岩徳線

最終更新日2010.09.04.


● 基本データ

 岩徳線(がんとくせん)は、山陽本線の岩国駅から周防高森など旧山陽道に沿って、同線の櫛ヶ浜駅に至るJR西日本の地方交通線(ローカル線)である。
 山陽本線の短絡線として、1920年代に建設が始められた。路線の東側、麻里布-岩国間が岩徳線として、昭和4(1929)年4月5日開業。一方、路線の西側は、昭和7(1932)年5月29日、櫛ヶ浜-周防花岡間が開業した。これにより、同区間を岩徳西線、あわせて東側が岩徳東線と改称された。その後、岩徳西線は昭和9(1934)年3月28日、高水まで延伸している。
 旧山陽道に沿って路線が設定された為山岳地帯を通ることになり、欽明路トンネルなどの長大トンネルの建設が完了した、昭和9(1934)年12月1日全通した。
 全通と同時に岩徳線(麻里布-周防高森-櫛ヶ浜間)が山陽本線に編入され、麻里布-柳井-櫛ヶ浜間の山陽本線が柳井線として分離された。なお、昭和17(1942)年4月1日、麻里布駅が岩国駅に、岩国駅が西岩国駅とそれぞれ改称されている。西岩国駅は、錦帯橋や岩国城観光の玄関口として、開業当初から賑わっていたようだ。
 昭和5(1930)年には、岩国-櫛ヶ浜間を除いて山陽本線の複線化工事が完了。同様に、周防高森経由での複線化が計画された。しかし、長い欽明路トンネルをもう1本掘らねばならないことから、複線化は柳井線経由で行われることとなり、昭和19(1944)年10月11日、柳井線区間の複線化工事が完了した。同時に、この区間が再び山陽本線となり、岩国-周防高森-櫛ヶ浜間が岩徳線となった。
 現在は、全ての列車が山陽本線の徳山まで乗り入れているが、岩国-徳山間の折返し運転となっている。また、1〜2両の気動車がのんびり走る路線となっている。
 山陽本線や山陽新幹線で広島方面から徳山以西、徳山方面から広島以東に行く場合、運賃は岩徳線経由で計算される(経路特定区間)。これは、岩徳線経由のほうが距離が短いという理由もあるが、元は山陽本線だった名残を残している。



岩国-櫛ヶ浜間 43.7km

※ 1〜2時間おきに運行されているので、乗りつぶしは比較的容易にできる。



[車窓の楽しみ方]
 岩国といえば錦帯橋。しかし、時間がない場合は、駅ホームの錦帯橋で、その美しさを楽しむことができる。
 岩国を出発すると列車か大きくカーブし、北西に向かう。もともとお隣の西岩国が岩国の中心街だっただけあって、しばらく賑やかな街並みが続く。西岩国は岩国城や錦帯橋の最寄駅。また、ここには岩国の威容を誇る駅舎がある。また、駅舎内に立つと大正時代にタイムスリップしたような気分になる。
 西岩国駅を出発すると錦川を越える。川西駅は錦川鉄道の分岐駅。錦川鉄道は、昭和35(1960)年11月1日岩日線として開業。昭和62(1987)年7月25日移管されたもの。実際に錦川鉄道が分岐するのは、川西を出発して1つ目のトンネルを越えてからである。
 川西から柱野、柱野を出発すると長い欽明路トンネルとなる。トンネルを抜けて、欽明路、玖珂まで来ると細長い盆地状の土地が広がる。ここから周防高森までは、国道2号線と並走し、また水田や集落を見ながら走るので気持ちがよい。また、遠くには山陽新幹線の高架が時々見える。
 米川駅より再び長いトンネルを抜けると高水。ここは、九州八代で越冬するツルが羽を休める場所。駅ホームにもツルのオブジェがある。高水から旧道の山岳地帯に入ったように感じる。時より、国道2号や山陽自動車道と並走するが、山を縫うようにして駆け下っていく感じ。山の中、谷、そして山の中と変化が激しい。山の中といっても、藪のトンネルを走っているので、見晴らしはあまりよくない。また、竹がバシバシ窓を叩いていく。また、小川が作り出し谷には、点在する里山の集落と水田が広がる。
 だいぶ標高が下がってきたな、と感じられる生野屋付近から国道2号と何度目かの並走。また、新幹線の高架が近づいてきて、しばらく新幹線の高架の下を走る。新幹線の高架が離れていき、住宅街が増えてくると、終点櫛ヶ浜に到着する。
 車窓は、進行(櫛ヶ浜)方向左側が楽しい。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.08.20. 北九州攻略作戦で、櫛ヶ浜→岩国間に乗車。完乗達成。
  ・2010.08.23. 九州鉄道記念館号撮影で、岩国→西岩国間に乗車。



● 駅舎写真

岩国駅(2006.08.) 西岩国駅(2010.08.) 川西駅(2010.08.)
高水駅(2006.08.) 櫛ヶ浜駅(2006.08.)



● おすすめ撮影ポイント

  山の中を走る路線なので、撮影ポイントは少なさそう。



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