※ おおよそ1〜2時間毎に運転される他、小海・中込-小諸間の区間運転列車が、また観光シーズンに小淵沢-野辺山間に1日3往復ほど列車が運行されるので乗りつぶしは容易。また、しなの鉄道を利用して効率化をはかった方がよい。 | ● 基本データ 小海線(こうみせん)は、山梨県の小淵沢駅から長野県の小諸駅に至るローカル線(地方交通線)である。八ヶ岳東麓の野辺山高原から千曲川の上流に沿って佐久盆地までを走る高原鉄道で八ヶ岳高原線の愛称がある。また、清里-野辺山間には標高1375mのJR鉄道最高地点があり、野辺山駅は標高1345mの「JR線最高駅」となっている。 八ヶ岳高原線の愛称がついてはいるが、それにふさわしい場所を走るのは、山梨県側(小淵沢-野辺山間)のみで、あとは典型的なローカル線の風景が続く。また、沿線には、清里、松原湖、懐古園などの観光地や野辺山や臼田には宇宙を電波で観測する研究所がある。 小海線の建設は、小諸から佐久鉄道によって進められた。大正4(1915)年8月8日、小諸-中込間で開業した路線は、大正8(1919)年3月11日小海駅まで延伸した。佐久鉄道には、「電化」「甲信越連絡」等の広大な計画があったようだが、昭和初期よりはじまる恐慌により断念。ついには、昭和9(1934)年9月1日、買収・国有化され佐久鉄道は幕を下ろすことになる(この区間は、小海北線となる)。 一方、山梨県側の建設は昭和3(1928)年に始まり、昭和8(1933)年7月27日、小海南線として小淵沢-清里間が開業する。太平洋(静岡県)と日本海(新潟県)を最短で結ぶ鉄道として、また、野辺山には、野辺山海軍航空隊・予科練の特攻隊員の飛行練習場があったことより軍事的な目的があったことが推測できる。当初、計画当時の鉄道大臣小川平吉が富士見町出身ということでもあり、小海南線は富士見駅を起点とする予定であった。しかし、富士見駅までには、多くの橋梁、トンネルが必要となり、工事費用などの点から計画は断念。大きくカーブして(鉄道の限界に近い最小半径)小淵沢駅に至るようになった。そして、昭和10(1935)年11月29日、全線が開通する。 戦時中や戦後すぐには、簡易線用蒸気機関車(C56)が小海線を走っており、急坂をあまりにゆっくり登っていくので、「用足し」のために男性が車両から飛び降り、再び走って追いつく事が出来たとか。 | |
信濃川上駅からは千曲川沿いに進む。途中、佐久海ノ口駅に是非降りてもらいたい。古い駅舎なので、昭和初期の雰囲気が味わえるので。長野・大糸線にも海ノ口駅があるのだが、雰囲気が似ているので驚いた(左海ノ口駅・右佐久海ノ口駅)。また、駅から5分のところに温泉があり、湯元ホテル和泉館さんなどで楽しむことができる。 小海駅からは千曲川の右岸を走る。佐久市に入ると住宅が増えてくるが、のどかな田園風景も見られる。中込駅で増結して、さらに北へ。小諸に近づくと浅間山も見えてくる(写真は写ってませんが)岩村田駅から中佐都駅までは高架になっており北陸新幹線と国道141号線をオーバーパスし、乙女駅からはしなの鉄道と並走し、終点の小諸駅に到着する。 車窓は、進行(小諸)方向、左側が面白い。 |
● 乗りつぶし記録
・1991.11.02. 天文研秋遠征で小淵沢→清里間に乗車。
・1991.11.04. その帰り清里→小淵沢間に乗車。
・2005.08.28. 身延・小海線攻略作戦で小淵沢→小諸間に乗車。完乗達成。
● 駅舎写真
小淵沢駅(2005.08.) 甲斐小泉駅(2007.04.)車 甲斐大泉駅(1999.05.)車 清里駅(2006.07.) 野辺山駅(1999.05.)車 信濃川上駅(2006.12.)車 佐久海ノ口駅(2005.08.) 小海駅(2005.08.) 中込駅(1999.05.)車 佐久平(1999.05.) 小諸駅(1999.05.)
● おすすめ撮影ポイント
撮影ポイントは、JR線路線別撮影地小海線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。