山陰本線

最終更新日2012.02.10.


● 基本データ

 山陰本線は東海道本線の京都駅から、福知山、鳥取、米子、松江、浜田、萩、長門市など山陰地方の各都市を結び、山陽本線の幡生駅に至るJR西日本の幹線路線である。この他、長門市-仙崎間に仙崎支線(または、仙崎線と呼ばれる路線)を持つ。かつては、東北本線が最長路線を誇っていたが、平成14(2002)年12月1日、東北新幹線の八戸開業に伴い、東北本線の盛岡-八戸間がIGRいわて銀河鉄道(岩手県の区間)・青い森鉄道(青森県の区間)に転換、分断されてしまった為、山陰本線が営業キロ日本最長の路線となった。

 路線建設の京都から順次西へ、という訳ではなく、京都、米子、長門市、幡生の付近で、それぞれ建設された路線を延伸するなどして繋いだものである。

 やはり京都からが最も古く京都鉄道が明治30(1987)年2月15日二条-嵯峨(現;嵯峨嵐山)間にはじまる。二条から京都方面へは、同年4月27日二条-大宮間、 11月16日大宮-京都間が延伸した。そして嵯峨から先は、明治32(1899)年8月15日嵯峨-園部間が延伸開業している。一方、大阪圏から軍港舞鶴まで結ぶ路線として、阪鶴鉄道が福知山-綾部-新舞鶴(現;東舞鶴)間を明治37(1904)年11月3日に開業させている。このうち、日清戦争後の三国干渉(明治28(1895)年)などにより、対露戦争が避けられないものと考えた政府は、軍部からの要請もあり舞鶴からの路線の整備を急ぐことになり、福知山-綾部-新舞鶴間は官設で開通し、同区間が阪鶴鉄道に貸与されるという形になっている。明治40(1907)年8月1日、京都鉄道・阪鶴鉄道が国有化、明治42(1909)年10月12日京都-園部間が京都線、線路名称制定、神崎(現;尼崎駅)-福知山-綾部-新舞鶴間が阪鶴線となった。
 そして、京都線の延伸として明治43(1910)年8月25日園部-綾部間が開業。京都-福知山までが完成した。福知山から先の区間は山陰東線として、山陽鉄道(明治39(1906)年12月1日国有化)が開通させた現在の播但線(播但線の大半は播但鉄道が建設)の和田山から東西に延伸する形で工事が進み、明治41(1908)年7月1日和田山-八鹿間が、明治42(1909)年7月10日豊岡間、同年9月5日城崎(現;城崎温泉駅)間、明治44(1911)年10月25日福知山-和田山間、城崎-香住間がそれぞれ延伸開業した。後述になるが明治45(1912)年3月1日、香住より西出雲今市(現;出雲市)までが開業した際、京都-福知山-和田山-香住間が山陰本線に編入され、京都線の名称が廃止になった。分離される形となった綾部-新舞鶴(現;東舞鶴)間が舞鶴線、神崎(現;尼崎)-福知山間が福知山線、(飾磨-)姫路-和田山間が播但線となった。

 米子付近は、海からの鉄道建設用の資材を搬入が利用できる為、明治35(1902)年11月1日境(現;境港駅)-米子-御来屋(みくりや)間が開業したのにはじまる。これが山陰地方初の鉄道であった。明治36(1903)年8月28日八橋(現;浦安)、同年12月20日倉吉、明治37(1904)年3月15日松崎、明治38(1905)年5月15日青谷、明治41(1908)年4月5日鳥取、同日米子から西に安来、同年11月8日松江間、までと小刻みに延伸された。明治42(1909)年10月12日の国有鉄道線路名称設定で、鳥取-米子-松江間を山陰本線に、米子-境(後に境港)間を支線として分離、境線となった。松江から西へは、明治42(1909)年11月7日宍道、明治43(1910)年6月10日荘原、同年10月10日出雲今市(現;出雲市駅)が開業。 鳥取から東へは、明治43(1910)年11月7日岩美、明治44(1911)年11月10日浜坂、 そして、余部橋りょう、桃観トンネルなどの難工事の完成により、明治45(1912)年3月1日香住-浜坂が延伸開業し、京都-出雲今市(現;出雲市駅)間がつながった。
 その後、出雲今市から西へ大正2(1913)年11月21日小田、大正4(1915)年7月11日石見大田(現;大田市)、 大正6(1917)年5月15日仁万、大正7(1918)年11月25日浅利、大正9(1920)年)12月25日都野津、大正10(1921)年)9月1日浜田、大正11(1922)年)3月10日周布、同年9月1日三保三隅間、大正12(1923)年12月26日石見益田(現;益田)、大正14(1925)年3月8日石見小浜(現;戸田小浜)、昭和2(1927)年6月19日飯浦、昭和3(1928)年3月25日須佐までが延伸開業された。

