** 一気に鹿児島へ **

〜2日目(3/14)〜


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鹿児島までジャンプ

 ドリームつばめは、まだ眠らない博多を 0:06 発。鳥栖・久留米・大牟田と乗客が降りていき、1時間走った大牟田を過ぎると、車両には我々以外2〜3人になってしまいました。どうやら帰宅の足になっているようです。JR九州では、特急の回数を安く販売しているのでそれを利用してるのかもしれません。
 車窓の風景も暗闇のみになり、眠気がやってきたので寝ることにしました。左右のボックスシート(4人席)を1人で占領してベッドにしました。混んでいることばかり予想していたので、こんな贅沢をしていいのかしら という感じでしたが、しっかり寝ておかないと翌日の行程に影響するので気にせず寝ることにしました。





 5時35分頃。車内放送が再開され、西鹿児島の1つ前の停車駅伊集院が近づいていることを告げていました。荷物をまと降りる準備をしました。外は真っ暗でしたが、道が濡れているのが見え所々水溜りがあったので、かなり激しく降ったようでした。西鹿児島 5:54 着。ここより、宮崎方面へ転進する kuro-ani君と別れました。再び単独行動がはじまりました。



薩摩半島南端へ!

 駅で朝食(駅弁)を購入。ここより鉄道最南端の地を目指す為、指宿枕崎線に乗り込みました。前年鉄道最北端の地へ行ったばかりだったので、今回強く行ってみたいと希望していた場所でした。もっと言ってしまうと、小学校の時から行ってみたいと考えていた場所でした。"鉄道最南端の地"このイメージがいいじゃないですか〜。これがなければ、kuro-ani君と宮崎に行ってたところでしょう。
 6:20 西鹿児島発。生活路線なのか、登校途中の中・高校生を乗せてゴトゴト進んでいきました。まだうす暗い車窓から対岸の桜島の稜線が見えてきましたが、雲が低く垂れ込め下のほうしか姿を見せてくれませんでした。しかし、稜線の大きさで桜島の雄大さを感じられました。
 1時間半程で観光地指宿着。いつの間に乗っていたのかゴルフ客多数降りていきました。指宿の1つ先の山川が西鹿児島からの列車の終点になりました、7:45着。背が断崖で前面に港が広がるという面白い雰囲気の駅でした。この駅は日本最南端の"有人"駅なんだそうです(笑)。山川から最南端の駅西大川までは2つ先のなのですが、ここから先枕崎までは日に7往復しかなく、かといってかなり距離があるので、タクシーでのアプローチになります。・・・が、山川駅でタクシーを拾えないと"最南端の駅へ行こう"計画が頓挫することになってしまいます。山川駅の情報がまったくなかったので、かな〜り不安でしたが、駅前にタクシーが止まっていて安心しました。2〜3台は常駐しているみたいです。

 8:00頃 最南端西大山駅に到着。山川から1760円でした。とにかく、な〜〜んにもない駅でした(笑)。見渡すと畑の中に小さな工場があるくらいで、近くに家はなく、"日本最南端の駅"の標識がないとどこにでもあるような無人駅の雰囲気でした。しかし、目の前は開聞岳が"でん"とすわっていたり、駅前の桜が咲いていて一足早い春を告げていたりと、南の地に来てるんだと実感させてくれました。
 駅をひと通り撮影。西鹿児島で購入した駅弁(とんこつ弁当)を撮影&食べました。西鹿児島の駅弁屋で、"2002年日本テレビ駅弁グランプリ、200位中23位"と謳っているだけあって、とんこつが柔らかくて美味しかったです〜。今回食した9種の駅弁のうち最も美味しかったかな。
 1日7往復(朝4本夕3本)やってくる列車のうち、朝最後の列車を撮影後、それに飛び乗って指宿へ向かいました。

 指宿駅より砂むし会館へ。まず、会館前の砂浜に立ってみました。波に濡れている砂浜より湯気が出る(ちょっとわかりずらいですが)。砂の表面に触ると温かく、ちょっと手で5cm位砂を掘ってみると、熱くて触れない位になりました。
 砂浜観察を終え、砂で蒸されることにしました。こんな感じで蒸されます(笑)(駅にあったオブジェより)。会館のおばちゃん達が砂をかけてくれるのですが、スコップでの作業は大変そうでした。砂の適度な重さや海からの風が心地よかったです。・・・が数分後、上の砂は冷めてきて、下からはボンボン熱が伝わってくるので、背中はかなり熱かったです。目安は10〜15分だそうで、10分で退散(時間もなかったし(笑))。ちなみに時計は見やすい位置にあります。繰り返し蒸されるのが効果があるように思いました。



