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7時に目覚ましによって起される・・・が、この2日間がハードだったのでなかなかベットから起きられなかったです(汗)。足の痛みが深刻だったのと、天気が悪く雨が降り続いているなど、3日目の出だしとしてはあまりよろしくない様子。
熊本観光
準備を終え 7:30 ホテル発。土曜ということで市電は空いていて、ゆっくり座っていけました。7:50 熊本駅着。この日は車での移動がメインになるので、レンタカーを受け取りに行く。8時開店だったので、ちょうといい時間かと思いきやもう営業ははじまっていて、1組(夫婦)が手続きをしていました。5分程で我々の手続きも終わり、外を見ると5組ほど待っていて驚きました、土曜で観光地なのでレンタカーを借りる人も多いようですね。ちなみにまわってきた車はAZ-ワゴンで、市内はkuro-ani君が、阿蘇周辺は私が担当という運転分担を決め走り出しました。
熊本といえば熊本城、まずは城へ向かいました。城下町なので、まっすぐ行く道はなく、右左折繰り返し10分程で到着。堅牢な石垣にそびえ立つ天守閣を見て、思わず"は〜っ"とため息をついてしまいました(笑)。城の北側から石垣の上に登り加藤神社から城を望むのが一番いいのではないでしょうか。隙間無く積み上げたこれらの石垣を人の手だけで作ったなんて、考えると気が遠くなりそうですね。
あと数時間いたかったのですが(笑)、時間がないので熊本城をあとにしました。そして、市内いろいろ(夏目漱石住居跡など)見て回る予定でしたが、雨が激しく降っているのでキャンセル。熊本から北西に20km位の西南戦争の激戦地田原坂に向かいました。
西南戦争とは、明治新政府の方針に不満を持つ薩摩士族(薩軍)が、政府軍(官軍)と1877年に戦った国内最後の内乱です。この田原坂は「越すに越されぬ田原坂」と謳われているほど、官軍がこの坂を登れず薩軍の前に苦戦を強いられた激戦地です。
市内から30分位で田原坂に到着。9時という朝早い時間だったのと雨が降っていたので、誰もいなく静かな雰囲気を味わえてよかったです。まず、公園入口に程近いところにあった砲弾の跡が残る蔵をみて驚かされました。後世作ったものでなく、100年前戦いが起こった当時のまま保存されているものだそうです。いかに当時の銃砲弾の行き交いが激しかったのか、ガイドブックの文章や写真を見るより、実物は数倍迫力がありました。そして、公園には砲弾で幹がはじき飛ばされ、左右に枝をのばさざるを得なかった大きな楠の木が歴史の証人として立っていました。霧に包まれ、これがまた、絵になりました〜。
ちょっと離れたところより田原坂を望む。江戸初期加藤清正が熊本城の守りとして、この周辺を掘って坂を(更に)急にして田原坂を突破できないようにしたということが、濃い霧のなかからでも分かることができました。実際田原坂の北側より攻めてきた政府軍が結局ここを突破できなかったそうです。
阿蘇攻略!
田原坂より阿蘇攻略を開始しました。阿蘇山は世界最大のカルデラ火山(複式火山)です。・・・は有名か。まぁ、○の中に・があると思って下さい。○は外側を覆う外輪山で、・は中央に位置する5つ(中岳、高岳、根子岳、杵島岳、烏帽子岳)の火山です。外輪山は東西19km南北24kmで、宇宙船からでも外輪山をはっきり見ることができるそうです。
まず、阿蘇で有名な鉄道撮影地立野に向かいました。熊本から阿蘇を通って大分に向かう豊肥線は、阿蘇外輪山の急勾配を越える為、この立野でスイッチバックを2度行って乗り越えて行きます。このスイッチバックを走る列車を山の上の方から俯瞰する構図で撮ろうというものです。
市内から阿蘇への国道はやや渋滞していた為、予定時間より遅れはじめ、更に悪いことに外輪山を登りはじめると、霧が深くなってしまいました。予定時間より15分遅れて 10:45 立野に到着。まずはじめに撮影しようとしていた列車が立野を出発する時間でした。。。
