札沼線

最終更新日2006.04.26.




桑園-新十津川間 76.5km

※石狩当別までは数多く運行されているが、浦臼までは約7往復、新十津川までは3往復しかないので注意が必要。
● 基本データ

 札沼線(さっしょうせん)は、桑園駅から新十津川駅を結ぶ地方交通線(ローカル線)である。札沼線の札は札幌だが、沼は留萌本線石狩沼田駅で、かつてこの路線が留萌本線と結ばれていたことを物語っている。1991年3月11日に学園都市線という愛称が付けられた。これは沿線に北海道教育大学札幌校・北海道医療大学があることに由来する。

 大正11(1922)年4月11日に公布された改正鉄道敷設法別表第136号に「石狩国札幌カラ当別ヲ経テ沼田ニ至ル鉄道」と規定され、まず昭和6(1931)年10月10日に北側の札沼北線として石狩沼田-中徳富(現、新十津川)間が開業。3年後の昭和9(1934)年10月10日には浦臼まで延伸開業している。南側は札沼南線として昭和9(1934)年11月20日に桑園-石狩当別間が開業。翌昭和10(1935)年10月3日、石狩当別-浦臼間が開業し全通。札沼線と改称された。
 しかし、太平洋戦争が激しくなると不要不急線として、また資材供出の為、昭和18(1943)年から昭和19(1944)年にかけて石狩当別-石狩沼田間が休止された。戦後、昭和21(1946)年12月10日に石狩当別-浦臼間が、昭和31(1956)年11月16日までに全線が復活した。しかし乗客は戻らず、昭和43(1968)年には「赤字83線」に廃止すべき路線として廃止勧告を受け、新十津川-石狩沼田間が昭和47(1972)年6月19日に廃止された。

 昭和50(1975)年代以降沿線のベットタウン化が進み、また大学の移転もあって、近郊路線へと整備が進めらる。新駅設置、八軒-あいの里教育大間の複線化(平成9(1997)年3月22日)、桑園-太平間の高架化(平成12(2000)年3月11日)が完成し、桑園-北海道医療大学間は都市圏の輸送を担う近郊路線へと変貌を果たした。
 近郊区間を担当するキハ141系の車内は混雑解消の為、片側が1人掛けとなっている。
[車窓の楽しみ方]
 札沼線の始発駅は桑園だが、全ての列車が隣の札幌を始発とする。札幌から桑園までは複線の函館本線とは別にもう1本ある札沼線専用の線路を走り分岐、そのまま高架を走る。100万都市札幌の全容や、進行(新十津川)方向左手に手稲の山々が望めるなど、背の高い建物がないので、とても見通しはよい。また、札樽自動車道を跨ぐ斜張橋(新川−新琴似間)を渡ったりと、ローカル線ではないような車窓を楽しむことができる。篠路から家が少なくなり、あいの里教育大から単線となり、急にローカル線の風情へと変化し、その差が激しい。
 海のような石狩川(あいの里公園-石狩太美間)を渡ると石狩平野が広がる。ちなみにこの石狩川に架かる橋はJR北海道最長の橋梁である。こうして前半1/3が終わり石狩当別駅に着く。札幌-石狩当別間は近郊区間なのか、石狩当別駅の駅舎内は近代的である。
 一部の列車が発着する北海道医療大学駅は発着用のホームがあるので面白い。そして、雨や雪に濡れることなく大学まで行けるようになっている。
 石狩当別駅は国道275号(空知国道)に沿って石狩平野を北上する。石狩川が創り上げた雄大な景色をのんびりと走っていく。月ケ岡付近で平野を走っていた列車が急に丘陵地帯に入り驚かされるが、ものの10分程で再び平野を走り、石狩月形駅に着く。石狩月形駅の待合室は昭和30年代のままのようである。
 札比内から浦臼まで、再び国道275号と並行。夜になると石狩平野を流れる光を車窓に映す。こうして終点新十津川駅に到着する。線路はまだまだ先に続いているような感じに見える。
 70km位の旅で住宅街、平原、丘陵地帯とこれだけ変化があるのも面白い。"1粒で3個美味しい"感じである。
 石狩平野の西端を走るので、車窓は進行(新十津川)方向右側が面白い。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.03.18. 北海道完乗作戦で、桑園→石狩当別→新十津川間に乗車。完乗達成。
  ・2006.03.18. 同、新十津川→石狩当別→桑園間に乗車。往復達成。



● 駅舎写真

桑園駅(2006.03.) 石狩当別駅(2006.03.) 北海道医療大学駅(2006.03.)
石狩月形駅(2006.03.) 新十津川駅(2006.03.)



(ともりんが)行ってみたい撮影ポイント

 札沼線を走る列車を撮影したことがないので、行ってみたい撮影ポイントを紹介。
 石狩平野の田園風景、これは様々なとこで撮影できそう。ひまわり畑の横を走る札的-浦臼間、丘陵地帯を走る豊ヶ岡駅付近など。



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