3日目(九州横断!!) もどる
小倉到着10分前の5時15分、再び車内放送がはじまり起こされました。目が覚めたのと同時に、足の痛みが再びぶり返しました。どうも寝相が悪かったのが原因らしかったです。前日はほとんど車での移動だったのと温泉に入ったことで足の調子がよかったのも油断する要因になったようでした。
北九州、各個撃破!
小倉から進行方向が変わりました。この日、博多に出て飛行機で帰る kuro-ani君と、小倉から20分位の折尾駅で別れました。私は下車し、kuro-ani君はそのまま乗って博多にむかいました。
折尾着 5:45。まだ空は薄暗く、雨が結構降っていました。折尾駅は、鹿児島本線と筑豊本線が十の字で立体交差する駅なので、面白い構造をしていました。また、1階部分にはレンガ造りのアーチが残っていたりと興味深かったです。
駅弁を購入するつもりで折尾で降りたのですが、朝早すぎて店が開いていなかったので(当然か)、小倉方面へ転進をはじめました。次の駅黒崎で同じく駅弁を探すが、これまた同じく店が開いておらず、更に先に行くことにしました。黒崎からは、左に北九州工業地域が広がりました。暗かったのと日曜だったのでいまいち活気がないような感じに思えました。そして、右にはスペースシャトルの大きな模型(?)が車窓一杯に広がりました。スペースワールドの横を通過したようでした。
小倉 6:53着。ここから更に東へ、門司駅に行きました。門司駅に降りてすぐ、関門トンネルを越えてくる寝台特急を撮影する、という当初からの重要課題をすませる為に,撮影の準備をはじめました。しかし、ホームの先は、屋根がなく、雨に加えて風もかなり強かったので、決死の撮影となってしまいました。
撮影後、本州へ再上陸を果たす為、普通列車に乗り込みました。
青函トンネルができるまでは、海底トンネルといえばこの関門トンネルでしたので、九州に来たら行ってみたい所の1つでした。またトンネルを越えるとすぐに、交流(九州)と直流(本州)が入れ替わるというもの鉄道ファンには、たまらない所であります(笑)。
定刻より8分遅れて 7:39 出発。駅を離れるとすぐにデットセクションと呼ばれる電気が流れない場所を走るので車内の電気が消えモーターも止まりました。この何ともいえない静けさが数秒続き、デットセクションを通過。トンネルに入っていきました。
門司駅から対岸の本州は手に届きそうな距離なのに、トンネルの暗闇は結構長く続きました。関門トンネルの建設は、1911(明治44)年に準備をはじめ、それから着工が12年後の1936(昭和11)年、更に紆余曲折をへて1942(昭和17)年に完成。実に6年という大工事だったのが、長い暗闇の時間でうかがえました。
下関7:53 着。ここ下関が舞台になったのは、今から800年程前に行われた源平合戦での最後の戦いになった壇ノ浦の戦いと、400年程前に行われたとされる宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いです。このうち壇ノ浦の戦いゆかりの地、赤間神社へ行くことにしました。
駅からタクシーで10分位で到着。まず、竜宮場をモデルにしたとされる門に驚かされました。雨も激しく帰りの足がなさそうだったので、そのままタクシーに待ってもらって、宮内を見学や写真を撮影しました。なぜ赤間神社が壇ノ浦の戦いゆかりの地なのかといいますと、母とともに入水した4才の安徳天皇が奉られている社があるからです。
いろいろ見学を終え、一息つくと神社前から目前に海峡が見えました。タクシーの運ちゃんに言われるまで気が付かなかったのですが、海水がすごい勢いで流れていていました。タクシーの運ちゃんは以前東北から来た観光客が「この川はなんて言う川ですか?」と質問されたことがあるそうです。そんな質問が出るのが肯ける流れの早さでした。
赤間神社から駅に向かう途中に唐戸市場の横を通っていきました。天気がよければ寄ってみたいところでした。ここでは、買った魚をその場で料理してくれて、そのまま海岸そばの芝生で食べるとかできるそうです。ここで、ふぐ料理が食べたかったよ〜。
ふぐが食べられなかったので、駅にもどってふぐの駅弁を購入(笑)。駅もふぐでいっぱいでした(笑)。ホームで駅弁を撮影をして、ふぐ駅弁を楽しみました。
下関から門司港へ