右折して駅に入るを左折して踏切を越えて、すぐの道を左折。が、数分走ると幅2m左右が側溝(高さ2m)のあるあぜ道になってしまいました。ほどなく道がなくなり、道を間違えることが判明(汗)。ちょっと広いスペースで転進。踏切を越えてすぐ左折ではなく、もう少し山を登った道を左折だったみたいです。しかし、完全な林道で、舗装されている以外すれ違うこともできないような道が延々数km続きました。"前から来ないでおくれよ〜。" たぶん、kuro-ani君も同じこと考えていたと思います(笑)。更に高度が高くなると同時に霧が深くなり、目的地に着く頃には「隊長、前がみえませ〜ん」状態でした。実際50m先も見えない状態なので、撮影を断念。山を少し降りた所で撮影するはしてみたのですが、面白くない写真になり失敗。
次に渓谷に架かる白川鉄橋へ向かいました。立野から10分程で到着。この白川鉄橋は場所が地図に載っていなかったので、事前に位置を調べるのにとても苦労したので・・・・是非見てみたかったのですが、同じく霧の為、写真は失敗。なんとかあるのが分かる程度ですね。しかし、感動できる位もの凄い渓谷でした。
もう一つの有名な鉄道撮影地は、阿蘇と列車を撮ることできるポイントで、外輪山の中東側に位置する赤水駅付近になります。ここにも行く予定でしたが、阿蘇そのものが見えないので(涙)キャンセルして、阿蘇の北に約20kmにある小国町へ向かいました。
外輪山には急峻な渓谷があったのに、内輪山のなかは本当になだらかな農耕地が広がりました。平らな土地の周りに数キロ先に外輪山が取り囲む様はとても雄大で、自然の雄大さに背筋に震えがくるほどでした(笑)。
小国町は外輪山の外で北側に位置するので、再び外輪山を登ることになります。登りはじめると、とたんに雲の中に入ってしまいました。外輪山を越えると、ゆっくり傾斜した土地が広がりました。背の高くない芝色の草が生えた土地が続き、まるで北海道の富良野や美瑛ような風景でした。共に火山灰でできた土地なので似ているのかも知れませんね。阿蘇では私が運転する予定でしたが、道を指示する役割を交代することができない状態だったので、そのままず〜っと最後(高千穂)まで kuro-ani君に運転してもらいました。
小国町に入ると途端に杉林の中を走るようになりました。小国と言えば杉というのが肯ける風景です。春のこの時期、その杉達にに赤々とした花粉がついていました。花粉症の人にとってはたまらない風景ですね。
小国町での課題は、小国ドームを見ることと北里柴三郎記念館に行くことでした。ますは、小国ドーム、これが地図でも分かりにくく、何度も迷いながらたどり着くことができました。このドーム、外から分かりにくいのですが、屋根を含め主用骨格の建材に杉が使われているそうです。この日は、中学生の卓球大会が開かれていたようで、「中は体育館独特の匂いがしたよ〜。」とは、kuro-ani君談(笑)。
また、杉の小国町なだけあって、杉で作られたとみられる様々なデザインの建物やオブジェが沢山見かけることができました。
次に、小国ドームから車で10分程の北里柴三郎記念館に行きました。破傷風菌を発見、その治療法を確立し、明治大正を通じて科学立国日本を支えた学者の1人に数えられる北里柴三郎先生。私は、気骨のある北里先生の生き方に感動し、大学の卒業研究を北里研究所で行いました。・・・というとカッコいいのですが、成績が足りなくて"お外"(学外)に出されてしまったのが実際の話ですが(汗)、外研先に北里研究所があったので、真っ先のそれを選んだのは、ホントですよ。
さて、北里研究所にお世話になった人間としては、やはり生家(記念館)に行かない訳にはいかないので、今回無理して小国町行きを計画にいれました。北里柴三郎記念館は、生家をそのまま利用して、北里先生の遺品を展示しているようです。"ようです"と書いたのは、中の見学は時間がないのでしてないからです(すっ、すいませ〜ん)。ただ、記念館からまわりの風景を見て、北里先生の(科学者としての)精神がどのように形成されていったのか、分かったように思えました。
記念館から再び阿蘇に戻ることになりましたが、いきなり道を間違えてしまいました。が、面白いもので間違えた道で面白いものを発見してしまうんですよね〜。どうやら古い橋なようですが、ガイドブック・情報誌どれにも載っていないので、どのようないわくのある橋かは分かりませんケドね。ちなみに、こんな感じで撮影してます(汗)。
阿蘇の山頂へGo!