 終端部の幡生からは、長州鉄道が東下関-幡生-小串を大正3(1914)年4月22日に開業させたのにはじまる。大正14(1925)年6月1日、長州鉄道の路線のうち幡生-小串間が国有化、小串線となった。その後、同年8月16日滝部、昭和3(1928)年9月9日阿川までが延伸された。

 山口県中西部美祢市にある大嶺炭鉱から石炭を運搬する為に、山陽本線の厚狭から建設された美禰線が日本海側の長門市(当時は正明市)まで達し、その東西に路線が(美禰線として)建設されることになった。東へは大正13(1924)年11月3日長門三隅、大正14(1925)年4月3日萩、同年11月1日東萩、昭和4(1929)年4月24日奈古、昭和6(1931)年11月5日宇田郷まで延伸開業した。一方、西へは昭和3(1928)年12月9日黄波戸、昭和4(1929)年10月3日長門古市まで延伸開業された。昭和5(1930)年12月7日、長門古市-阿川間が開業し小串線に接続された。そして、昭和8(1933)年2月24日、ついに須佐-宇田郷間がつながり京都-幡生間が全通した。
 この際、美禰線の宇田郷-正明市(現;長門市)-阿川間、正明市-仙崎間と小串線全線が山陰本線に編入され、美禰線の残った厚狭-正明市(現;長門市)間が美祢線となった。




京都-幡生間 673.8km 長門市-仙崎間 2.2km 計676.0km

※ 優等列車を利用しても、ようやっとその日のうちに完乗できるか、といったところ。
数日に分けるか、他の路線を絡めるのが賢明。


 かつては全線を走る列車も設定されていたが、現在通しで走る列車の設定がない珍しい本線の一つとなっている。日本最長の路線を誇っているのに寂しい限りである。原因に、山陽新幹線の開業(昭和50(1975)年3月10日博多まで)が挙げられる。山陰本線を使うより、陰陽連絡線を利用して瀬戸内の都市に出た方が早く関西圏や関東圏に行けるようになったからだ。それに、岡山方面から米子を結ぶ伯備線の(電化などの)改良・速達化、姫路などから鳥取を結ぶ智頭急行の開業(平成6(1994)年12月3日)などが拍車をかけた。
 なので、鳥取以西から山陰本線を通って関西圏を結ぶ優等列車はなく、京都-東舞鶴・を結ぶ特急「まいづる」が京都-綾部間を、同じく天橋立を結ぶ特急「はしだて」と、同じく福知山を結ぶ特急「たんば」が京都-福知山間を走っている(「まいづる」は「たんば」・「きのさき」と併結運転)。同区間には北近畿タンゴ鉄道の特急「タンゴディスカバリー」もある。また、京都-城崎温泉間を特急「きのさき」が、新大阪-福知山・豊岡・城崎温泉を福知山線を経由して走る特急「北近畿」が福知山-城崎温泉間を走っている。そして、大阪-香住・浜坂・鳥取間を播但線経由で結んでいる特急「はまかぜ」が和田山-鳥取間を走るなど、鳥取以東、京都・新大阪-鳥取間(特に京都-福知山間)に多くの優等列車が設定されている。そのうち福知山駅は、特急がクロスするように運行されているので北近畿ビッグXネットワークを名付けられた中心部分にあたる。
 また鳥取以西では、鳥取-益田間を特急「スーパーまつかぜ」が、益田から山口線を経由して鳥取・米子-新山口間を特急「スーパーおき」が走っている。また、智頭急行線・因美線経由で京都-鳥取・倉吉間を結んでいる特急「スーパーはくと」が鳥取-倉吉間を走る。伯備線経由で岡山-出雲市間を結んでいる特急「やくも」が、同じく東京から伯備線経由で東京-出雲市間を結ぶ寝台特急「サンライズ出雲」が、伯耆大山-米子-出雲市間を走っている。

