富良野線

最終更新日2006.04.29.




旭川-富良野間 54.8km

※距離が短く本数も多いので、乗りつぶしは比較的容易にできる。
● 基本データ

 富良野線は、旭川と富良野を結ぶ地方交通線(ローカル線)である。
 昭和56(1981)年にフジテレビでドラマ「北の国から」が放送され、富良野は一躍有名な観光地になったが、路線的には全長54.8kmと北海道管内でもっとも短い路線で、沿線に鉄道ファンの心理をくすぐる場所(古い駅など)が少ないので、鉄道ファン中では地味な路線として認識されている。
 ローカル線の地味な路線ではあるが、もともとは幹線として建設されている。道央旭川から道東を結ぶ路線(十勝線)として、北海道官設鉄道が明治32(1899)年9月1日が旭川-美瑛間を開業させたのにはじまる。翌明治33(1900)年8月1日、下富良野(現、富良野)まで延伸され、明治38(1905)年4月1日に官設鉄道に移管された。釧路から伸びてきた路線と明治40(1907)年9月8日に結ばれ、旭川-釧路間が全通。釧路線となった(明治42(1909)年10月12日)。
 しかし、旭川経由だと(札幌からの)時間短縮がはかれないので、滝川-下富良野間が建設され、大正2(1913)年12月10日開業した。それを受けて滝川-下富良野-釧路間が釧路本線、旭川-下富良野間が区間分離、富良野線となった。ちなみに釧路本線は、後に根室まで開業したのを機に根室本線となっている。

 大正15(1926)年5月24日、突如十勝岳が大噴火し泥流が麓の集落を飲み込み死者144名、315戸が被害に遭うという災害が発生した。富良野線も例外ではなく、線路と橋梁が押し流されてしまった。この災害で、富良野線は長期不通に追い込まれてしまうが、鉄道関係者、地元住民の努力によって、数年のうちに復旧している。

 昭和62(1987)年4月1日、JR北海道に移管されたのを機に貨物営業廃止。また北海道有数の観光地、富良野を抱えるので、平成10(1998)年7月、富良野-美瑛間にノロッコ号運転の開始、平成1(1999)年6月11日、臨時のラベンダー畑駅(季節開業)を新設など、観光に特化した路線として生まれ変わった。また、近年では旭川の発展を受け、旭川方面への通勤・通学路線としての性格も増してきている。
[車窓の楽しみ方]
 始発駅旭川から富良野線に乗る場合は、数百mの地下道を歩かなければならないので注意が必要。富良野の美しい光景を出発前に楽しむことができるが、旭川の改良工事でこの地下道もなくなる可能性も。
 富良野の原野を走り抜けるのは、昭和62(1987)年に導入されたキハ54形
 石狩川の支流忠別川を渡ると旭川のベットタウンが千代ケ岡まで広がる。ここから登りになり、登りきったら美瑛。石造りの駅舎は幾つかのCMに利用されたとか。ここから上り下りを繰りかえす、道内有数の勾配だそうで、強力なエンジンを積んだキハ54でも苦しそうだ。
 美瑛の丘を抜けると富良野盆地に入る、ここからは先程までの勾配がうそのように平らな大地を走る。また、線路もひたすら真っ直ぐである。
 ここからは観光地に入ったように感じられ、春には残雪が残る十勝岳連峰や畦が芝桜のピンクで縁取られた水田が、夏にはファーム富田さんや北星山がラベンダーで紫に染まり、秋には紅葉、冬には白い平原とどこまでも広がる、と四季によってさまざまな風景を楽しむことができる。
 富良野はラベンダーでも有名だが、北海道の中心に位置し「北海道のへそ」としても知られている。終点、富良野ではへそおどりの人形が出迎えてくれる。そして富良野を一躍有名にしたのは『北の国から』。その麓郷の森へは、富良野駅から約15kmほど。
 車窓は、左右どちらでも大差はない、美瑛から先は十勝岳連峰が望めるので進行(富良野)方向左側がよいかも。



● 乗りつぶし記録

  ・2002.07.21. 最北端の地への帰りラベンダーを見る為、旭川→富良野間に乗車。完乗達成。
  ・2006.03.19. 北海道完乗作戦で、富良野→旭川間に乗車。往復達成。



● 駅舎写真

旭川駅(2002.07.) 千代ヶ岡駅(2006.03.) 美瑛駅(2002.07.)
富良野駅(2002.07.)



● おすすめ撮影ポイント

 何と言っても富良野線と言えばラベンダー畑と列車だろう(写真には列車はいません)。(臨)ラベンダー畑-中富良野間のファーム富田さんからが有名だが、満開なるとラベンダーは刈り取られてしまうので撮影できるのは7月下旬の数日しかない。あと、美瑛-美馬牛間の原野中にある真っ直ぐに伸びるレールが有名。 (このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)



全線一覧の Pege へ もどる