吉都線

最終更新日2007.04.25.


● 基本データ

 吉都線(きっとせん)は、肥薩線の吉松駅から霧島連峰の北麓から1/4周し、日豊本線の都城駅までを走る地方交通線(ローカル線)である。路線名は、起終点の駅名から来ている。また、肥薩線の八代-吉松間から吉都線の区間には、えびの高原線の愛称がつけれられている。
 当時、肥薩線は九州の主要幹線であり鹿児島本線と名乗っていた。この吉松駅から宮崎を結ぶ為に建設されたのが宮崎線であり、吉都線の始まりであった。
 宮崎線として、まずは吉松-小林町(現;小林)間が大正元(1912)年10月1日に開業。以降、大正2(1913)年5月11日谷頭まで、庄内川や大淀川を渡り、同年10月8日都城まで延伸され現在の路線が完成した。その後、大正5(1916)年10月25日宮崎まで延伸し、当初目的であった宮崎線が全通した。
 宮崎線は買収などをし宮崎本線となり、路線を北に延ばした。宮崎・大分県境の区間が開通した大正12(1923)年12月15日、小倉-宮崎-吉松間が結ばれ、路線名が日豊本線に改められた。肥薩線が鹿児島本線と名乗っていたように、吉都線も幹線である日豊本線と名乗っていたのである。昭和7(1932)年12月6日、大隅大川原-霧島神宮間の路線が開通し、現在の日豊本線が完成すると、都城-吉松は分離され吉都線となった。
 一時は、博多-宮崎間を走る特急「おおよど」や熊本-宮崎間を走る急行「えびの」などの優等列車が吉都線を経由し、北・中央九州から南九州を結んでいたが、いずれもが廃止され、寂しい感がある。
 一部の列車が都城駅から宮崎駅までや、吉松駅から肥薩線に乗り入れ隼人・鹿児島中央駅まで運転されるなど有機的に運行されているし、沿線に住宅街が多く見られ、また学生の利用など乗車率も高いように感じられた。
 また、他の線区同様にJR九州に移管されたが、移管後の平成2(1990)年11月1日、飯野がえびの飯野、上江がえびの上江、加久藤がえびの、京町が京町温泉へとそれぞれ駅名が改称されている。


都城-吉松間 61.6km

※ 通勤通学路線なので日中の本数が少なくなることに注意が必要。

[車窓の楽しみ方]
 九州、いや日本のローカル鉄道の主な利用者は学生さん、この吉都線にも学生さんの利用が多い様子。車内で元気に遊ぶ高校生達と出会った。
 都城を出発した列車は、日豊本線と分かれ、進路を急速に北に変える。その過程でだいぶ川幅を狭くした大淀川を渡る。都城市街を抜けるとすぐに水田が広がった。ただ、全線で水田が最もよく見られたのは、この大淀川付近だったように思った。
 次の日向庄内を出発すると庄内川を渡り、築堤でできた高さ数mの谷の中に入っていく。しばらくすると、川と川が作り出した平野を渡り、また谷に入っていくの繰り返し。霧島山系の山麓を登るため、高度を稼ぐ為だということが、車輌の傾きから車内でも理解できるが、車窓的には面白くない。途中平野に入ると、鶏舎木材の集積場が見え、宮崎県の特産品をうかがい知ることができる。
 割と大きな街になると高崎新田。そこから、一気に登りになり木々の間を走るようになる。進行(吉松)方向左、木々の間から大淀川水系の高崎川が削りだした谷と里山が眼下に広がる。
 日向前原を出発すると、今までの谷がウソのようになくなり、平野の中に入る。どうやらここからえびの高原がはじまるのだろうか。シラス台地に入ったのか、水田ではなくが車窓に広がるようになった。家屋が増えてくると、小林に着く。
 小林を出発すると、進行(吉松)方向左手に雄大な霧島連山があらわれる。手前が畑であることが多く、遮るものがないので、雄大な光景をしばらく楽しむことができた。
 再び、谷の中に入り、少し標高があがるとえびの駅に着く。沿線では比較的大きな街だと思うのだが、駅は畑の中にある閑散としたものだった。えびの駅のお隣は京町温泉駅。駅前に温泉街が広がるので、気軽に日帰り温泉を楽しむことができた。
 ここからいくつかの森を通過し、同時に下りになった。鶴丸を出発すると川内川を渡り、終点吉松に到着する。
 車窓は進行(吉松)方向、左が面白い。ただ、遮蔽物が多いので、車窓が楽しめる時間は少ない。



● 乗りつぶし記録

  ・2007.03.31. 南九州攻略作戦で、都城→吉松間に乗車。完乗達成。



● 駅舎写真

都城駅(2007.03.) 小林駅 京町温泉駅(2007.03.)
吉松駅(2007.03.)



(ともりんが行ってみたい)おすすめ撮影ポイント

 車窓のコーナーでも書いたが、路線に遮蔽物が多いので撮影地は少なさそう。小林駅付近で霧島連山と列車を撮影できるポイントを探してみたい。



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