** いざ九州へ第1歩 **

〜1日目(3/13)〜


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2日目(一気に鹿児島へ)へ 行く



 九州へは高校時代の修学旅行で大宰府に(ちょろっと)寄ったのが初めてで、それ以来ず〜っと行ってみたいと思っていた所でした。何分、近畿・中国地方を越えて行くのがなかなかハードルが高かったみたいで、ぽっと"九州行こうかな"と思ってみても、先に北海道に行ったり、海外に行ったりとしてしまいました。
 昨年(2002年)の夏、今度の春休みは大きな旅行の計画がないということで、いよいよ九州行きの計画が実際に具体化するようになりました。ちょうどそのその頃、kuro-ani君に計画の話をし、一緒に行くことを快諾(?)してくれまして計画が加速していきました〜。
 いざ、具体的に計画が動き出し、"昔買った本があるな"と思い起こしてみると、ガイドブックは1999年・地図は1998年発行と、かなり以前より九州行きを考えていたみたいです。。。

 まず、使える日数は4日間。そして学生ということで、kuro-ani君よりできるだけ旅費を削って欲しい(5〜7万円)という注文が出されました(笑)。そして、今回は九州導入編と位置付け1周することを大きな目標にし、次のような課題をクリアするように行程を考えてみました。

●全県(各県庁所在地駅)には立寄ること。
●"夜"の博多(中洲)を楽しみたい。
●朝の門司で海を渡ってくる寝台特急を撮影する。
●鉄道最南端の地に行ってみる。
●阿蘇・高千穂を見て九州を横断する(レンタカーにて)。
○九州横断の(運転する)前日は宿に泊まること。

 JRのトクトク切符には"ゾーン切符"というのがありまして、定めれた区間(ゾーン)内では、特急(自由席)乗り放題・行き帰り乗車券が2割引というサービスが付きます(詳しくは(厚い)時刻表を御覧下さいね)。九州にも設定されていまして、行きか帰りのどちらかに航空券を組み込むことができるようになります。
 これを使わない手はないなということで、この切符をベースに行程を考えるようにしました。しかし、これだけの課題を盛り込む為に、どの空港から入ってどこの駅から脱出するか、右周りにするか左周り周りにするか、宿をどこにするのかなど、12月頃より仕事の間の僅かな時間を見つけて検討するようにしました。・・・が、なかなかまとまらず、結局1ヶ月近く悩むことになりました。。。
 救いの神となったのは夜行特急でした。時刻表で九州内を走る夜行特急を発見したことで、夜間を使って(時間の無駄なく)長距離移動ができることと、宿代を浮かせられる、の一石二鳥を実現することができました(笑)。夜行特急は、ドリームつばめ(博多<-->西鹿児島)とドリームにちりん(博多<-->南宮崎)が運行されています。はじめどちらか一方という考えでしたが、ここはもう体力の限界に挑戦! ということで両方を使うことにしました。
 これにより、1泊4日という遠大(無謀)な行程が完成しました。概要は以下の通りです。旅費・宿泊代と6万円ちょっとと当初予算内におさまりました。4日間の行程としては、かな〜り頑張りました(笑)。

1日目(3/13木) 新横浜→博多→長崎(観光)→佐賀→吉野ヶ里→博多
2日目(3/14金) 博多→西鹿児島→西大山→指宿→西鹿児島→熊本 熊本泊
3日目(3/15土) 熊本 ** 阿蘇観光 ** 高千穂観光 高千穂→延岡→南宮崎→
4・5日目
(3/16日・17月)
 →小倉→門司→下関→門司港(観光)
 →宇佐(観光)→別府(観光)→大分  大分→横浜

 ただ、1ヶ月前(切符を買う直前) kuro-ani君が16日の日曜に帰京しなければならなくなり、行きの長崎入りが飛行機から新幹線(のぞみ)に変更になりました。まぁ、これによって面白い光景が長崎駅で見るようになったのですが。
 また、私の趣味に付き合わせることもないので、kuro-ani君にもオリジナルに行程を立ててもらいました(どういう旅になったかは本文中で)。これも、九州内を自由に行動できるゾーン券の魅力ですね。ほとんど別行動になったって話も(笑)。



いざ行かん、九州へ!

