美祢線

最終更新日2007.10.01.





厚狭-長門市間 46.0km

※ 距離はそれほど長くはないが、日中は運行間隔があくので注意が必要。
● 基本データ

 美祢線(みねせん)は、山陽本線の厚狭駅から山陰本線の長門市に至るJR西日本の幹線路線で、本州(中国地方)の最も西にある陰陽連絡線である。列車の運行は1〜2時間に1本とローカル線(地方交通線)に近いが、幹線に指定されているのは石炭や石灰石などの貨物輸送が多かった歴史による。
 もともと山口県中央部から南部には秋吉台をはじめ石灰の台地や、また九州北部の筑豊炭田に連なる石炭地帯が広がる。日露戦争が激化した明治38(1905)年、現在の美祢市の大嶺炭鉱から生産される石炭は無煙炭として重要視され、海軍省徳山燃料廠への石炭輸送が急務となった。ここで、海軍は大嶺から厚狭に至る鉄道の建設を山陽鉄道に命じ、明治38(1905)年6月30日までの完成を求めた。しかし工事には時間がかかり、厚狭-大嶺間が開業したのは、明治38(1905)年9月13日のことである。軍部は完成を急がしたのだが、日露戦争は明治38(1905)年9月5日のポーツマス条約調印で終了している。しかし、戦時における鉄道の有用性を実感した政府は鉄道国有化法を施行し、明治39(1906)年12月1日他の鉄道会社同様に山陽鉄道も国有化された。明治42(1909)年10月12日の線路名称制定で、厚狭-大嶺間のうち、厚狭-伊佐(現;南大嶺)間が大嶺線、伊佐-大嶺間が大嶺支線となった。
 伊佐から北へは軽便鉄道で建設されることになり、美祢軽便鉄道が伊佐-重安間を大正5(1916)年9月15日に開業させている。大正9(1920)年6月1日、美祢軽便鉄道が国有化され、美禰軽便線となった。この際、この区間になった後の美祢となる吉則停留場が吉則に格上げされている。重安から先は、国鉄の手で建設されることになり、同大正9(1920)年10月30日、於福までが延伸開業し、大正11(1922)年9月2日、軽便線の呼称廃止に伴い、伊佐-於福間が美禰線に改称された。大正13(1924)年3月23日に正明市(現;長門市)まで延伸開業され、厚狭-伊佐間の大嶺線が編入されて、厚狭-正明市が美禰線となり、現在の形が完成した。
 この後、後に山陰本線となる路線が正明市から東西に美禰線として建設されることになり、東へは大正13(1924)年11月3日長門三隅まで、大正14(1925)年4月3日萩まで、昭和4(1929)年4月24日奈古まで、昭和6(1931)年11月5日宇田郷まで延伸開業した。一方、西へは昭和3(1928)年12月9日黄波戸、昭和4(1929)年10月3日長門古市、昭和5(1930)年12月7日阿川まで延伸開業し、下関(幡生)から延伸してきていた小串線とつながった。また、昭和5(1930)年5月15日貨物支線として正明市-仙崎間が完成している。
 昭和8(1933)年2月24日、須佐-宇田郷間が開業し、京都-幡生間の山陰本線が全通し、美禰線の宇田郷-正明市-阿川間、及び正明市-仙崎間が山陰本線に編入され、美禰線は厚狭-南大嶺-正明市間となり、南大嶺-大嶺間がその貨物支線となった。
 戦後は、昭和24(1949)年1月1日伊佐が南大嶺に、昭和37(1962)年11月1日正明市が長門市駅に、そして昭和38(1963)年10月1日吉則が美祢に改称され、路線名も美祢線に改称された。
 大嶺から石炭は石炭産業の斜陽で減少傾向にあったが、美祢の東にある宇部興産の採掘場からの石灰石の輸送量は増加を続け、昭和55(1980)年頃には最盛期を迎えた。この時、美祢駅の発送トン数は全国一位(約770万t(昭和53(1978)年度))になり、33往復もの石灰列車が運転された。しかし、セメントの原料である石灰石を当時の国鉄のみに頼ることに不安を感じた宇部興産は、巨費を投じて美祢-宇部間に総延長約30kmの自社専用道路を建設し(昭和50(1975)年開通)、昭和57(1982)年からトラックによる輸送を開始した。次第に貨物とトラックによる輸送量が逆転し、やがて美祢-宇部港間の貨物列車は全てが廃止された(平成10(1998)年)。また平成9(1996)年4月1日に、南大嶺-大嶺間(2.8km)も廃止されている。現在では、日に1往復ほどの貨物列車が運行される程度である。
 かつては、益田方面から九州方面に至る急行列車などが運行されていたが、現在では通勤・通学の地域輸送を担っている。また、約半数が山陰本線の仙崎まで直通している。
[車窓の楽しみ方]
 セメントの原料となる石灰石を運ぶ為に建設された路線。すっかりトラックにその需要を奪われたようだが、今でも始発の厚狭駅では、長々と貨車を連ねた貨物列車をみることができる。
 厚狭駅を出発した列車は厚狭川に沿って北上し、すぐに渓谷のような風情を車窓に楽しむことができる。なんども川と交差し、高度をかせいで行く。途中、幾つかの駅を通過するのだが、どの駅も距離の長い交換施設をもち、往年は貨車の長い列車が交換していたことをうかがい知ることができる。南大嶺を出発すると線路は大きく右カーブし、進行(長門市)方向左手には鉱山の工場が見え、美祢駅付近では鉱山の採掘現場が間近に迫る。この区間が美祢線車窓のハイライトのように思える。また、美祢は世界有数の化石の産地だそうで、美祢化石館や歴史民俗資料館をたずね、太古のアンモナイトなどの化石が見学できるそうだ。
 美祢以降は、比較的のんびりした水田などの車窓が続く。於福を出ると上り坂になり、厚狭川もここまで。山陽と山陰を分かつ長大な大ヶ峠トンネルに入っていく。トンネルを抜けた後は、日本海に流れる深川川に沿って走り、同じようなのんびりとした風景が続く。そして、鎌倉時代からの湯治場長門湯本温泉の温泉街が車窓に広がる。長門湯本温泉駅を出発すると、家屋が増えはじめ、こうして終点長門市駅に到着する。
 車窓は、左右それほど差がないが、南大嶺-美祢間は進行(長門市)方向左手が楽しい。



● 乗りつぶし記録

  ・2007.07.30. 西九州攻略作戦で、長門市→厚狭間に乗車。完乗達成。



● 駅舎写真

厚狭駅(2007.07.) 長門市駅(2007.07.)



(ともりんが)行ってみたいおすすめ撮影ポイント

 厚狭川のほとりにある厚保集落と列車が撮影できる厚保-湯ノ峠間、深い谷の中を行く列車が撮影できる四郎ヶ原-南大嶺間など。



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