再びトンネルをくぐって、九州へ再上陸。門司駅で再び寝台特急を撮影。雨は一向にやむ気配はなく、気が落ち込んでいるところに、いそがぜが渡ってきました。このいそかぜ、関門トンネルを越える唯一のディーゼル(気動車)特急で、小倉と島根県益田まで日本海側を走っている特急です。下関の駅構内奥の方でとまっているのが気になっていたのですが、突然トンネルからあらわれたのに驚かされました。
門司駅から東の門司港駅へ。関門トンネルができる前は、九州の玄関口となって人と物が行き交って賑やかな街だったみたいです。それを物語る建物が多く。駅舎もその雰囲気に一役かっているみたいです。まるで、大正時代にタイムスリップしたような気分になれました。駅員さんの制服も時代物ですね(笑)。
駅から出発して、いろいろ見て回わるつもりでしたが、雨が激しく断念。数歩歩いただけで、肩から下げたカメラバックが濡れ程だったので。駅から2分の港縁から関門大橋を見ることだけして、駅に帰りました。
九州旅行を決めたとき、親から(大正の頃(だと思う)に)初代門司市長を曾祖父が務めていたことと、菩提寺が門司山本正寺であることを知らされました。そこで、本正寺さんの写真を撮ってきてほしいとリクエストされていたので、駅からタクシーに乗り本正寺さんに向かいました。およそ10分程で到着。本正寺さんはどこにでもあるお寺で(本正寺関係者様ごめんなさい)、どうも碑があるらしいということで探してみたのですが、発見できず。写真だけ撮影して駅に戻りました。
門司の港巡りができなかったので、予定より早く小倉に戻ってくることに。小倉駅で預けておいた荷物を取り出し、駅弁購入。適当なベンチがなかったので、ホームに直に置いて撮影、そのまま荷物をイスにして食べはじめました。11時ともなると人通りも多くなり、ちょっと迷惑気味。でも、人目は完全に気にしなくなってきてしまいました(汗)。考えてみると、ホームに直に座り食事するのは学生の時以来だなぁ〜と考えつつ食事を済ませました。
別府まで、ラストスパート
小倉から、大分までの南下は、かえる飛び行程となりました。まず、小倉から15分の行橋で駅弁購入。行橋から 11:26 発の特急に乗り込み、行橋を離れました。20分程いた行橋駅の印象は、とても近代的な駅だったなぁ、でした。最近建て替えたように思われました。
車内で駅弁を食べつつ、次の目的地を目指しました。行橋から30分で宇佐駅に到着。何故、下車したかと言いますと、宇佐には全国八幡神社のとりまとめの宇佐八幡神社があって、今から1300年前に起こった道鏡事件に関連して、"宇佐八幡神託事件"というので、宇佐八幡が舞台になったことがありました。道鏡事件や宇佐八幡神託事件は、どういったものかは(説明が)長くなるので省略しますが、行ってみたかったからなのですよ〜。
さて、九州の観光地というのが、どうも駅から遠いんですよね。しかし、九州は車文化圏なんで問題ないんだそうですが(涙)、この宇佐八幡も駅から遠く、宇佐駅からまたまたタクシーのお世話になりました。10分程で到着。
着いてまず驚いたのは、宮内がとても広いことでした。明治神宮と同じぐらいの敷地面積がありそうでした。足が限界に来ている人間には、かなりつらかったです。数分で社前に着けると思いきや、じゃり道を15分かけて歩く、そんでさらに階段の攻撃(涙)。"先達あらまほしけれ〜(意;誰かそのこと教えておいてくれ〜)。"しかし、ここで撤退する訳にもいかず、がんがん登り、ようやっと社前にたどり着きました。しかし、八幡造の社は、荘厳で一瞬足の痛みを忘れることができました。
参拝を数分で済ませる。時間がなくなってきているからです(爆)。次の列車(特急)まで1時間あったので、余裕を持って行って帰れるだろうと思いきや、ぎりぎりの5分前に駅に帰ってくることになってしまいました。
宇佐から15分の杵築へ、ここでは鉄道撮影が目的で下車しました。しかし、雨は更に激しさを増し、ザーザー音を立てて降りつづけていました。が、意を決して駅を出て、徒歩5分の撮影地に向かいました。
ここでは、1時間の撮影時間で上下6本の列車を撮影する予定。1時間雨の中立っていなければならないかと覚悟していましたが、橋の下に歩行者用のトンネルがあって、そこをシャルター&ベース基地にして撮影することにしました。
築堤に菜の花が咲き乱れ、その上に列車が走るという構図になる所だったのですが、雨だとどうしょうもないですね(涙)。雨も逆手に取っていい写真になることが多いのですが、雨と疲労で集中力が切れてましたね。ここでの写真は失敗に終わりました(涙)。
杵築から別府へ。時間的に15分、14:30着。当初より夜行で九州を離れる予定だったのですが、夜行に乗りこむ前には温泉に入りたいな〜と(笑)。それでそのことができるのが、ここ別府だけだったでこの旅の最終目的地が別府になりました。
