只見線

最終更新日2009.10.03.


● 基本データ

 只見線は、福島県の会津若松駅から新潟県の小出駅までを結ぶ非電化の路線で、全線を通して走る列車は日に3往復、ほか区間運転も日に6本程度しかなく、岩泉線名松線と並びJR線の中では屈指のローカル線である。前者2路線が30〜40kmなのに対し、只見線は135kmとその距離も長く、また利用客も千人を割り込んでいるという話もあり、"ローカル線度"は日本最高かもしれない。開発の進んでいない場所を走る為、野趣溢れる自然が車窓に広がる。
 沿線は有名な豪雪地帯で、また並行する国道252号は福島・新潟県境の"六十里越え"(大白川−只見間)が冬季通行止めとなるため、冬季には只見線が只見地区から新潟県へ抜ける唯一の交通手段となり、一説によればこれが多額の赤字を出しているのに廃止されない理由だという。
 ちなみに"六十里越え"とは、実際には六里(24km)の道のりが、あまりに険しすぎて六十里を越えるように感じるところから名付けられた、徒歩の時代からの交通の難所である。

 路線の建設は東西からすすみ、東(会津若松から)は軽便鉄道法により計画され、会津線の名称で昭和3(1928)年までに会津若松-会津柳津間が開業した。西(小出から)は只見線として昭和17(1942)年に小出-大白川間が只見線として開業した。戦後、田子倉ダムの建設のため、会津線が昭和31(1956)年に会津川口まで延伸開業。さらに先、会津川口-只見間は、電源開発株式会社の専用鉄道であったが、田子倉ダム完成後は、同区間を改良、昭和38(1963)年に国鉄線として開業した。昭和46(1971)年に只見-大白川間の開業により全通し、会津線の会津若松-只見間を分離して只見線と統合した。西若松から南に走る、支線格だった西若松-会津滝ノ原間が只見線全通とともに会津線となったが、国鉄分割民営化後の1987年7月に第三セクターの会津鉄道に転換された。
 "六十里越え"をはじめとする難所を越えるため、全線開通は昭和46(1971)年とその歴史は新しい。

 不採算路線ではあるが、最近では「磐西只見ぐるり一周号」(新潟→[磐越西線]→会津若松→[只見線]→小出→新潟)という臨時列車が運転されたりと、磐越西線とともに観光資源として着目されつつあるので、その未来は明るい・・と思いたい。



