左沢線

最終更新日2007.01.16.


● 基本データ

 左沢線(あてらざわせん)は、奥羽本線北山形駅から果樹園が広がる山形盆地をまわりこむように走り、左沢駅に至るJR東日本のローカル線(地方交通線)である。沿線では、さくらんぼや洋梨といった果物の生産が盛んなことより、フルーツライン左沢線という愛称が付けられている。難読な駅は多いが、難読な路線名は珍しい。最上川船運の要衝の一つとなっていた左沢は、寒河江城から見て左側(西側)にあり、『あちらの沢』の訛ったものが紹介され『あてら沢』となったようだ。漢字はそのまま『左』が当てられた。
 左沢線の歴史は、軽便鉄道法により左沢軽便線が大正10(1921)年7月20日、山形-羽前長崎間が開業したのにはじまる。同年12月11日寒河江まで、翌大正11(1922)年4月23日左沢まで延伸し全通した。同年9月2日、軽便鉄道法廃止により山形-左沢間が国鉄左沢線となった。
 大正11(1922)年4月11日公布された改正鉄道敷設法では、左沢から最上川に沿って南下、長井線(現;山形鉄道フラワー長井線)の荒砥を結ぶ延長線と、寒河江から奥羽本線の楯岡(現;村山駅)までを結ぶ分岐線が計画されていたが、いずれも実現しなかった。
 昭和2(1927)年9月11日、北山形駅に奥羽本線の列車が停車を開始したことより、山形-北山形間で二重戸籍状態が発生した。昭和62(1987)年4月1日、JR東日本に移管された際(国鉄分割民営化時の基本計画で)北山形-左沢間が左沢線となり、二重戸籍が改称された。
 軽便鉄道時代からの名残で、全ての列車が山形を発着する。奥羽本線に乗入れる際は、山形-北山形間は軌間1435mm(標準軌)の山形新幹線の路線とは別に、(仙山線と共用する)独立した単線を使用する。
 長井線が第三セクターの山形鉄道になったように、左沢線が第三セクターに転換するか廃止にならなかったのは、途中に「さくらんぼ」で有名な寒河江市などがあったことが考えられる。しかし、並行して走る山形自動車道が、平成元(1989)年から平成11(1999)年にかけて完成したので、左沢線の存続が危ぶまれるようになってきた。だが、フルーツライン左沢線という愛称が付けれたことにはじまり、観光シーズンにはトロッコ列車「風っこ」号が運行されるなど、結構な集客力を持つイベントが年に何回か行われる。また南寒河江駅や羽前長崎駅の周辺には温泉があることなど、左沢線の今は楽しいものになっている。


北山形-左沢間 24.3km

※ 盲腸線だか距離は短く乗りつくしは楽。ただ、通学(通勤)路線なので、
日中は極端に本数が少なくなるので計画には注意が必要。



[車窓の楽しみ方]
 山形駅を出発した列車は、進行(左沢)方向左側に山形城址を見ながら北に約2km奥羽本線と並行して走る。隣の北山形が左沢線の正式な始発駅だが、全ての列車が山形を起終点としている。この北山形から大きくカーブし北西に進むようになるのだが、歴史的な経緯もあって、北山形駅の東口から左沢線に乗る場合は、かなり構内を歩かなければならない。
 北山形を出発しても、しばらく市街地は続くが、徐々に水田が多く見られるようになる。東金井駅出て、東北中央自動車道が越えていき、須川に架かるコンクリート橋を渡り大きく進路を北に変えたら羽前山辺駅。沿線唯一の交換駅となっている。周囲の山にある多くの沢から集められた水が流れ、そのいくつかが川となって合流するのが羽前山辺付近。落差も激しく川幅も狭いため、一度豪雨になると一気に水が流れ洪水や氾濫が起こることがしばしばあり、「堰」を設け人々は水を管理してきたという。しかし。堆積した砂質のため、サクランボの成育に適し、サクランボの大生産地となっている。
 羽前山辺駅から高大な水田地帯が車窓の左右広がり、遠方には朝日連峰、蔵王などの山なみを楽しむことができる羽前長崎駅と南寒河江駅の中間付近で最上川に架かる鉄橋を渡る。この鉄橋、左沢線開通当時に、東海道本線の大井川鉄橋を移築して架けられたものだそうで、のどかな大正や昭和初期の時代には、この鉄橋から川に飛び込む遊びがあったそうな。
 こうして寒河江駅に着く。上のコーナーで、「寒河江城から見て『あちらの沢』の訛ったものが『あてら沢』となった」と書いたが、寒河江城は鎌倉幕府政所別当大江広元の子孫が戦国期に築城したもの。もともとは、広元が寒河江荘を与えられ、嫡男大江親広が寒河江に居館を構えたのにはじまる。しかし、戦国期出羽統一を目指す最上氏との戦いに敗れ廃城となっている。しかし、何より寒河江の名を全国区にしたのは駅標から分かるように、ここは日本一のさくらんぼの産地だからである。また、多くの学生がここで乗降していった。
 寒河江市には、北に寒河江川、南に最上川が流れ、左沢線は、この2つの川の間を∩の字に走るようになる。西寒河江までは市街地が続き、それ以降は果樹園の中に多くの倉庫群が見られた。高速道(山形自動車道)も近いので、出荷の拠点になっているのだろうか。標高があがるようになってくると柴橋駅。この付近で、寒河江盆地が一望できる。トンネルを抜け、最上川が見えてくると終点左沢駅に到着する。
 左沢は、「最上川舟歌」発祥の地から分かるように、最上川の水運で栄えた町である。今は洋梨のラ・フランスで有名で駅標もラ・フランスが用いられている。
 車窓は、寒河江までは進行(左沢)方向左右差がないが、その先は左側がよい。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.11.11. 福島・山形・宮城旅行で、北山形→左沢間に乗車。完乗達成。
  ・2006.11.11. その帰り、左沢→北山形間に乗車。往復完乗。



● 駅舎写真

北山形駅(2007.03.) 寒河江駅 左沢駅(2006.11.)



(ともりんが)行ってみたいおすすめ撮影ポイント

 フルーツライン左沢線という愛称が付けられているように桜や梨などの果樹園と列車を一緒に撮影できそうだ。また、羽前金沢あたりでは山形盆地の水田地帯を走るので、月山をはじめ遠望できる山々と撮影してみたい。



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