● 基本データ 武豊線(たけとよせん)は、東海道本線の大府駅から知多半島の東側を通り、武豊駅に至るローカル線(地方交通線)である。名古屋近郊にあり、しかも名古屋駅まで直通運転するのにも関わらず、全線単線非電化となっている。 武豊線の歴史は古く、明治21(1888)年3月1日、武豊(のちの武豊港)-熱田間が開業した。これは当然東海道本線開通よりも前である。 東京-大阪間に建設される鉄道が国防上の(海上から攻撃されにくい)理由から中山道経由と決定し(明治16(1883)年)、武豊港に基地を設けて海上輸送されたレールや機材などを建設現場に運搬することになった。これらの運搬の為、武豊線は建設された。しかし、中山道経由では難工事が予想されたことから、明治21(1886)年7月19日、幹線鉄道を東海道経由に変更。大府以北が東海道線に組み込まれることになり、浜松-大府間が明治23(1888)年に開業すると大府-武豊間が支線となった。明治42(1909)年の線路名称制定では武豊線と命名された。武豊とは、近くの武雄、豊石両神社の一字を取ったものだそうだ。昭和62(1987)年4月1日、国鉄分割民営化によりJR東海旅客鉄道に移管され、現在に至る。 東海地方では最も古い路線であり、現存するJRの駅舎としては最も古い明治19(1886)年築の亀崎駅駅舎や明治42(1909)年11月築の半田駅の跨線橋(階段の中・独特な支柱)などが、その歴史を物語っている。 鉄道敷設資材として建設されたが、その役割は明治25(1892)年6月1日、武豊駅が現在地に移転、武豊-武豊港間が廃止されたことで終え、以後知多半島にある工場からの貨物運搬を担い、今では武豊町や半田市から名古屋との通勤・通学客の足となっている。知多半島には武豊線と平行して名鉄常滑線と河和線が走っているが周辺の人口も多く、これらと特に競合せず乗降客も多い。その為、平成11(1999)年より大型高性能な気動車キハ75(写真は快速みえ)が導入された。 名古屋圏の為、朝と夕方から夜に名古屋までの直通し、東海道本線内では区間快速として運転されている。これは気動車列車ゆえに加減速性能が電車に比べて悪いため、東海道本線内の停車駅を減らして加減速回数を少なくするための措置である。 東浦駅の先までは平野部を走り、水田の奥に丘陵地帯がある風景を車窓に望むことができる。亀崎駅の手前でゆるい上り坂となって、海抜は高くない丘陵地帯に入り、半田そして終点武豊駅に到着する。 半田駅から東に200m(徒歩3分)のところには潟~ツカンの本社があり、付属する施設として博物館酢の里がある。ここでは酢の歴史・生産工程などを見学することができる(要予約、ですが。。)。 | ||
※ 日中でも1時間に2本、朝夜はもっと本数が多くなり名古屋までの直通運転となるので、容易に乗りつぶしができる。 |
● 乗りつぶし記録
・2005.08.20. JR東海攻略作戦で大府→武豊間に乗車。完乗達成。
・2005.08.20. その帰り武豊→半田→大府間に乗車。往復完乗達成。
● 駅舎写真
大府駅(2005.08.) 緒川駅(2005.08.) 半田駅(2005.08.) 武豊駅(2005.08.)
● (ともりんが)行ってみたい撮影ポイント
やはり、武豊線のハイライト石ヶ瀬川の鉄橋を渡る列車を撮影してみたい。