** 感動のオーロラ観望 **

〜2日目(3/21)〜


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1日目(怒涛の30時間耐久への旅立 ) もどる
3日目(犬ゾリ・先住民タイコ作り)へ 行く




 サークルの大先輩で、前の週からイエローナイフに滞在している池田さんより電話を頂きました。確か・・・、10:40頃だったかな。翌日までにお会いするという約束を交わして、そのまま再び爆睡してしまいました(爆)。
 11:00起床。同室だったさとう君に起されたと・・・思う。そうそう、部屋割りは、後みうら君ととがみ君、すずき君とうつのみや君となってます。窓の外を見ると町が見渡せましたが、前日よりの雲が覆っていて、どんより雲っていました。今日も(オーロラは)ダメかなぁ〜、と覚悟をしました。
 着替え等済ませて、ホテル1階にあるレイバンツアーズのカウンターに出向いてオプショナルツアーの申し込みをしました(それと防寒具レンタル代の支払も)。オーロラツアーや犬ゾリツアー等、イエローナイフでのツアーは現地レイバンツアーズがほとんど一手に引きうけているみたいですね。泊まったホテルの1階にカウンターがあるのは便利でした。それで前日の話合いにより、オプショナルツアーは、"犬ゾリ操縦体験ツアー"と"先住民文化体験ツアー"に申込みました。
 そして朝食にしました。これまたホテル1階のバークレーズへ(要するに外に出たくなかった訳です(汗))。バイキング形式で気軽に朝食を楽しめました。



イエローナイフ市内観光

 午後から、イエローナイフ市内観光になったのですが、ここでカナダ・イエローナイフの町について、簡単に紹介します。

イエローナイフ(Yellowknife)は、北緯62度、西経114度、世界で10番目に大きな
グレートスレイブレイクの湖畔に位置し、人口は1万8000人の小さな田舎町です。
1967年カナダのノースウエスト準州の州都になりました。
ここに初めてやってきたヨーロッパ人が、この付近に住んでいたインディアンが
常に銅製の器具を使用していたのを見て"イエローナイフ族"と名付けたのが町
の名の由来になったそうです。
産業では、金が採れるため金鉱が栄えていました。また1991年にダイヤモンドも
採れるなど出稼ぎ労働者が多い町です。また、一番近い大都市(エドモントン)か
ら約1000kmも離れている為、物価が高くそれに伴いサラリーも高くなるので、住
み着く人々も多いそうです。最近では、オーロラ観光が日本人の間で知られるよ
うになり、収益も見込めるようになりました。


 13:30ホテル出発、この日は雲っていた所為か前日より寒く感じました。現地に済むガイドさんも「今日は寒い」と言ってましたね。ちなみに、-30度以下になると"凍傷注意報"が出るそうです(汗)。そうそう、イエローナイフ滞在中レイバンツアーズのいろいろなガイドさんにお世話になったのですが、これがまた若いお嬢さんが多くてビックリしました。「どうしてイエローナイフにガイドとしているのか」と聞いてみたかったのですが、聞く機会がありませんでした。。。(恥ずかしかったって話も)
 はじめに、ベックスケンネル犬ゾリケンネル着。競技用の犬、観光客用の犬など、200〜300頭位はいたかな。ここで記念撮影。後ろの温度計に注目して下さい、-30度になってます(汗)。次に、コンマイン金鉱に行きました。現在も稼動中の金鉱で、2000m地下から掘り出しているそうです。金だけあって、金鉱の周りには厳重な柵が設けられていました。
 街中を走っていると、といっても(街の)規模は小さいのですけどね、家の庭にニワトリでなくでっぷり太った雷鳥が群れをなしていました。まるで「白い太った鳩」という感じでしたね。日本では天然記念物ですが、現地ではターミガンと言って、罠を仕掛けて食べてしまう人もいるそうです。ちなみに、カラスもまるまるしていました。
 また、庭にイヌクシュク(写真はホテルのもの)を置いている家もありました。イヌクシュクとは大体1m位の大きさの原住民のモニュメントです。カリブーの群れがあるとか、オーロラが見えるとかの目印に使われたり、中を覗くと地平にポッンと次のイヌクシュクが見える。またそこから見ると次のと。。。人の繋がりを感じて孤独を紛らわすもの、などの意味があるそうです。
 人類は50万年程前、氷河期で凍りついたベーリング海を渡って、この北米大陸にやってきたんだよな。・・・・・はっ、待てよ。氷河期ってことは、今よりずっとずっと寒いことだよな。う〜ん、この寒さを耐える原動力はいったいなんでしょうかねぇ〜。
 そして、グレイトスレイブレイクに冬季だけできるアイスロードに行きました。水深452mのうち、氷の厚さは数メートルにもなるそうです。次から次へと車が来るという状態ではなかったのですが、コンボイ(でっかいトレーラー)などが速度50kmほどで走行していきました。
 それから、旧市街の先住民(ベネ族)のディーロ村に立寄りました(車窓より観光)。新市街ができて多くの人がそちらに住むようになったとかで、なんとなく元気がなかったですね。ちなみに、エスキモーもイヌイットを差別用語なんだそうです、ネガティブ・カナディアンとか言うのがいいそうです。
 最後に、プリンス・オブ・ウェールズ博物館に行きました。まず、正面に白熊の剥製が出迎えてくれました。この博物館、1979年に建設され、ノースウエスト準州の自然科学・原住民の文化など10万種類以上の展示品がありました。極北に住む動物の剥製や石の標本などなど、非常に参考になりました。また、おおかみの鳴き声を聞くこともできました。

