三角線

最終更新日2007.04.27.


● 基本データ

 三角線(みすみせん)は、鹿児島本線の宇土駅から宇土半島の先端、三角まで至る地方交通線(ローカル線)である。熊本南部、有明海と不知火海の間に突き出したような宇土半島を、三角線は熊本(宇土)から全線(と半島)の2/3を北岸を走り、やがて半島を横断、半島南西端の三角をと結んでいる路線である。
 『整然とした中にも活況を呈する”長い美しい灰色の町”』とラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が明治期に評した港の町並みがあった三角築(西)港。熊本の五高の教師として赴任していたハーンは、長崎に赴きその帰り海路から熊本へと戻る途中、三角に一泊し、その時経験した夢のような時間を著書『夏の日の夢』に記した。
 近代国家に目覚めたばかりの日本は、殖産興業の振興の他に、貿易の振興を主目的として大型船が接岸できる近代的な港湾施設の必要に迫られた。明治政府の政策のもと、宮城県の野蒜港、福井県の三国港と共に造られた三角西港は、明治17(1884)年に整備が始められ、明治20(1887)年に開港した。石材で構築された港を中心に、裁判所、郡役所、水産試験場など公的な施設や、荷役作業を請け負う回漕店の白壁倉庫が建設され、商店、宿屋、遊郭などが立ち並んだ。明治22(1889)年の特別輸出港、明治32(1899)年開港場(貿易港)としての指定を受けるなど、熊本県を代表する港となった。
 この三角(西)港への荷物を運搬する目的で、九州鉄道が明治23(1890)年7月、路線の建設をはじめ、明治32(1899)年12月25日開業した。九州の幹線、後の鹿児島本線(当時は九州鉄道の八代線)の門司(現;門司港)-熊本間が明治24(1891)年7月1日であるから、歴史のある路線の1つである。ただ、山がせり出したような地形にある西港に路線を敷設することは困難を極め、結局三角駅は現在の地近く(西港から南東、車で10分ほどの位置)に作れられた。地形の関係で西港周辺の土地の拡張が難しいこともあり、新たに三角駅付近に三角東港が整備された。これにより西港は急速に廃れ、結果明治初期の面影をよく残す遺構となったのは、皮肉なことである。
 やがて、明治40(1907)年7月1日九州鉄道は国有化され、明治(1909)年の国有鉄道線路名称設定で宇土-三角間が三角線になった。
 熊本方面より天草や島原へ船の便がある三角まで、多くの乗客を運んでいたが、熊本新港や天草飛行場の開港、天草の各島と本土とを結ぶ5つの橋(天草パールライン)の完成、車社会の進展などによって三角線を使って三角港に行く旅客は少なくなった。現在は、地域輸送を担っている。しかし、快速「天草グルメ快速おこしき」などを走らせるなど、観光に力を入れはじめている。
 ちなみに、おこしきとは網田(おうだ)駅付近のにある御輿来海岸から取ったもので、「日本渚百選」に選ばれている。ここで、天皇の神輿(みこし)をここで揚げたことに由来するのだそうだ。また、三門(みかど)とは、景行天皇が筑紫巡幸の際この地を通られたので、これにちなんで御門(みかど)と呼ばれ、のちに「三角」となった。など三角線沿線には天皇に由来する名が多い。





宇土-三角間 25.6km

※ 大都市熊本に近い発着で距離も短く、1時間に1本と本数も多いので乗りつくしは容易。


[車窓の楽しみ方]
 三角線の列車は全て熊本発着となる。始発駅となる宇土駅駅舎は大正時代に作られたもののようで、いかにも始発駅たる雰囲気がよかった。路線の起点となる0kmポストも宇土駅構内にある。
 宇土駅を出発した列車は国道57号の下をくぐり、鹿児島本線と分岐する。そのまま街並みを大きくカーブし、国道57号と並走。この後、路線全体の2/3の赤瀬まで宇土半島の北側を仲良く走ることになる。はじめは家屋や工場などが見られるが、緑川付近では左右に水田が広がる。やがて、進行(三角)方向右手には水田が広がり、左手には宇土半島の山々が近づいてくる。住吉駅を出るとすぐに、海沿いを走るようになり、進行(三角)方向右手有明湾の広大な干潟が車窓に広がる。養殖に使う為か、電線が沖まで続いているのが印象的だった。ここら辺では夜、熊本の夜景も(うっすらと)対岸に浮かび上がっていた。漁港が見え町の中に入ったら肥後長浜、駅出て海が見えるが、谷の中を走り網田(おうだ)に着く。
 網田を出てすぐ海が見えるが、どんどん線路の高度が上がり、海を俯瞰するようになってくる。高い所から見る海は楽しく、途中、侵蝕岩や漁港などが車窓に広がる。進路が大きく変わり、海から離れ、谷の中に入るとすぐ赤瀬になる。
 赤瀬を出発するとレンガ造りのトンネルに入る。この赤瀬トンネルを抜けると、谷に入り、波多川が作り出したV字の谷を駆け下るようになる。途中、進行(三角)方向左側に水田やビニールハウスが見える。途中石打ダムになるのだが、ここは平成元(1989)年に三角港築港100周年記念事業の一環として、町民の寄付によって造られたものだそうだ。ちなみに駅名にもなっている石打ダムは、駅よりやや遠く波多川の支流八柳川の上流にある。
 街が広がると波多浦、ここから今度は宇土半島南端を走り、漁港が見えたら、終点三角に到着する。
 熊本から突き出したようにある宇土半島、その先にはいくつかの島があり、それぞれの島との間には狭い海路(瀬戸)がある。半島先端にある三角駅の屋根には灯台があり(駅舎写真参照)、船の道しるべとなっている。鉄路だけでなく、海路にも重要な役割を果たしているので面白い。駅構内ではそれを思わせる灯台船に関連するオブジェが多い。また、歴史を感じさせられる駅舎内もよい。昭和63(1988)年、増設されたデッキからは天草諸島が一望できる。
 寛永14(1637)年起きた島原・天草一揆の天草四郎メモリアルホール(記念館)へは、三角駅からバスで約20分ほど。



● 乗りつぶし記録

  ・2007.04.01. 南九州攻略作戦で、宇土→三角間に乗車。完乗達成。
  ・2007.04.01. 同、三角→宇土間に乗車。往復完乗達成。



● 駅舎写真

宇土駅(2007.04.) 住吉駅(2007.04.) 三角駅(2007.04.)



ともりんが行ってみたいおすすめ撮影ポイント

 有明海の干潟と列車が撮影できる肥後長浜や、赤瀬駅で撮影してみたい。



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