米坂線

最終更新日2009.12.25.


● 基本データ

 米坂線は、奥羽本線の米沢から山形・新潟県境にある赤芝峡や荒川峡を見ながら羽越本線の坂町に至るJR東日本の地方交通線(ローカル線)である。赤芝峡や荒川峡は紅葉の名所として知られる。また、日本有数の豪雪地帯を走る路線でもある。

 明治25(1892)年6月21日に公布された鉄道敷設法に、「新潟県下新発田ヨリ山形県下米沢二至ル鉄道」と規定された。これを受け、米坂線として大正15(1926)年9月28日に米沢-今泉間が開業した。この後、路線の東西から建設が進むことになり、東側は米坂東線として、昭和6(1931)年8月10日に手ノ子まで、昭和8(1933)年11月10日に羽前沼沢まで、昭和10(1935)年10月30日に小国までが延伸開業した。西側は米坂西線として、昭和6(1931)年8月10日に坂町-越後下関間が開業、昭和8(1933)年11月30日に越後金丸まで延伸された。残る小国-越後金丸間が昭和11(1936)年8月31日につながり全通した。この際路線名も米坂線に統一された。

 昭和38(1963)年1月25日に発生した『三八豪雪』など大雪や豪雨で運休になることがしばしば発生しているが、山形南部及び福島から日本海側に抜けるルートとして、重要な役割を果たしている。




米沢-坂町間 90.7km

※ 距離の割に全線を走り抜ける列車は日に5往復しかないので、乗りつくしには注意が必要。



[車窓の楽しみ方]
 米坂線を走る列車は気動車。かつては、国鉄色(急行型)気動車や、国鉄色気動車が走っていて、サボ(行先表示)も旧来のものとなっていて楽しかったが、平成21(2009)年3月に国鉄色気動車の運行は廃止されてしまった。
 新幹線の開業によってきれいになった米沢駅。しかし、米坂線の乗り場は取り残されたように国鉄時代の雰囲気が残る。米沢を出発した列車は南にむかって走り出す。奥羽本線と分岐すると、まず最上川を渡る。この時の最上川はまだ、川幅が狭い。市街地を望みながら、米沢盆地南部をUの字のように走り、南米沢付近から大きく北にむかうようになる。西米沢までの間に進行(今泉)方向右手にこんもりとした杉の森が見えるが、これは米沢藩主上杉家の霊廟である。盆地の水田地帯をのんびり走り、奥羽本線の赤湯からやってきた山形鉄道フラワー長井線が進行(今泉)方向右手から近づいてくると今泉。
 ここから約1.8kmが山形鉄道と供用区間になっている。第3セクターの山形鉄道との供用は全国でも珍しい。これは山形鉄道が昔、国鉄路線(長井線)だったから。最上川の支流白川を渡ると山形鉄道と分岐、山形鉄道は荒砥(あらと)を目指す。分岐後、大きく南に進路を変え、羽前椿を出ると白川寄り添ってくる。並走は手ノ子まで続き、手ノ子からは白川の支流宇津川に沿って走り、深い谷の中に入っていく。宇津峠の長いトンネル(宇津トンネル)を抜けても、深い谷を走っていく。ただ、川の流れが逆になるのが面白い。こうして小国に着く。
 小国からは、荒川が合流してきて、素晴らしい渓谷美が車窓に広がる、これが赤芝峡。こうして、山形から新潟県に入る。この後、越後金丸、越後片貝・・・と越後が付く駅名が続くので、新潟県に入ったことが実感できる。越後片貝から先、再び荒川峡素晴らしい光景が広がる。冬季、氷の張った湖面もよい。平野や、それにともなって家がいくつか見えるようになってくると越後下関。荒川とともにを抜けると、再び平野に入る。しばらく走ると右に大きくカーブし、奥羽本線と合流すると終点坂町に到着する。
 車窓は、進行(坂町)方向左右ともに楽しいが、右の方がややよいかもしれない。



● 乗りつぶし記録

  ・1988.08.   高校の合宿研修(於;米沢)の後、友人の田舎に立寄る為、米沢→坂町間に乗車。完乗達成。
  ・2009.12.19. 山形鉄道乗りつくしで、坂町→越後金丸/越後片貝→今泉間に乗車。
  ・2009.12.20. 同、米沢→南米沢間に乗車。



● 駅舎写真

米沢駅(2009.12.) 南米沢駅(2009.12.) 今泉駅(2009.12.)
小国駅 越後金丸駅(2009.12.) 越後片貝駅(2009.12.)
坂町駅(1988.08.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地米坂線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。
 他に、紅葉が綺麗な手ノ子-越後沼沢間、赤芝峡を走る列車が撮影できる越後沼沢-伊佐領間、また赤芝峡にかかる鉄橋を走る列車が撮影できる小国-越後金丸間など。



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