男鹿線

最終更新日2005.07.26.


● 基本データ

 男鹿線はその名のとおり、奥羽本線追分駅から分岐し、男鹿半島(の南側)を走るローカル線(地方交通線)である。全ての列車が秋田から、それもローカル線としては本数が多く日に17往復運行され、沿線住民の秋田への通勤通学の足となっている。その為、秋田-男鹿間には男鹿なまはげラインの愛称が付けられている。車輌の塗装は奥羽山脈の山々がイメージされている。
 「軽便鉄道法」により、男鹿半島の港「船川」に陸揚げされた物資を奥羽本線へ輸送するため、船川軽便線として建設。大正2(1913)年、追分-二田間で開業、大正5(1916)年船川まで延伸、全通した。大正11(1922)年「軽便鉄道法」の廃止により国有化、船川線に改称された。昭和43(1968)年、男鹿の市制にともない、また沿線の観光振興のため、船川駅を男鹿駅に改称、線名も男鹿線と改められた。
 戦後は寒風山や入道崎など男鹿半島への観光路線的性格が強かったが、現在は上記のように通勤・通学路線となっている。


[車窓の楽しみ方]
 男鹿半島の南岸沿いを走るが、冬場海からの激しい風が吹く為の赤松の防風林を中を走るので、海をほとんど見ることができない。
 出戸浜から二田間は、所々に林が残り、また所々に新しい住宅街があるなど武蔵野の風景によく似ていた。天王駅を出ると日本最大の干拓地八郎潟の締切堤防と船越水道が見える(進行方向;右)、また反対側からは、船越水道から海が見ることができる。船越水道を渡ると、進行方向;右に男鹿半島一の観光地寒風山が見えてくる。脇本から左右にカーブして、路線車窓中数少ない田園風景が広がり男鹿駅に着く。




追分-男鹿間 26.6km

※ 盲腸線だが、本数も多いので(1時間に1往復)容易に乗りつぶしができる。



● 乗りつぶし記録

  ・2005.07.17. 北東北攻略作戦追分→男鹿間に乗車。完乗達成。
  ・2005.07.17. その帰り男鹿→追分間に乗車。往復完乗。



● 駅舎写真

追分駅(2005.07.) 男鹿駅(2005.07.)



(ともりんが)行ってみたいおすすめ撮影ポイント

 男鹿線は乗車するだけだったので、私が行ってみたい撮影ポイントを紹介。
船越水道に架かる橋梁の上を走る列車や寒風山あるいは寒風山からの俯瞰する構図、ともに脇本-羽立間。



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