別府の駅では、観光特急の代名詞ともなったゆふいんの森がやってきましたので、それを撮影。別府の駅に降り立ちました。別府と言えば地獄巡り、これも雨が激しいの断念。結局、駅から5分の駅前高等温泉でのんびりすることにしました。この高等温泉には、あつい湯とぬるい湯の2つの湯船がありまして、場所の狭さもあいまって、まるで銭湯感覚で温泉を楽しむことができました(笑)。温泉自体は透明泉でしたね。草津には2年前に行ったし、これで東西横綱温泉の制覇かな(笑)。
九州を離れる為に利用する寝台特急富士は大分が始発駅なので、予定より早く大分に行くことしました(別に別府からも乗れますが)。
15:56 大分着。これにて、各県庁所在地駅には立寄ることの目標が達成できました〜! 大分駅の構内には県庁所在地駅にふさわしく、いろんな商店がありました。比較的規模の大きな本屋で時間をつぶし、夕食と夜食の駅弁を購入して、富士に乗り込みました。
寝台車の中で一番安い料金設定は、B寝台とB寝台(個室)で6300円(どこまで乗っても)になります。寝台特急富士には、B寝台(個室)が連結されていますが、16時間半の旅で個室は寂しくないかと不安でしたが、敢えてこれにチャレンジしてみました。
室内は、思ったより広かったですね。荷物をまとめ、ベットメイクをすませ、足の治療(湿布)をはじめました。誰にも見られない個室だったのをいいことに、短パン姿で足にベタベタ湿布を貼っていたら、すごいカッコになってました(汗)。ちょうどその時、車掌さんが車内改札にやってきました。私のカッコを見て若い車掌さんは驚いて、「山でも登ってきたのですか?」と尋ねてきました(笑)。それで「カクカクシカジカという旅をしてきました。」と話すと、「それは、"もと"を取りましたね!」と言ってくれました(笑)。車掌さんが言っていいセリフなのかなぁ〜(笑)。でも、純粋に嬉しかったです。
事実、九州内を全て正規の値段で行った場合、合計33390円(運賃19190円・特急券14200円)かかるところを、ゾーン券15000円でまわったのだから18390円、更に行き帰りの運賃2割引(5140円)が入るので、諸々23530円の得をしたって計算になりました。
さて、大分を 16:49 定刻通り走り出した富士は、順調に小倉からの道のりをさかのぼっていきました。車窓を見ながら、(普段ならしない時間帯で)1人祝杯をあげていました。もちろん、旅の無事終了を祝ってですよ(笑)。
小倉ではすっかり暗くなり、本州に入ってからは睡魔に襲われ、そのまま寝てしまいました。うちよほど疲れていたのでしょうねぇ。寝台列車で寝るなんて昔だったらしなかったのに。。。。16時間半かかるので、さぞや退屈するかと思いきや、10時間程ぐっすり寝てしまいました(汗)。
翌朝、浜松付近で朝日をみれたので、ゴールテープは晴れた中でむかえられるかと思っていたら、三島辺りから天気があやしくなり、熱海から雨が降り出してしまいました。そして、横浜到着直前、街を歩いている人の服装をみてビックリ、皆厚着をしていたからです。数度あたたかいだけで、だいぶ過ごし易いのですね九州は(笑)。意識をしていなかったのですが、体が九州の温度に慣れてしまっていたようでした(笑)。
9:35 無事横浜到着。ホームで吐く息が白いのが、記憶に残るゴールになりました。
最後に
今回の旅の総括〜。総移動距離は4188.5kmになりました。鉄道3942.8km(新横浜-博多1150.5km・九州内1580.5km・大分-横浜1211.8km)、ドライブ245.7km。
それで、3/13 6時〜3/17 10時の行動時間 99.5時間のうち、鉄道乗車時間 51時間48分。鉄分52%の旅になりました〜。
これにて、私は47都道府県のうち44県を制覇しました。あと行った事のない県は、3県(徳島・愛媛・高知)だけだな。
最後に、この遠大かつ無謀な旅行は、kuro-ani君の協力がなければ、実現しなかったかも知れません。ここに深く御礼申し上げます。そして、4日間も雨が降り続くという悪天候に見舞われたのは、私のせいです。お詫び申し上げます(笑)。どうも長崎で憑かれちゃったみたいですので(爆)。
これで懲りてなければ、また旅に出ましょうね!! 多分懲りてるだろうな。。。。
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