陸羽西線

最終更新日2007.01.08.


● 基本データ

 陸羽西線は、奥羽本線の新庄駅から羽越本線の余目駅までを結ぶJR東日本のローカル線(地方交通線)である。石巻から小牛田、新庄と通って余目に至る太平洋-日本海横断線の一部だが、8つの駅が40kmあまりの距離にあるのみと、とてもコンパクトにまとっまっている感がある。
 松尾芭蕉の有名な「五月雨をあつめて早し最上川」の俳句は、沿線の清川駅付近で詠まれたもの。このことに代表されるように、路線の大半を最上川と沿って走り、その渓谷美が楽しめる。それらのことより、奥の細道最上川ラインという路線愛称がつけられている。
 明治25(1892)年6月21日公布の「鉄道敷設法」に「福島県下福島近傍ヨリ山形県下米沢及山形、秋田県下秋田青森県下弘前ヲ経テ青森ニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテ山形県下酒田ニ至ル鉄道」と規定され、奥羽本線の支線、酒田線として新庄より建設が開始された。初めに開業したのは、新庄-古口間だが、最上川や支流の橋梁やトンネル掘削作業など難工事が続き、開業したのは、大正2(1913)年12月7日のことである。
 その後、最上川に沿って順調に工事は進み、翌大正3(1914)年6月14日に清川、同年8月16日に狩川まで。同年9月20日には、余目まで延伸して現在の路線が完成した。工事はその後も続き、大正3(1914)年12月24日酒田まで延伸し、路線名の通りとなった。しかし、大正6(1917)年11月1日の陸羽線全通開業に伴って、陸羽線の小牛田-新庄間が陸羽東線、新庄-酒田間が陸羽西線となった。
 さらに、陸羽西線は酒田から南北に工事が進み、北へは、大正8(1919)年12月5日遊佐、大正9(1920)年7月20日吹浦、大正10(1921)年11月15日象潟、大正11(1922)年6月30日羽後本荘、同年10月16日羽後岩谷まで延伸開業。一方、南へは、大正8(1919)年7月6日鶴岡、同年12月5日羽前大山、大正11(1922)年5月22日三瀬、大正12(1923)年3月18日温海、同年11月23日鼠ヶ関まで延伸開業した。大正13(1924)年4月20日、羽後岩谷から北の羽後亀田-羽後岩谷間開業し、秋田から南へ路線を延ばしていた羽越北線と接続した。この際、秋田-酒田-鼠ヶ関間が羽越線(後の羽越本線)とされ、切り離される形となった新庄-余目間が陸羽西線となった。
 酒田線だった歴史からほとんどの列車が酒田までむかう。そして、新庄-酒田間に快速「最上川」が1往復半(下り1本、上り2本)運転されていて、山形新幹線との連絡・速達化がはかられている。



新庄-余目間 43.0km

※ 距離はそれほど長くはないが、日に11往復とそれほど多くないので計画には注意が必要。



[車窓の楽しみ方]
 陸羽西線の始発駅である新庄は、江戸時代戸沢氏新庄藩(6万石)の城下町として発展し、大正時代以降は奥羽本線、陸羽西線と陸羽東線が分岐する鉄道の要衝地となった。現在は、新幹線も新庄まで伸び東京と3時間ほどで結ばれ、ますます重要なターミナル駅となっている。
 そんな新庄駅から西にむかうのが陸羽西線、平成10(1998)年から使用されている専用塗装のキハ110系気動車が新庄を出発し、奥羽本線と分岐すると大きくカーブし西に進路を取るようになる。その頃になると新幹線の駅である都市の家並みを抜け新庄盆地が広がるようになる。この間、ものの数分の出来事で、そのギャップが面白い。新庄から徐々に風景が里山のものに変わり、2つ目の羽前前波駅を出発するとトンネルになり、それを越えると最上川の支流鮭川を渡り津谷駅。津谷を出発すると、いよいよ最上川を渡り古口駅へ。
 戸沢藩の領域の西端にある古口、また最上川水運の拠点として旧舟番所(駅から西に徒歩5分ほど)がおかれ、ここで船を改め、夜は通行を止めたそうである。駅から東に行くと現代の船番所があり、江戸時代の旧舟番所を模した建物がある。ここは最上川舟下りの乗船所であり、実際ここから乗船して最上川船下りを楽しむことができる。
 古口以降は、列車は最上川に沿ってのんびり走るようになる。トンネル、最上川、トンネルの繰り返しで、その都度違った顔の最上川を楽しむことができる。線路の高さが道路(国道)より高いので眺めもよい。川を包む山がまだ高いので山深い所を走っているようじ感じるが、川面に砂洲が多く見られるので河口が近づいていることが分かる。
 新撰組を作ろを画策し、後に暗殺された幕末の志士清河八郎、彼の出身地が清川。駅南東の清川神社には清河八郎記念館がある。また、芭蕉が「五月雨をあつめて早し最上川」と詠んだ舟下りの下船した場所として有名で、碑が清川小学校に立っている。清川から、列車は広々とした庄内平野に出る。日本海からの風は強く、『清川だし』で知られるほど。この強い風を利用した風力発電もあり、車窓から見ることができる。
 清川のお隣、狩川から北に鳥海山が見えてくるとゴールが近くなる。羽越本線と合流すると終点余目駅に到着する。
 車窓は、最上川や庄内平野そして鳥海山が楽しめるので、進行(余目)方向右側が断然よい。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.11.12. 福島・山形・宮城旅行で、新庄→余目間に乗車。完乗達成。
  ・2006.11.12. その帰り余目→古口→新庄間に乗車。往復完乗。



● 駅舎写真

新庄駅(2006.11.) 古口駅(2006.11.) 清川駅(2006.11.)未下車
余目駅(2006.11.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地陸羽西線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。



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