 出発の朝は5時に目が覚めました。これよりはじまる激動の旅とは裏腹に爽やかな晴れの朝となりました。kuro-ani君と合流した 5:40、まだ空は薄暗く3月中旬にしては、まだ空気は冷たかったです。
 6:00 新横浜着、ビジネスマンが結構がいましたね〜。待合室にある売店の開店を見計らったように並び始めるなど、皆さんかなり慣れたようすでした。我々を博多まで運んでくれるのぞみ1号 6:16 入線。新幹線500系は飛行機のような外観で、銀色と灰色混ざった色のボディで、まるで今までの新幹線とは違ったような印象を受けました(写真では見てるのにねぇ)。横に走る濃い青色のラインが新幹線だという事を証明しているみたいです。外観だけでなく、車内も飛行機のようでした。

 新横浜駅を静かに滑り出した新幹線500系は、ものの10分程で加速を終え最高速度で走っていました。最高速度300km/h を誇るだけあって、すごい勢いで飛ばしていきました。私が飛行機が苦手な(だった)ことは以前書きましたが、それはふぃに来る揺れが苦手度を助長してる感がありましたが、この500系も飛行機と同じような揺れを体感できました。・・・が新幹線なら問題なし(笑)。
 熱海を過ぎ、長い新清水トンネルを越えると富士山が・・・でも富士山はなんとなく見える程度で、この旅の先行きを暗示しいるようでした。名古屋まではいびきのうるさい客が、京都から広島まではおしゃべりがうるさいおばちゃん達の客がいるなど、車内に関するネタは事欠きませんでした(笑)。琵琶湖が近ずくと、今(保存する取り壊すで)話題の大野町豊郷小学校が見えました。路線に近く、まるで間近って感じでした。
 山陽新幹線の広島付近になるとトンネルが多く、車窓から外を眺めるのもさすがに飽きてくるようになってしまいました(汗)。新下関を過ぎると、すぐ関門トンネルがはじまりました、車内の湿度が上がり海水のにおいがするように感じられました。これが九州の風なのか〜(笑)。

 10:53 博多着。のぞみの導入で、東京-博多間が短くなったとはいえ、4時間半は長いですね〜。乗換え時間は、約10分。構内で駅弁などを購入していたら時間がなくなってしまいました。あまり九州に上陸したんだーって実感のないまま、長崎行きかもめのホームへ。真っ白いボディで先頭が卵型の白いかもめが待っていました。わくわくする気持で乗り込んだら、すごい混んでいて席に座れませんでした(涙)。仕方が無くデッキで立つことにしました。デッキにもデザイン的に、いろいろ工夫が凝らされていて楽しかったのですが、さすがに立ちっぱなしは辛いな〜と思いながら 11:02 博多を出発しました。
 佐賀 11:36 着、乗客の大半が降りてガラガラになりました。ここで、ビジネス特急から観光特急にかわるようです。佐賀からは、九州最大の平野筑紫平野を、更に諫早湾や普賢岳が車窓に見ながら進んでいきました。この白いかもめは、自由車の車両にも革張りの座席が用意されていて乗り心地がよかったです。これより先、九州の特急に乗りまくることになるのですが、JR九州の各車両は今までの特急という概念を覆されるような衝撃を受けました。専属のデザイン事務所に、列車デザインをされたそれぞれの車両に乗るたびに戸惑いを覚えましたが、慣れると何度も乗りたくなるような気分になるから不思議でした〜。デザイナーの勝利ですね(笑)。






長崎観光、そして。。。

 九州最初の目的地長崎に 12:53 着。天気は晴れ、気温も暖かく第1歩としては最高のスタートになりました(・・・が喜んだのもここまででした(汗))。到着30分程前にかもめが抜いた寝台特急さくらも遅れて 13:05 に長崎の駅に入ってきました。このさくらは前日18:03 に東京を出発して19時間の旅を終えたところです。しかし、12時間後に出発した我々が追いついてしまっています。この2者が同時に並ぶ構図を見ると、1日という時間の流れを感じずにいられないですね。
 長崎より市電で出島へ。江戸時代唯一海外と交流のあった出島は、海に飛び出た埋立地で物流だけ認め人の往来を認めない構造をしていたのですが、現在はビルの谷間にありました。出島の周りの海も埋めたてられてしまったようです。出島のそばを流れる川(だと思う)が、昔陸地から離れていたことを物語っているようでした。出島の中は、資料館やオランダ商館の跡などがあり、江戸時代にいるような気分になりました。残り半分位は発掘&修復作業をしていまして、当時の姿を取り戻そうと工事が進んでいました。出島の東側にあるミニチュアは是非見てみてくださいね〜。一見の価値はあります。
 出島から中華街へ。出島から歩いて数分の所に中華街があります。雑多に立ち並ぶ店、極彩色の看板などは、横浜・神戸の中華街の共通項みたいです(笑)。しかし、街の規模は先の2つより小さめでしょうか。さて、長崎といえばチャンポン(笑)、中華街の中ほどに位置する西湖さんにてチャンポンを食べる。具沢山がチャンポンの特徴ですが、ここのちゃんぽんは、特に具の種類も多く、スープも美味しかったです。