 16:00頃ホテルに戻り、そのまま街へ買物に街に行きました。街へって言っても徒歩数分なんですけど・・・・・が、とにかく寒い。直ぐに鼻や頬が痛くなるので、歩き続けるのも危険なので「建物!」「建物!」と言いながら、歩いて50m程のスーパーマーケットに避難しました(汗)。大体、どんな品物があるのが調べてホテルに戻りました。ほとんどの人が車で行動してるのがわかりましたよ。。。そうそう、ノースウエスト準州のナンバープレートは白熊をかたどっています。何でも日本の"横浜"や"湘南"ナンバーのように盗難にあることもあるくらい人気なんだそうです。
 ホテルのお土産屋は、悪天候の日は「ブリザード・セール」と看板出して、15%オフのセールをしてました。確かに、天候が悪いと行動不能になるのですが・・・、う〜ん、商魂たくましい。。。といいつつ、幾つかお土産を購入しました。

 17:30頃から20:00迄、皆して昼寝をしました。多分、ボロキレのように寝ていたのでは。。。それで、寝覚めたら窓の外に、美しい濃紺の空が広がっていて目を凝らすと木星も見れるではないですか!、「晴れてる!」もう、興奮して直ぐにでも観望に行きたかったですね。そう、日入が19:30頃と遅いので20:00頃でも黄昏が見渡せました。
 出撃前の腹ごしらえ、ということで、またまたホテル1階の日本食レストラン「さくら」で食べることにしました(外に出るの大変なので)。メニューを検討している間、焙じ茶が出されました。さまざまな人々で賑わっているので、なかなか期待できるかな?と思いました。なんだかんだで、皆同じもの"すしテンプラセット"を頼んでいました(笑)。場所が場所なので、値段はそんなに安くなかったですね(2500円位かな)。それで、味の方は・・・・「よく頑張ってる」って感じでした。何か日本料理ではなく日本風でしたね。。。。



オーロラ観望へ

 防寒準備を済ませ、21:30出撃しました。
 前日の暴走バスと違っておとなしい運転でした。イエローナイフに3泊目の人達とも一緒になり、50人程(いたかな?)でバスが一杯になりました。相変わらず窓は凍り付いていて、ホテルのカードキーを使って削っても全然外の様子が分からなかったです。22:10頃、観測所到着。ドーム3と言われるとこで前日の観測所とは違う所でした。建物は、名の通り直径20m位(だったと思う)の白色のドームでした。そして、観望ポイントは湖を見下ろせる絶好の場所でした。観望ポイントからは、満天の星空が広がっていました。

