宗谷本線

最終更新日2006.05.27.




旭川-稚内間 259.4km

※稚内までは特急と普通で3往復ほど。普通の場合は何とか日帰りができるようだが十分な計画が必要。
● 基本データ

 宗谷本線は日本最北の地を走る鉄路で、旭川駅から名寄駅を経由し日本最北端の駅稚内駅に至る路線である。幹線だが、現在は地方交通線(ローカル線)扱いとなっている。
 日清戦争後の三国干渉(明治28(1895)年)などにより、対露戦争が避けられないものと考えた政府は明治29(1896)年北海道鉄道敷設法を公布、これにより旭川-稚内間が北海道官設鉄道の1期線の1つとして建設されることになった。
 北海道官設鉄道天塩線として、明治31(1898)年8月12日旭川-永山間が開業。明治33(1900)年8月5日に士別、明治36(1903)年9月3日に名寄まで延伸開業している。
 路線は、名寄まで伸びたが、日露戦争の勃発(明治37(1904)年2月)による財政難で工事は中止された。戦争中の明治38(1905)年4月1日官設鉄道に移管され、国鉄天塩線(明治42(1909)年10月12日)となったが、延伸工事が再開されたのは、明治44(1911)年になってからである。これは、日露戦争後のポーツマス条約(明治38(1905)年9月5日締結)によって南樺太が日本に割譲されたことで、路線建設の意義が増したからである。大正元(1912)年9月21日路線名が宗谷線に改称され(後に宗谷本線に)、 同年11月5日音威子府まで延伸開業した。
 音威子府から北へオホーツク海の浜頓別へ大正7(1918)年8月25日に延伸、大正11(1922)年11月1日に稚内(現;南稚内)まで開業全通した。そして昭和3(1928)年12月26日稚内港(現;南稚内)まで伸びている。音威子府-稚内間は、幌延経由ではなく浜頓別経由になったのだが、これは幌延方面は天塩川の水運が利用できることによる。しかし、距離が短くなる幌延経由の路線も(浜頓別経由と)ほぼ同時期に天塩線として建設がはじまり(大正6(1917)年着工)、大正15(1926)年9月25日音威子府-稚内が開業した。
 昭和5(1930)年4月1日天塩線を宗谷本線に編入。浜頓別経由の路線が北見線として分離された。この区間は、昭和36(1961)年北見市の誕生にともない混乱を避ける為、同年4月1日天北線と改称された。
 稚内から先は、樺太の大泊(現;サハリン州コルサコフ)まで、鉄道連絡船が大正12(1923)年5月1日就航、約210kmを8時間ほどで結んでいた。しかし、敗戦により昭和20(1945)年8月25日運航は停止された。
 敗戦後、樺太連絡の使命は失い、北見線、名寄本線(ともに平成元(1989)年5月1日廃止)、深名線(平成7(1995)年9月3日廃止)などの支線・連絡線を失ったが、道北に向かう唯一の主要幹線であり、一貫して優等列車が運転され続けている。平成12(2000)年3月には、旭川-名寄間の高速化改良が完成し、同時に投入された振り子式車輌による特急は札幌-稚内間を約5時間で結んでいる。また季節運転の夜行特急はなたび利尻には、お座敷車輌が連結されることがあり、横になって旅をすることができる。


[車窓の楽しみ方]
 旭川→音威子府間、旭川市街地を抜けると石狩平野の北端に辿りつく。この塩狩-和寒間には標高272mの塩狩峠があり、明治42(1909)年2月28日の夜、汽車が峠の急勾配にさしかかった時に客車最後尾の連結器が離れ、逆行暴走する事故が発生した。当時若き国鉄職員であり、乗客であった長野政雄が自ら身を挺し、車輪の下敷きになって乗客の命を救った悲話をモデルしたのが、有名な三浦綾子の小説『塩狩峠』。その日が当人の晴れの結納の日だったのが涙を誘う。現在塩狩駅構内には「長野政雄殉職の地」顕彰碑が建立されている。
 豊かな田園風景を眺め、剣淵川を渡ると士別。そして、天塩川を渡って碁盤の目のように整備された水田の中を走ると名寄に着く。名寄から全国4位の長さを誇る天塩川に沿って走るようになるが、徐々に集落が少なくなり、最果ての地へむかっていることが実感できる。こうして音威子府に到着する。ここ音威子府はそばの北限地なのだそうで、是非音威子府で駅そばを食してみたい。
 車窓は、石狩平野を抜けるまでは大雪山などを望めるので進行(稚内)方向右側、それ以降は左側がよい。
 音威子府→稚内間、ここからも天塩川に沿って走るのだか、大きく蛇行しそれに沿うように線路も大きく右や左にカーブする。河口に近づく天塩川は徐々に川幅を広げていくのだが、この区間にほとんど集落はなく、カナダの原野を走っているような錯覚に陥りそうである。雄大な自然に感動しつつも、駅が近づくと集落があらわれることに安心する。これは人間が社会で生きているからなのだろう。
 天塩川に別れを告げ幌延を出発すると、進行(稚内)方向左にサロベツの原野が広がる。国立公園にも指定されているサロベツ原野だが、線路は原野の東端を走るので、あまり美しさを楽しむことができない。途中下車して楽しみたいところ。
 稚内まであと2駅の抜海を出発してしばらくすると、進行(稚内)方向左の視界が開け、日本海とそして天気がいいと利尻富士が望むことができる。一瞬のことなので気を抜かないようにしたい。また、この宗谷本線のハイライトをのんびり楽しみたいのなら、季節運転のノロッコ号を利用するのもすすめる。日本海を離れて熊笹の森を抜けると市街地に入り、終点稚内に到着する。
 車窓は、進行(稚内)方向左側がよいので、絶対陣取るようにしたい。



● 乗りつぶし記録

  ・2002.07.20. 最北端の地へ、旭川→稚内→旭川間に乗車。完乗達成。



● 駅舎写真

旭川駅(2002.07.) 新旭川駅(2006.03.) 比布駅(2002.07.)未下車
士別駅 名寄駅 美深駅
音威子府駅 幌延駅 稚内駅(2002.07.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地宗谷本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)
 この他、サロベツ原野と利尻富士が撮影できる兜沼-勇知間、塩狩-和寒間の塩狩峠など。



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