会津若松-小出間 135.2km

※ 会津川口-只見間は日に3往復しかないので、乗りつぶしには綿密な計画が必要。
135kmと距離は短いが、1回以上立ち寄ることを考えると1日はみておきたい。


[車窓の楽しみ方]
 只見線の旅は、会津若松駅の
あかべこ改札を通って出発する。あかべことは、病気を退散させると信仰され疫病よけとして昔から愛されている玩具である(赤には呪術的力が有とか)。江戸初期、蒲生氏郷公が会津藩士の生計を助ける為、副業として京都から職人を招いて技を取得させたことが始まりとされる。しかし、会津若松駅(や磐越西線)のあかべこはなんでこんなにユーモラスなんだろう。只見線のお隣にとまっている会津鉄道車輌のデザインは、もちろん地元福島の英才、野口英世。ちなみに、これが0kmポスト
 会津若松駅を出発し、市街地を抜けると会津盆地の水田地帯を走るようになる。特に若宮からは盆地の西端の山を登りはじめるので、磐梯山や猪苗代湖を囲う山々など四方を山に囲まれた盆地ならではの雄大な光景を見ることができる。交換(行き違い)の為、会津坂下駅にて一休み。車輌にこんなに近づけるのも"ローカル線ならでは"なのかもしれない。会津坂下駅から山の中へ。まだ日が来ない里では、朝靄によるこんな幻想的な世界が広がる。ここからさらに勾配を登っていく、なかには25‰なんて標識も。あまりにも急勾配な為か、秋、レールの上に落ちた葉が朝露に濡れ車輪が空転してしまい、坂を登れないってことが度々起こるようである。あまりにも一生懸命に坂を登ろうとする姿に思わず後ろから押してあげたいほど。ふーふー言いながら十数分遅れて坂道を脱出。"まぁ、のんびり行きましょうや"と、キチっと時刻通りに運行される首都圏では味わえない魅力が、只見線の旅にはあるようだ。
 会津桧原を出ると、初めて只見川を渡る(只見第一鉄橋)。再度、只見川を渡って、会津宮下へ。ここでは、今では珍しくなったタブレット交換が行われる。会津宮下は割と大きな町で、鉄道の撮影地温泉があるので、下車してのんびりするのもいい。温泉が楽しめる場所は、2ヶ所あり駅から徒歩15分の栄光館さんと、20分の桐の里倶楽部さんがある。栄光館では日帰り温泉なのにも関わらず温かいおもてなしがあり、桐の里ではそばも楽しむことができる(右はサービスでおかわり自由なきゅうりとおでん)。どちらを選択するか悩むところ。
 会津宮下を出発し、会津川口までは只見川に沿って走る。只見川には日本有数の田子倉ダムをはじめ、数多くのダムがあり川の流れがせき止められ、川沿いを走っているというよりの端を走っているようだった。各駅周辺に広がる街も川沿いに、というより、川辺の丘に"ぽこっ"と置いたように広がっていた。平成17(2005)年6月、新旧の橋の架け替え工事中、解体中の古い橋が歪み只見線の車輌にあたるという事故が発生した(翌7月復旧)。その現場が見えたら会津川口に着く。只見線のだいたいの中間点である会津川口は、小出行と会津若松行の交換(行き違い)が行われるので、時間調整することが多い。ホームのすぐ横が只見川なので、時間まで川を見ながらのんびり過ごすのもよい。会津川口を出発して40分程、コンクリート橋を渡ると只見駅へ着く。
 只見駅の駅名板は、木製のどっしりしたもので、林業が盛んなことを物語っている。構内はシンプルだが、積雪の為かポイントとポイントの間が長いなど広く設定されている(駅舎からホームまで50mあるなど)。そう、ここは昭和11(1936)年に積雪5m90cmを記録した豪雪駅。冬季は、さぞや大変だろうと思っていたら、「只見は、雪の時期がいいんだよー。」と駅長さん。また、ここ只見にも徒歩圏内に温泉がある。駅から徒歩15分ほど。
 只見駅隣の田子倉駅は、日本有数の秘境駅。トンネルを抜けたスノーシェイドの中に駅がある。1日に6本しかとまらない駅だが、是非、降りてみることをおすすめしたい。周辺に何もないなど、もの凄い衝撃に見舞われるので。もともとダム建設用に作られた駅なので、周辺に人家はなし。特に夜は山の中に消え入りそうな雰囲気になる。それ故か、平成13(2001)年から冬季閉鎖されるようになった。12月から3月31日まで雪の中に閉ざされる。
 田子倉駅を出発すると、ちらっと田子倉湖が見えるが、すぐ六十里越トンネルに入ってしまう。6分30秒ほどかかってトンネルを抜けると、越後平野が広がる。そのまま平野を走り終点、小出駅に到着する。
 車窓は、会津宮下までは進行(小出)方向、右が会津盆地や只見川が楽しめる。それ以降は、左右そんなに変わりはない。


● 乗りつぶし記録

  ・2005.11.13. 常磐・只見線攻略作戦会津若松→会津宮下→小出間に乗車。完乗達成。
  ・2009.09.27. 会津・野岩鉄道攻略で、会津若松→西会津間に乗車。



● 駅舎写真

会津若松駅(2006.01.) 西若松駅(2009.09.) 会津坂下駅(2005.11.)
会津宮下駅(2005.11.) 会津川口駅(2005.11.) 只見駅(2005.11.)
田子倉駅1(2005.11.) 田子倉駅2(2005.11.) 小出駅(2005.11.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地只見線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。



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