鹿児島観光

 9:52 指宿駅より、再び列車に乗り、西鹿児島へ。西鹿児島10:58着。駅から南へ徒歩10分位の明治維新の偉人達の生誕地をみてまわりました。教科書で有名な人たちが、とても近い所で生まれて&住んでいたのに驚かされました。西郷隆盛の生誕地と大久保利通の生誕地などは、50mで30秒位でした。また、町中を歩いていて灰のゴミ処理の案内を発見、桜島の噴火が鹿児島市民にとって身近なことなのだということがわかりました。
 西南戦争終焉の地であり桜島を望むことができる城山は、市の東側なので市電に乗って20分鹿児島駅まで行き、ここより徒歩で"西南戦争終焉の地"巡りをはじめました。西郷終焉の地より、城山へ登る。かなりな勾配の坂でした。西郷隆盛が最後にこもった洞窟をみて、さらに登りました。坂の勾配から考えて徒歩で来る所ではないようです(爆)。車やタクシー、そして観光バスにドンドン抜かされていきました。城山へは、タクシーか西鹿児島から市内循環バスが運行されているみたいですので、そちらを利用するのをおすすめします。

 徒歩20分、ようやっと山頂の城山展望台にたどり着きました。桜島にかかっていた雲も取れ、市街を一望できるここからの眺めは最高でした!!  ちょうどいい感じのモデル達がやってきたので撮影させてもらいました(笑)。
 城山を登りきったところで足の限界がきてしまいました。左肩に約10kgのカメラバックをかけていたので左足が痛いのなんのって、が城山から出発する交通機関がないので、仕方がなく城山山麓の鶴丸城へ歩いてむかいました。足をかばいつつ山を下り、城の堀が見えてきたところで、数年ぶりというくらいしたたかに足を捻ってしまいました。"うぎゃ〜、まだ半分も行程が終わっていないのに〜"というのが頭に浮かびました。
 足がかなり痛かったのですが、何とか歩けるので観光を続行しました。島津藩の拠点鶴丸城を見学、天守閣が無いのが特徴なんだそうです。西郷や大久保が下級武士だったのが分かったような気がしました、彼からの家が城まで遠いので。
 そして西郷が開いた私学校跡へ、鶴丸城から道を挟んで反対側にありました。私学校跡では、何と言っても塀に残る銃弾跡でしょう。大小無数に残る銃弾跡をみて、西南戦争の激しさがうかがえました。

 城山周辺の観光を終え、市電で鹿児島一の繁華街である天文館へ出ました。くろいわさんでラーメンを食べ、キリスト教を伝えたフランシスコザビエルが布教を行ったことを記念する公園を見学しました。薬局で湿布を購入、西鹿児島駅に戻りました。最近作り替えられた駅舎の屋根部分には、九州新幹線のホームが見えました。在来線の線路に対して垂直な位置に作られていたので、なんとなく不自然なような感じを受けました。



有明海沿いで撮影、熊本へ

 西鹿児島15:25分発、これより熊本へ向かうコースになります。特急で35分、川内着。ここから撮影地のある駅には普通列車に乗ってむかいました。川内駅では新幹線の工事が急ピッチで進んでいました、そのせいか駅弁買えずおやつが食べられませんでした(笑)。
 川内で普通列車で23分、有明海が望める撮影地 西方駅に 16:30 着。駅は国道3号に面した駅でしたが典型的な無人駅でした(笑)。駅前は広い駐車スペースがあり、タクシーが来るのか?(足が痛いので)せめて撮影地まで行きだけでも乗せてくれないか、と期待したのですがタクシーは来ず、申し訳程度のバス停の時刻表は日6本だけバスがくることを教えてくれました(涙)。無人駅で降り立ったのが自分1人だったのと、もう夕方になりつつある時間帯だったので風が一層冷たく感じられました。ただ、真新しいコンビニがあったのが驚きでした。駅の乗客ではなく、国道を走ってる車の客が目当てのようですね。
 "もともと歩く予定だったんだ!" と意を決して、片道2kmの道のりを歩くことにしました。国道沿いに歩いている時には、何台ものトラックや車に抜かれ、排気ガスをかけられ大変でしたが、1kmほど歩いて国道から旧道に入ると途端に静かになりました。線路の架線と同じ高さの道になり、それを歩いていると架線より「ん"ー」という低周波音が聞こえてきました。九州は交流区間なので、架線が振動しているのが聞こえているようでした。
 徒歩30分撮影地に到着。有明海が180度に広がり、波に浸食された海岸の岩などがあり、遠くには甑島列島が見えるなどとても良い眺めでした。のんびりした1時間という時間の中、上下特急・普通列車を撮影しました。目標を果たして、再び駅へ戻る為歩き出したのですが、時計を見てビックリ時間が 17:20 だったからです。次に乗る列車が46分に出るから、残り26分。行きに30分かかったことを考えると時間が足りないことが判明(汗)。行き以上に痛む足を酷使することになってしまいました。無理させて 23分で踏破。何とか間に合いました。ふ〜〜っ。