 ここで、簡単にオーロラについて説明します。

オーロラは、太陽からは常に太陽風(電子や陽子を含むプラズマ流)が放出して
いて、それが地球の地磁気の相互作用によって加速され、地球の大気層と衝突
した時に起こる放電現象だといわれています。
それが主にオーロラゾーン (オーロラ・オバール)と呼ばれる場所で起こりやすい
とされていて、その地磁気極点を中心とした環状(地磁気緯度65度〜70度)の地
域にオーロラが発生します。 ただ、この地磁気緯度の中心が北極より11.5度北
米大陸側に傾いているので、カナダやアラスカで見えやすくなるのです。


 到着したもののオーロラが現われなかったので、満天の星空、つまり天頂より南にある北斗七星、腰から入浴するように沈むオリオン等々、これぞ北緯60度付近の星座というものを楽しみました。カナダの僻地で光害もないので、今までの星人生(?)で最高の星空でしたでしょうか。
 また、3泊目の(我々の前日にきた)人達と話す機会がありました。我々が来た前日は、数年にあるかって位のひどい吹雪だったそうです。引き返すこともあるって条件で飛行機に乗込み激しい揺れのなか、イエローナイフに着き、交通規制が解かれるのをまってホテルに辿り着き、とても観望できる状態ではなかったとのことでした。多分、それに巻き込まれていたら、私の飛行機恐怖症は一層悪化していたでしょう。。。(汗)
 あまりに素晴らしい星空だったので、放心して撮影することすら忘れていました。"はっ"と気付いて、撮影を開始しようと思って構図を考えていたら、東の空に淡く光る雲のようなものが現われてきました。22:30頃だったでしょうか、周りをみると早くも6割方の人が小屋で日和っているし(笑)。
 そうこうしているうちに、オーロラが西の空にも発生して、親切な人が小屋にオーロラ発生を伝えに行くと、ゾロゾロと人が出てきました(笑)。西の空のオーロラと東の空のオーロラが繋がって天にオーロラの橋ができたり、天頂付近で強く輝いてみたり、思ったより短い時間でオーロラは変化する(明滅する)ものだと分かりました。これらが、オーロラの写真です。
 普段の天体写真は、十数分〜1時間ほど、それもヒトタビ撮影を始めるとカメラを動かすことはないのですが、オーロラは数分〜十数分の時間の中で変化し、それに発生する方向も一定ではないので、間合いの取り方が難しかったですね。なお且つ、カメラを自由に向けられる自由雲台が凍りついて(爆)、スムースな動きがとれなかったし。。。

 23:40頃オーロラの発生が一段落したところで、観測小屋に戻って夜食を食べました。この日の夜食は、マスコックス(じゃこう牛)のシチューでした。
 再び、戦線復帰してオーロラをどんどん撮りました。24:00頃からも明るいオーロラが発生して、オーロラの雄大さなど楽しませてもらいました。しかし見れば見るほど不思議な現象ですね。
 24:40頃、撤退の刻限が近くなったので、オーロラが見えていたのですが、小屋に引き上げました。3日目の人達大はしゃぎでしたね。初日が大嵐だったから本当に喜んでいました。それで小屋に入った直後の私です(笑)。眼鏡はともかくとして、頬は(軽い凍傷で)痛いから暖めているところです。。。
 そして、前日失敗した「-30度の世界でバナナで釘が打てるか実験」を最チャレンジしました。実験してもらったのは、うつのみや君です。もらった温度計では-32度までいっていたので期待したのですが、バナナが中まで凍っておらず、数ミリ釘が入ったところでバナナが柔らかくなってしまいました(汗)。まぁ、"半分"成功っていったことろでしょうか。。。

 24:50撤退。ガイドのおねーちゃんも大はしゃぎ、バスの中で、

「皆さんオーロラ見えましたね♪ いえぃ!」

 と言いだしました。。私達は目が点になっていました。次の日池田さんにお会いして聞いた話だと、ここ1週間ほどオーロラが見えなかったそうです。(オーロラが)見られないのはガイドさんの責任じゃないのだろうけど、見えない日が続くと気まずい雰囲気になるんでしょうねぇ。。。実は、私も(オーロラが見れて)一息ついていました。

 ホテルに戻って、それぞれシャワーを浴びさっぱりしたところで、 祝杯をしました。先程見たオーロラについて 4:00迄まで語り合いました。皆、興奮覚めやらぬといった感じでしたね。
 そして、私はイエローナイフの夜景を撮影して寝ました。




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