1936)年4月8日佐用-美作江見間が開業。姫津西線及び姫津東線の名称を改称、姫路-東津山間が姫津線となった。
 こうして現在の路線が完成し、昭和11(1936)年10月10日、作備線及び因美線の東津山-津山間を編入、姫路-新見間そして津山-津山口間が姫新線となった。津山口から南に岡山までは、私鉄の中国鉄道が運営していた。日露戦争以降、多くの私鉄が国有化される中、これは珍しいことであった。しかし、戦時中に中国鉄道が国有化、津山-津山口間を津山線に編入される措置が取られ、姫路-新見間が姫新線となった。昭和62(1987)年4月1日の国鉄分割民営化によりJR西日本に移管、現在に至っている。
 陰陽連絡線として建設された路線であったが、昭和50(1970)年代以降中国自動車道や米子自動車道が開通し、更に智頭-上郡間に平成6(1994)年12月3日に智頭急行線が開業すると、陰陽連絡線としての役目もなくなった。また、戦前・戦後の一時期には、芸備線と一体のダイヤが組まれ、姫路-津山-新見-備後落合-三次-広島間直通という中国山地を貫くように走る列車が日数往復も設定されていたことがあったが、現在はそれぞれの路線で完結する列車のみで、現在は地域輸送が主な仕事となっている。



姫路-新見間 158.1km

※ 運転系統は大体姫路-佐用間、佐用-津山間、津山-新見間の3つに分かれている。全線を通して運転される
列車はなく、それぞれの駅で乗り換える必要がある。姫路が近いと本数は多いが、津山-新見間は本数が
少なく、また長時間運行されい時間帯があるので注意が必要。また、運休日もあることにも留意したい。



[車窓の楽しみ方]
 姫新線は全線非電化なので気動車をなる。しかし、佐用までは、比較的利用車の多い区間を走るので、2輌編成の列車も多い。
 姫路を出発し、山陽本線と分かれ山陽新幹線の高架をくぐると、進行(津山)方面右手に姫路市街が広がる。ただ、線路近くまで家があるので、あまり見通しは良くない。それでも、建物と建物の間から姫路城をわずかだが見ることができる。市街地は、夢前川を渡り余部駅に着くまで続く。余部を出ると、だいぶ竹林や田畑が多くなる。山陽自動車道と並走して、自動車道が頭上を通過していくとタイヤ工場が見える。揖保川の支流林田川鉄橋を渡り、水田の中に家が点在するようになってくると本竜野に着く。
 本竜野の隣、東觜崎駅を出発すると揖保川を渡り、川が進行(津山)方面右手に移ってくる。こうして播磨新宮駅に着くのだか、ここから列車は谷の中に入っていく。国道179号線と仲良く走っていくのだが、山はそれほど高くなく中国山地に入ったのだなぁ、と感じられる。三日月を出ると志文川を渡り、以降カーブが多くなると同時にアップダウンを繰り返すようになる。田畑や家は所々にある程度になるが、隣の播磨徳久までの間、夏に限り車窓にヒマワリ畑が広がる。播磨徳久から山地を抜け、智頭急行線と合流すると、すぐ進行(津山)方面右手に兵庫県第2位といわれる大イチョウが見える。そして、市街地が広がると、佐用に着く。
 駅前ではかぐや姫が出迎えてくれるなど、佐用市はあさぎりと星の都として平成2(1990)年「星の都宣言」をしている。これは一般の客が観望できる国内最大級の望遠鏡を持つ兵庫県立の西はりま天文台が佐用にはあるからだろう。

 佐用からはキハ120形。たいていは1輌で時には2両編成になる。岡山方面にむかう智頭急行線は高い高架になりトンネルの中に消えてゆく。S字に流れる佐用川を3度ほど渡ると上月。ここからやや深い谷になり、兵庫-岡山の県境を越える。岡山県に入ってもカーブと蛇行を繰り返し列車は進んでいく、ぽっと進行(津山)方向右手の車窓にがあらわれると楢原駅。そうして再び中国自動車道と並走し、津山盆地にむけ緩やかに下っていくが、自動車道の方は直線的に市街地にむかっていくような感じだ。こうして林野、ここは美作三湯のうち湯郷温泉の最寄駅である。盆地に広がる水田を見ながら、のんびり列車は進んでいき、東津山の手前で津山市街が広がる。加茂川そして、因美線と合流すると東津山。そして、岡山三川のひとつ吉井川を渡って、津山に着く。
 駅から徒歩5分くらい歩くと吉井川のほとりに出ることができ、そこから津山城を眺めることができる。

 津山を出ると、津山線と分岐、再び吉井川を渡る。市街地の家並みをみつつ院庄。そこから、もう一度吉井川を渡るが、以降吉井川の支流久米川に沿って列車は山間に入っていく。徐々に平地が少なくなってきて、中国自動車道や国道、そして美作追分からは国道に代わって県道が線路の左右にあり、ともに中国山地を西に進んでいくようになる。美作落合からは急に進路が北に変わり、と同時にやや広い平地が広がり水田地帯が広がる。再び、方向は西に変わると久世。隣の中国勝山までの間、多くの木材加工工場を見ることができるのだか、中国山地の森林資源が豊かなことを物語っている。
 中国勝山を出ると、すぐにこれまた岡山三川のひとつ旭川を渡る。新見駅直前で岡山三川の最後、高梁川を渡るから、姫新線は岡山三川全てを渡ることになる。ここから先、険しい谷と平野がはっきりとし、風景が穏やかになると駅になる。こうして、山々が左右から迫ってくると刑部。ここから、急激に下りになり水田地帯を駆け下るようになる。岩山付近では、最後の渓谷風景が楽しめ、新見の市街地に入る。高梁川を渡り、伯備線と合流すると、終点新見に到着する。

 車窓は、全区間左右それほど差がないが、天気が良い日は日が差し込まない、進行(新見)方向右手がいいかもしれない。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.03.12. 出雲撮影旅行で、津山→東津山間に乗車。
  ・2007.08.24. 中国山地攻略作戦で、姫路→津山→新見間に乗車。完乗達成。
  ・2011.09.05. 近畿遠征で、姫路→西栗栖→姫路間に乗車。



● 駅舎写真

姫路駅(2006.03.) 東觜崎駅(2011.09.) 播磨新宮駅(2007.08.)
西栗栖駅(2011.09.) 佐用駅(2007.08.) 東津山駅(2006.03.)
津山駅(2006.03.) 坪井駅(2007.08.) 中国勝山駅
新見駅(2007.04.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地姫新線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)
 他に 満開のひまわり畑の横を行く列車が撮影できる播磨徳久-三日月間などで撮影してみたい。



全線一覧の Pege へ もどる