日高本線

最終更新日2006.04.28.




苫小牧-様似間 146.5km

※本数が多いので乗りつぶしは比較的容易にできるが、片道約3時間かかるので注意が必要。
● 基本データ

 日高本線は、苫小牧駅から襟裳岬西海岸を南下、様似駅に至る地方交通線(ローカル線)である。
 大正11(1922)年4月11日に公布された改正鉄道敷設法別表第133号に「胆振国苫小牧ヨリ鵡川、日高国浦河、十勝国広尾ヲ経テ帯広ニ至ル鉄道」に既定されたのが、日高本線のはじまりである。
 襟裳岬の西の路線は、苫小牧の王子製紙の資本により、大正2(1913)年10月1日に苫小牧軽便鉄道が苫小牧から佐留太(現・富川)まで、引き続き日高拓殖鉄道が、大正15(1926)年12月7日静内まで開業させている。これらの2つのが買収・国有化され、昭和2(1927)年8月1日苫小牧-静内間が日高線となった。
 国有化後、改軌と路線の延伸が行われ、昭和6(1931)年11月10日には改軌が終了。延伸は昭和8(1933)年12月15日には日高三石、昭和10(1935)年10月24日には浦河、そして昭和12(1937)年に8月10日様似間まで開業し全通した。そして、昭和18(1943)年11月1日、富内線(昭和61(1986)年11月1日廃線)が沼ノ端分岐から鵡川分岐に変更された機に日高本線と改称された。
 一方、襟裳岬の東は、広尾線として帯広-広尾間が昭和9(1932)年11月5日に開業している。様似-広尾間の未開業区間は国鉄バス襟裳線(現ジェイ・アール北海道バス日勝線)が結んでいたが、この区間が鉄路で結ばれることはなく、広尾線も国鉄解体前夜、昭和62(1987)年2月2日に廃止されている。

 日高本線を走る列車は、キハ40。特別塗装されて列車には日高の文字や馬の街を走るだけあって優駿浪漫のシンボルマークを誇らしく着けられている。また、苫小牧駅近くの車輌基地には、2001年6月17日に引退した日高ポニー色として親しまれていたキハ130の姿も見ることができる。
[車窓の楽しみ方]

 苫小牧を出発した列車は、しばらく室蘭本線と並走するが、勇払原野の中に入っていく。荒涼とした台地の中で、やがて強大な煙突が迫ってくる北海道電力苫東厚賀発電所である。工場の際を走るので、運がよいと石炭積み込みが見ることができる。鵡川までの区間は、海は見えるが遠い。
 川底に奇岩が多い鵡川を渡ると、沿線に牧場が多くなり日高門別。ここから厚賀まで間は、海に沿って走るので、日高本線のハイライトといってもいい区間。とても気持ちがいい光景を楽しめる。また、天気が悪いと車輌に波が被るなんてことも。海ばかりではなく、時には海のような川(厚別川)を渡るので面白い。
 新冠からいよいよ競走馬の街に入る。牧場に行かなくても、街を案内する看板や駅前(静内駅)のモニュメントなどで、多くの馬を出会えることができる。
 静内からは、路線は海から離れ山の中へ。幾つかの駅と熊笹の森を抜けると、突然港が見えてくる、浦河港である。浦河は沿線では規模の大きな街のようで、家々の脇を走ることになる。
 浦河からは再び海沿いを走る。有名な日高昆布の里、シーズン(7〜8月)には砂利を敷き詰めたような海岸に多くの昆布を干しているのを見ることができる。シーズンでなくとも昆布小屋(番屋)の多さに、その盛況ぶりを窺い知ることができる。こうして、終点様似に到着する。
 車窓は、進行(様似)方向右側が海が近いので面白い。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.03.20. 北海道完乗作戦で、苫小牧→厚賀→様似→静内間に乗車。完乗達成。
  ・2006.03.21. 同、静内→苫小牧間に乗車。



● 駅舎写真

苫小牧駅(2006.03.) 鵡川駅(2006.03.) 厚賀駅(2006.03.)
新冠駅(2006.03.)未下車 静内駅(2006.03.) 様似駅(2006.03.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地日高本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。
 この他、海岸線を走る日高門別-豊郷間、新冠近くの判官岩付近、牧場のそばを走る蓬栄-日高三石間、そして昆布漁の季節には東町-日高幌別間など。



全線一覧の Pege へ もどる