 西方駅から、つるが飛来するので有名な出水に 18:26着。この駅でも改装が進んでいましたが、今回は無事駅弁(夕食)が買えました。再び特急に乗りこみ、出水 18:43発。すっかり夜のとばりに包まれてた水俣湾を眺めながら、約1時間で熊本到着、19:59 でした。
 ここで、遠大な(?)計画を実行する為に豊肥線の阿蘇方面に向かう普通列車に乗り込みました。乗り換え時間2分しかなく、これまた足をひきづりつつ目的の列車を目指しました。しかし、豊肥線のホームが遠いのなんのって。なんとか間に合い出発。熊本から4分乗って1つ目平成駅で降りました。名の通り真新しい駅だったのですが、高架道の下にある一風変わったプレハブのような無人駅でした。
 計画の時間まで時間があるので、駅周辺を散歩する・・・・が、何にもなかったです。幅の広い直線道の左右には、ファミリーレストランや大型店がポツンポツンと点在する程度で、大型店に入って時間つぶしとを、と思いましたが閉店していました(涙)。やがて雨つぶが落ちてきたので、駅に引き返すことにしました。
 駅に着いて計画を実行する為に、カメラの準備をはじめました。宮崎・別府をまわってきた kuro-ani君が阿蘇を越えやってくるので、その乗り込んでいる列車が平成を通過する瞬間を撮影しようというのが、今回の計画です。お互いに九州を半周した者通しがこの平成駅で邂逅する、その瞬間を捉えようというのが目的で、遠大というかおバカと言おうか。。。20:37分、kuro-ani君を乗せた赤いあそ号が、結構なスピードで通過していきました。シャッターを押した瞬間、kuro-ani君の顔を確認したのです・・・・・が肝心の写真は、露出不足のため失敗に終わってしまいました(汗)。

 熊本駅で合流してホテルへ。この日は翌日のドライブがある為ホテルに泊まることにしていました。最近はホテルもインターネットで検索・予約できる便利な世の中ですね。できるだけ安く旅費をあげる為、1泊1人3500円(カプセルホテル並)という破格の値段のホテルを予約。ひょっとしたら、シャワーから水が出るのではないかと心配しましたが、到着した熊本ロイヤルホテルさんを見てその心配は消えました。規模は小さいのですが、ロビーも客室もきれいで、フロントの目が行き届いている感じで好感が持てました。

 一息ついて熊本の繁華街、辛島町に街に繰り出しました(笑)。辛島町の商店街をお目当ての店を探してあるいていたのですが、21時半の時間の割には人通りは多かったです。熊本といえば馬刺し、馬刺し料理店の中でも有名な馬刺料理店「らむ」に入りました。
 ちょっと贅沢をして4000円の らむコース に挑戦(?)、まずはじめに馬刺が出てきました。今まで食べたことのある馬刺を違って柔らかく、魚のトロに近い食感で味が深く美味しかったです。他に、馬焼肉・桜なっとう・梅とうふ・付出し、これで4000円は安いかも。何でも馬刺のタタキと納豆を混ぜた桜なっとうの元祖の店なんだそうです。
 ここで、この日の成果報告会になりました(笑)。kuro-ani君は、宮崎で宮崎神宮を、別府では地獄巡りと温泉を楽しんできたようです。宮崎の青島へは、潮の関係で断念したそうでした。




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