 西湖さんで食べ終わって、長崎より唐津・虹の松原方面に向かう、kuro-ani君と、20:30 に博多で再び会うのを確認して別れました。いよいよ別行動のはじまりです(笑)。私の方はもう少し長崎観光を続けました。中華街からオランダ坂へ、オランダ坂は雨が降ってないと面白くないかな(笑)。しかし、大きな石で作られた道が続く光景はなんだか物思いにふけれそうないい感じの場所でした。オランダ坂からちらっと海が見えたので、そのまま海岸線に出てみることにしました。港の堤防に立って長崎湾を見渡すと、左右に海が広がり正面(対岸)に稲佐山を眺めるような格好になります。潮の香とどこからともなく機械油の匂い、港独特の雰囲気ですね。

 最寄の市電駅からで眼鏡橋へ。長崎の中心部に流れる川に架かる眼鏡橋は、幾何学的で面白く川の左右から構図を変えて撮影してしまいました(何枚使ったかな)。さぁ、これで最後にしようと思ったら、思いがけずいい写真が撮れました。携帯電話の会社か観光協会か、どっかで使ってくれないかなぁ(笑)。
 眼鏡橋の最寄の市電の駅で市電が交差する瞬間を捕らえて、原爆投下地点へむかいました。投下地点は、長崎中心部より3kmほど離れているので、市電で15分ほどかかりました。
 さてここで唐突なのですが、霊感は存在すると思いますか?私は理系なのですが霊感は存在しないとしなければならないのですが・・・存在すると思います。実際に私は感じてしまうので(爆)。広島はいつ行っても気分が(かなり)ブルーになります。それで、鎌倉は8割の確率で雨になります。。。
 長崎入りした後、過去(何度も)広島で体験したような嫌悪感は襲ってこなかったので安心していたのですが、・・・原爆投下地点へ近づくと、どんどん天気が悪くなってしまいました。それもアニメーションを見ているような感じで(汗)。

 長崎に着いた時には晴天だったのに、平和公園に着くとすっかり曇天に覆われてしまいました。有名な祈念像を見て、投下地点に行きました。脇に投下時の地層が展示(?)されていました。熱風で壊された食器などを見ると考えされるものがあります。さらに、60年で2〜3m土地が積み上がっているのにも驚かされました。一口に60年と言っても長い時がたったのですね。それから、投下地点で座り込む少年達を撮影。さしずめタイトルは「平和を考える少年達」でしょうか(笑)。
 平和公園から浦上天主堂まで歩く。平和公園から5分程です。天主堂からは片足鳥居を見に行くつもりでしたが、ここからが問題で市電を使うと"コ"の字を行くことになって遠回りなので、歩くことに決めました。直線距離で1.5km程だったので・・・が、すぐ後悔。長崎が坂の街だってことを忘れてました。天主堂から長崎大医学部までの道が上り坂、この時点で長崎の街を結構歩きまわっていたのでキツイのなんのって。

 えっちらおっちら歩いて片足鳥居にたどり着く。ただぽつんと立っていて、何気なく通り過ぎてしまいそうなんですけど、よく見れば見るほど不自然なんですよね。
 画面右側が投下地点で爆風が左側の鳥居を破壊したそうです。あらためて原爆の破壊力を思い知らされました、投下地点からえっちらおっちら歩かなければならない地点なのに石で出来た鳥居をフッ飛ばしてしまうのだから。