再び外輪山を登りはじめると霧に包まれてしまいました。行きに見たなだらかな大地は牧草地だったようで、放牧してる牛を撮影しようと試みましたが霧でよく見えず。
外輪山の中で一番のビューポイントは大観峰。晴れると雄大な景色が広がるようなのですが・・・、霧の中で何ともはや。。。そこで、面白いもの発見。笑ってやってください。
再び外輪山の中へ突入、若干天気が良くなってきました。と同時に煙を出す内輪山中岳が見えるようになり、撮影してみました。
平らな土地を走り、そのまま一気に阿蘇山頂へ。標高が上がると霧の中へ、折角の草千里も見えずに山頂に向かいました。山頂に近づくと円錐で打ち放しコンクリートでできたロープウェイの駅があらわれ驚かされてしまいました。今まで見てきたロープウェイの駅とはまったく違うデザインで、まるでトーチカの様でした。なんでそんな形をしてるのかは後程分かるとして、ロープウェイの駅の脇の道を更に登って行きました。山頂は、黒い火山灰が広がる世界で、植物も動物もいない荒涼とした世界でした。
危険が伴うことと心肺に持病がある人の入山を禁止する放送が繰り返し流れていたり、トーチカのような形な避難所も数ヶ所設けられていたり、ここでは噴火は"よく起こる"出来事であるようで恐ろしさを感じました。何故、ロープウェイと平行して道があるのか地図を初めて見た時から不思議だったのですが、火口周辺は危険な為バス観光客などは、約2km程のロープウェイを利用させているみたいですね。自家用車で山頂へ行くのもあまり薦めていないようでした(有料なので(笑))。
荒涼とした大地でも人間は沢山歩いていて、特に韓国語が飛び交っていたのに驚きました。駐車場から見える柵の先に火口があるらしく、もうもうと煙が出ていました。柵まで近づくと・・・断崖の高さと火口から吐き出される煙の勢いに驚かされてしまいました。噴煙は刻々と形を変えるので、まるで生きているようでした。
しばらくするとエメラルドグリーンの火口湖の湖面が見えてきました。凝視するとこの底に引き込まれそうな感じになり、危なかったです(笑)。この湖面が見えるのは50%の確率と聞いていたので、見れたのはラッキーだったのかな。
のんびり阿蘇火口観光をしていたら、時間がなくなってしまいました。予定より30分程遅れ。時間がないので、とばすとばす(笑)。下り坂が加速を手助けしてくれました。kuro-ani君の運転は、平行して動いていたロープウェイを抜いてしまう程でした(笑)。
小1時間かかって火口の南側まで降りてきて、南阿蘇鉄道にある日本一長い駅名の駅南阿蘇水が生まれる里白水高原駅に到着。記念に切符でも〜と思って、木で作られたおしゃれな駅舎に入ってみたら、完全な無人駅でした(涙)。
"白水が生まれる里"と言うだけあって、○○水源という看板がいたる所で見かけることができました。その中でも最大の湧水量を誇る、白川の水源地に行ってみました。
まずは、水源地が枯れない様にお願いする為に祭られた神社の前で撮影。そして、飲料できる場所で水を飲んでみました。ミネラル分のうちマグネシウムが多いのか、やや"にがり"のような味が強いように感じました。しかし"のっぺら"で塩素の匂いのする水道水と比べて、格段に美味しかったですね。味見を終えると、水源の水を飲む子供さんがいたので、撮影させてもらいました。
本当に多くの水がコンコンと涌き出し、ここから流れ出した水が、熊本市の人や産業を支えているそうです。
阿蘇から高千穂へ
白川の水源地から高千穂へ。阿蘇から宮崎方面へは、阿蘇南東に位置する高森町から山越えになりました。高森を予定より15分遅れの15時45分通過。高千穂到着予定が 16:30 だったので、約40kmを45分で走破しなければならない計算に。ここでも kuro-ani君の運転技術が冴えまくり(笑)、山道をぶっとばし予定通りの 16:30 高千穂着。このように阿蘇での行程は、まるでラリーのタイムトライアルようになってしまいました(爆)。でも、ほぼ8割方ノルマを達成できたので、まぁ"よし"としましょう(笑)。
高千穂では、まず高千穂峡に向かいました。高千穂峡は五ヶ瀬川が削り出した渓谷で、割と広い範囲に見所があります。我々は、見所の多い高千穂峡でも有名な真名井の滝を見学&撮影することにしました。真名井の滝といえば、この有名な構図ですが、対岸に目を移すとまるで人間もしくは神が手を加えたのではないかと信じたくなるような岩肌があったので、これを目一杯取り入れた構図も撮影してみました。
