筑肥線

最終更新日2007.09.29.


● 基本データ

 筑肥線は、福岡市西部の姪浜から唐津線の唐津までと、同唐津線山本から佐賀県の伊万里までを結ぶJR九州の幹線路線である。
 地図を広げて、佐賀県の唐津や伊万里から博多を見た時、最短になるのは唐津湾や博多湾の海沿いを通るルートである。唐津から博多に至る交通は、海沿いに設定され、時には船も利用されて行き来していた。江戸に入ると海沿いの道が唐津街道として整備され参勤交代などに利用されていた。しかし、鉄道敷設となると福岡・佐賀県境に広がる背振山地が唐津湾に接している箇所が難所となり建設を阻むことになった。
 唐津付近で鉄道建設が行われたのは唐津線の方が先で、松浦川上流佐賀県の中央部の唐津炭田で明治時代に石炭産業が盛んになり、河川交通に変わって鉄道が敷設されることになったことによる。唐津から建設が進み、長崎本線の久保田までの唐津線(の路線)が完成したのは、明治36(1903)年12月14日のことである。鉄道ができたのだが、唐津の人々が博多に出る為には、唐津線→長崎本線→鹿児島本線と佐賀を経由しなければならず、早くから海沿いを通る鉄道建設が求められた。
 こうして、大正7(1918)年8月北九州軽便鉄道株式会社(後に北九州鉄道株式会社)が設立され、それより前の大正7(1918)年10月25日敷設認可を得、路線の建設がはじまった。鉄道はその起終点から建設されることが多いが、この鉄道の起点となる東唐津から博多方面に向かって東には、虹の松原があり、鉄道の建設によりその風致が損なわれると地元が猛反対し、最初に着工されたのは背振山地が唐津湾に接する難所、福吉-浜崎間であった。当然というか、工事は難航を極め、約10kmの区間を2年間の歳月を要し大正12(1923)年12月5日に開通した。難工事ではあったが、この工事には朝鮮・中国から出稼ぎで来た人や、路線を渇望する市民も多く参加していたという。
 その後路線は東西に伸び、まずは東へ大正13(1924)年4月1日に前原(現;筑前前原)、大正14(1925)年4月15日に姪ノ浜(現;姪浜)、同年6月15日新柳町、大正14(1925)年11月20日に南博多と延伸され、大正15(1926)年10月15日、国鉄博多駅まで延伸を果たした。一方、西へは虹の松原を大きく迂回して(松原の南側を通る)建設が進み、大正13(1924)年7月7日に虹の松原、大正14(1925)年6月15日に東唐津まで延伸し、路線建設開始から16年を歳月を経て北九州鉄道が目標としていた路線が完成した。当初は松浦川西岸にある唐津中心部までと予定されていたが、松浦川の河口部分は広く架橋工事が困難とされ、東岸に東唐津駅が設けられることになった。市街へのアクセスの為、この東唐津駅は現在の位置と違いもっと河口部松浦橋の近くにあった。現在でも東松浦付近で、その時の遺構を見ることができる。
 やはり、鉄道が唐津まで通じていない不便さからか、東唐津駅でスイッチバックして松浦川の東岸を通り、(川幅が狭くなった所で)川を渡り、山本で唐津線に接続するという路線が建設されることになり、昭和4(1929)年4月1日に完成した。
 博多-唐津(山本)までの完成を機に、さらに伊万里方面にこの路線を伸ばすことが計画され、昭和10(1935)年3月1日山本-伊万里間の延伸区間が開業した。
 この頃、北九州鉄道ではディーゼルカー(当時はガソリンカー)の導入が試みられ、6両のディーゼルカーを新製、主力車となった。これは戦前私鉄では異例の試みであった。
 昭和12(1937)年10月1日、博多-東唐津-山本-伊万里間が買収・国有化され、筑肥線となった。戦後、筑肥線を通って佐世保や長崎に至る優等列車が走っていたが、高度経済成長期にその全てが廃止されている。
 筑肥線に転機が訪れるのは、福岡市地下鉄との相互直通運転が開始された昭和58(1983)年3月22日のことで、この際地下鉄と並走する博多-姪浜間が廃止、同時に松浦川河口付近に橋が架けられ唐津に直通する路線になった。同時に虹ノ松原-山本間が廃止になり、現在のような形になった。また、地下鉄との相互直通運転が行われることより筑肥線姪浜-唐津(-西唐津)間が『直流』で電化されることになった。直流なのは、関門トンネルを除いて九州管内ではこの区間だけである。だからこそなのだが、首都圏で引退した103系の九州色列車が見られることになり、ファンとしては楽しいことである。
 こうして、路線が分断される形になったわけなのだが、路線の東側(姪浜-唐津間)は、福岡市営地下鉄と相互直通運転される電化された多くの列車が走る通勤・通学区間となっているが、路線に西側(山本-伊万里間)はディーゼル気動車が1時間に1本ほど運行されるローカルな区間と、その趣を大きく変える。