諫早・佐賀経由、博多へ転進

 これにて、長崎観光終了。再び歩き出し、長崎より1つ博多寄り浦上駅16:05着。ここより博多に向けて転進を開始しました。16:14 発の列車で諫早へ、夕方のラッシュがはじまったせいか学生などで結構混んでいました。諫早では、島原・普賢岳方面に向かう島原鉄道を撮影。これにもいずれ乗ってみたいなぁ。
 諫早から 16:48発 特急かもめで佐賀へ。佐賀17:47着。佐賀を出発する時間18:33なので約45分、余裕をみて30分として佐賀城を見学することにしました。佐賀城では有名な門が見られればいいので、城では10分で十分。その旨をタクシーの運ちゃんに交渉。
「道が渋滞してるからねぇ。」 と難色を示す。
「城では5分でもいいです。」
「にーちゃん、3分でいい?」
とまるでペルシャのジュータン売りのような商談(?)が成立(笑)。
 佐賀城は、駅からまっすぐ南下した所にあります。ビジネス街を抜けると外堀を越え内堀の中へ、佐賀城は外堀内堀が比較的きちんと残っているようです。

佐賀城、室町末期に竜造寺氏が築き、代わって領主になっ
た鍋島直茂が大改修を始め、1608(慶長13)年、その子勝茂
が完成させた。幅180mの濠と5層の天守閣を持つ名城だっ
たが、火災と明治7年の佐賀の乱で焼け、濠の一部と鯱の
門が残っている。

 天守台まで登り、そこから有名な鯱の門を撮影。なかなかのものでした。また資料館を作るなど、整備をしているみたいです。約束通り佐賀城3観光分で終了。そのまま駅に戻ってもらいました。

 予想された渋滞はなく、時間より早く18:10 駅に戻る。佐賀駅では駅弁を購入、撮影の作業を済ませ、列車が来る前に急いで食べる。佐賀より普通列車、博多方面に2つ目神埼駅で、後からきて追い抜く寝台特急さくらと特急かもめを撮影。筑紫平野の見渡しのいい駅だったのですが、撮影体制に入る頃にはすっかり暗くなっていました(事前に調べたのだがなぁ)。
 ここより吉野ヶ里公園へ行くつもりだったか、予想以上に暗かったので、そのまま普通列車に乗り込み次の吉野ヶ里公園駅へ。資料館が閉まっているのは分かっていのですが、何か見えないかという希望をもとに北口より徒歩10分歩いてみることにしました。・・・が、暗くて何も見えず断念。そのまま撤退。駅までの帰り道、誰一人歩いていないあぜ道を、ポケポケ歩いて帰りました。天頂には半月、広い広い筑紫平野を渡る思いの他冷たい風。とても広い平野なので、2000年もの昔吉野ヶ里の繁栄がわかるような気がしました。
 吉野ヶ里から鳥栖に、それから鳥栖から博多へ出ました。特急で20分程で到着。博多で、kuro-ani君と無事合流。荷物を預けて夜の中洲へ繰り出しました(笑)。



博多、中洲の夜を楽しむ

 中洲では、博多出身の後輩のすすめで、焼き鳥屋鳥治(とりはる)さんへ行きました。場所を書いた紙を荷物と一緒に預けてしまったので(爆)、店を探すのに苦労しましたが、天神あたりの税務署の近くということを頼りに無事発見することができました。おすすめ6本+付きだしで2000円。北九州は鳥も名物というのを証明しているのか、鳥の味がしっかりしていてとても美味しかったです。
 鳥治さんから、ポケポケ那珂川を歩き中洲の夜景を撮影しました。中洲といえば川沿いの屋台街、まだお腹の余裕があったのでラーメンを食べることにしました。屋台街には、ラーメンや焼き鳥、てんぷら屋、居酒屋などありその日の気分で選択できそうです。那珂川の風を感じながらのラーメンは旨かったです。そろそろ食べ終わるという頃、出張と思われる客がやってきて2、3会話をしました。「これから夜行に乗って西鹿児島へ行く」と話したら、"鉄ちゃん"であることがバレてしまいました(汗)。
 お腹も一杯、ほろ酔い気分で、歩いて博多駅へ戻りました。駅に近づくととたんにジネス街になりました。もう23時も近かったのに電気がついているビルが多かったです。

 博多より、いよいよ夜行(ドリームつばめ)を使って西鹿児島までジャンプすることに。出だしのかもめが混んでいたので、博多駅には1時間前の23時頃から並ぶことにしました。23:46 電車が入ってきて乗車、ドリームつばめの乗車率は90%位でした。



2日目(一気に鹿児島へ)へ 行く



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