高千穂峡から高千穂神社へ。高千穂神社を参拝したら時間がなくなってしまいました。レンタカーを返す為駅に向かいました。
高千穂駅から、高千穂鉄道で延岡に向かいました。18:07、高千穂駅を出発。すぐに東洋一の高さを誇る青雲橋が車窓一杯に広がりました。
宮崎から再び夜行に乗るので、その前にこの日の汗を流そうと、高千穂駅から4つ目の日影温泉駅で下車しました、18:22着。この駅は駅舎で温泉が楽しめるので便利でした。1階は売店・食堂、2階は温泉・休憩所となっています。次の列車まで約1時間あるので、山の上の空が濃紺になるのを眺めながらのんびり温泉を楽しむことができました。またアルカリ泉なので、お湯に浸かると肌がヌルヌルしましたね(笑)。
温泉でさっぱりしたところで、食堂で夕食を食べました。考えてみたら、阿蘇の道中2人でおにぎり2個を食べた程度で、この日初めての食事となりました。どこにでもあるような店内で、どこにでもあるようなとんかつ定食を、私は頼みました。・・・が先入観で決めつけちゃいけませんね、これが美味しかったのですよ〜。
温泉の営業は21時迄なのですが、食堂の営業は19時30分迄だったので、我々が最後の客となったようです。日影温泉駅の名物の1つは、列車が近づいてのいるのを警告灯で知ることができることです。ちょうど、この日がダイヤ改正の日だったので調整中の紙が貼ってあったのですが、ちゃんと働いていて目安になりました。
日影温泉駅 19:46発。再び列車に揺られることになりました。高千穂から流れる五ヶ瀬川に沿って走っているはずなのですが、真っ暗になった車窓からでは分からず。川が蛇行しているのが、左右にカーブして走っていることで分かりました。約1時間後、20:45 延岡着。
トトロの次は徳間ではなかった(笑)
20:51 延岡発宮崎行の普通列車に乗り込みました。ひさびさのJRに(笑)。国鉄時代の車両で普通列車だったので、青春18切符で旅をしている気分になりました。
延岡から日豊本線で宮崎まで。平らな宮崎平野をまっすぐ南下するので、ゆれがとても少なかったです。宮崎まで約1時間あるので、のんびりしていたら、車掌が「次は、トトロ〜。トトロ〜。」とアナウンスしました。頭の中に「?」が浮かびましたが、トトロとは土々呂と書くそうです。それで、トトロの次は徳間か? と期待したのですが、次の駅はカドカワ(門川)でした。本当ですよ(笑)。
やることがなくてつまらないので、暗い車窓を眺めていることにしました。すると、突然新幹線のような高架橋があらわれました。道路ではなく鉄道のもので、だいぶ年季の入った高架橋だったので、少し考えてしまいましたが答えが出ました"リニア実験線"です。ひたすらまっすぐに作られた高架橋は、実に2駅分の距離がありました(5〜6km位かな)。今では、リニアモーターカーの実験が山梨に移ってしまい使われていないようですね〜。
22:18 宮崎着。宮崎で夕食を食べる予定でしたが、繁華街が駅から遠いのと日影温泉で食べたばかりなので、そのまま夜行の始発駅南宮崎まで行くことにしました。駅コンビニで夜のお供(笑)を購入して、列車に乗り込みました。1つ隣の南宮崎は、構内に何にもない駅でした(汗)。駅出てもちょっと離れた所にコンビニがある程度でした。そのコンビニで、宮崎で買えなかったおつまみを買い夜の宴会の準備は完了(笑)。まだやっていた駅前の薬局で、湿布を買いました。
駅周辺で何もできなかったのと、万が一混んでいたら大変なので、23:10 から、駅ホームで列車を待つことにしました。23:40 発、あと30分近くあるので足の治療(湿布を貼ること)をはじめようとしたら、23:15 いきなり列車が入ってきてしまいました(汗)。片方は裸足に靴というカッコで車両に乗り込みました(笑)。
南宮崎から博多にむかうドリームにちりんは、予想以上にガラガラで、さっそくドリームつばめの時のように4席を占領して寝床を築きました。ドリームつばめより空いているので、良心の呵責は感じずに済みました(笑)。
定刻通り 23:40 南宮崎を出発。暗くなってあまり外がよく見えませんでしたが、寝酒を飲みながら外の風景を楽しみました。宮崎平野を流れて海に注ぐ川は、数が多くそれぞれ河口が広いらしく長い鉄橋を幾つも越えて走っていきました。
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