唐津-姪浜間 42.6km  山本-伊万里間 25.7km  計68.3km

※ 博多-姪浜間は福岡市営地下鉄を利用しなければならないが、本数が多く乗りつくしは容易。
一方、山本-伊万里間1時間に1本ほどと本数が少なくなっている。


[車窓の楽しみ方]
 筑肥線の始発は唐津だが、ここでは姪浜からを紹介する。
 姪浜を出発した列車は高架を走り、博多の市街地を走る。進行(唐津)方向左手に福岡市地下鉄の車輌基地が見えるとお隣の下山門になる。有名な生の松原へは下山門駅から徒歩5分ほどのところ。教科書などでよくみかける元寇防塁跡も見学することができる。
 下山門を出発すると、海に近づき博多湾に浮かぶ能古島などを望むことができるが、今宿から先は糸崎半島の付け根部分に広がる水田地帯をのんびり走るようになる。筑前深江を出ると再び海沿いを走るようになるが、ここより唐津湾となる。天気が悪いときには、荒々しい白波が波打ち際に広がる。そして、しばらくすると進行(唐津)方向右手後方に糸崎半島が見えるようになる。筑前深江の隣は大入、その隣は福吉と縁起の良い駅名が続く。
 浜崎駅に近づくまで海沿いを走るが、それより先は集落が増えてくる。そして、いよいよ虹ノ松原がはじまる。線路に沿って松が続く様は圧巻である。これは東唐津まで続く。
 ふっと松原が切れると東唐津、そして列車は松浦川を渡る。この時、進行(唐津)方向右手前方に目を凝らすと唐津城を見て取ることができる。唐津線と合流し、市街地に入ってくると唐津駅に到着する。
 姪浜-唐津間は、進行(唐津)方向右手が海沿いを走り、虹ノ松原が続くので楽しい。

 山本から先は、非電化区間になるので、国鉄時代からの列車新型列車になる。
 山本駅を出発した列車は、しばらく(約5分ほど)唐津線と並走する。唐津線と分岐すると急に高架になり、オーバーパスし竹林の中に入っていく。1つ目の短いトンネルを出ると、進行(伊万里)方向左手に唐津線の線路と鉄橋をわずかな時間だか望むことができる。こうして列車は再び森の中へ
 山本-伊万里間のうちほぼ8割ほど松浦川に沿って走るようになるのだが、佐里を出ると一回松浦川を渡る。駒鳴付近から平野になり畑作地帯が広がり、松浦川の支流をいくつも渡る。また、平野の先、北側にはいくつかの山を望むことができる。
 金石原を出ると上りになり再び森の中に入っていく、しかしそれは長く続かず、下り勾配がはじまると家屋が増えてくる。伊万里の市街地に入り、進行(伊万里)方向左手に結婚式場の建物が見えてくると終点伊万里に到着する。伊万里から平戸・有田方面に松浦鉄道が運行されているのだが鉄路はむすばれておらず、道を隔てて駅舎が繋がっている(左がJR、右が松浦鉄道の駅舎)。
 車窓は、進行(伊万里)方向左右それほど差がない。
 伊万里といえば焼き物が有名だが、この地で生産される量は少ない。ここより南の有田などで作られた陶磁器の積出港として伊万里が有名になりと言われている。だから駅周辺で窯元などを見ることはできない。しかし、道路の歩道に陶器の破片が使われていたり、駅舎に磁器をあしらった照明があったりと、陶磁器製作の雰囲気を感じることができる。また、駅舎内にはケンカ祭りで使われる神輿などをみることができる。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.08.18. 北九州攻略作戦で、唐津→姪浜間に乗車。唐津-姪浜間完乗達成。
  ・2007.03.25. 九州研修旅行で、姪浜→下山門→姪浜間に乗車。
  ・2007.07.27. 西九州攻略作戦で、姪浜→唐津間に乗車。
  ・2007.07.28. 同、山本→伊万里間に乗車。完乗達成。
  ・2007.07.28. 同、伊万里→山本間に乗車。往復完乗達成。



● 駅舎写真

唐津駅(2006.08.) 虹ノ松原駅(2006.08.)未下車 鹿家駅(2006.08.)未下車
筑前前原駅(2006.08.) 下山門駅(2007.03.) 姪浜駅(2006.08.)
山本駅(2007.07.) 大川野駅(2007.07.) 伊万里駅(2007.07.)



ともりんが行ってみたいおすすめ撮影ポイント

 玄海灘の海沿いを走る福吉-鹿賀間、虹の松原を俯瞰できる虹ノ松原駅付近など。



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