 このように陰陽連絡線として優等列車が山陰本線の一部を走っているが、残りの多くの輸送を担っているのが普通列車である。よって、「偉大なるローカル線」と揶揄されることもある。しかし、日本海側の素晴らしい車窓を楽しめたり、カニをはじめ多くの食が楽しめたり、また東から順に、城崎温泉・湯村温泉・三朝温泉・東郷温泉・皆生温泉・玉造温泉・温泉津温泉・川棚温泉と古くから知られた温泉が沿線に数多くあるなど、魅力のある路線となっている。
 その普通列車であるが、福知山付近や鳥取付近では国鉄時代の車輌が多く見られるが、米子以西は 新型車輌が投入され、この区間の高速化とあいまって、なかなか乗り心地のよいものになっている。この新型車両、広い車内イスも座りやすいなど、居住性もなかなかよかった。




[車窓の楽しみ方]

只今、編集中。



● 乗りつぶし記録

  ・1983.08.?   家族旅行で出雲大社へ、(やくもにて)伯耆大山→出雲市間に乗車。
  ・1983.08.?   同、出雲市→伯耆大山間に乗車。
  ・1999.03.12. 山陰旅行で、和田山→松江間に乗車。
  ・1999.03.13. 同、出雲市→宍道間に乗車。
  ・2000.03.19. 近畿旅行で、福知山→嵯峨嵐山間に乗車。
  ・2001.09.09. 南紀・近畿旅行で、(北近畿にて)福知山→京都間に乗車。
  ・2004.07.17. 萩・津和野旅行で、益田→浜田間に乗車。
  ・2004.07.18. 同、浜田→岡見→須佐/宇田郷→東萩間に乗車。
  ・2006.03.13. 山陰旅行で、鳥取→餘部→香住→福知山間に乗車。
  ・2007.07.29. 西九州攻略作戦で、幡生→長門市間に乗車。
  ・2007.07.30. 同、長門市→仙崎→長門市→東萩→長門市間に乗車。
  ・2007.08.24. 中国山地攻略作戦で、伯耆大山→米子/米子→浜田間に乗車。
  ・2007.08.25. 同、浜田→江津間に乗車。
  ・2008.03.31. 九州完乗作戦で、幡生→東萩間に乗車。
  ・2008.04.01. 同、東萩→伯耆大山間に乗車。完乗達成。
  ・2008.07.20. 近畿完乗作戦で、京都→綾部間に乗車。
  ・2008.08.23. 京都研修旅行で、二条→太秦→二条間に乗車。
  ・2008.08.24. その帰り、嵯峨嵐山→千代川→丹波口間に乗車。
  ・2010.12.18. 近畿旅行旅行で、京都→福知山間に乗車。
  ・2010.12.19. 同、豊岡→餘部→福知山間に乗車。
  ・2011.03.11. 大阪撮影&乗りつくし旅行で、二条→保津峡→京都間に乗車。
  ・2011.10.08. 山陰遠征で、益田→松江間に乗車。
  ・2011.10.09. 同、松江→出雲市→伯耆大山/伯耆大山→東山公園→伯耆大山→松江間に乗車。
  ・2011.10.10. 同、安来→倉吉→鳥取間に乗車。
  ・2011.12.17. 聖地巡礼の旅で、京都→馬堀間に乗車。



● 駅舎写真

京都駅(2001.09.) 丹波口駅(2008.08.) 二条駅(2008.08.)
円町駅(2008.08.) 花園駅(2008.08.) 太秦駅(2008.08.)
嵯峨嵐山駅(2000.03.) 保津峡駅(2008.08.) 馬堀駅(2008.08.)
亀岡駅(2008.08.) 並河駅(2008.08.) 千代川駅(2008.08.)
八木駅 吉富駅 園部駅(2010.12.)
船岡駅(2010.12.) 日吉駅(2008.07.) 鍼灸大学前駅(2010.12.)
胡麻駅(2008.07.) 下山駅(2010.12.) 綾部駅(2000.03.)
福知山駅(2000.03.) 福知山駅南口(2006.03.) 上川口駅(2006.03.)
下夜久野駅(2006.03.) 上夜久野駅(2010.02.) 和田山駅(1999.03.)
豊岡駅(2010.12.) 玄武洞駅 城崎温泉駅(1999.03.)
佐津駅(2010.12.) 香住駅(2006.03.) 餘部駅(2010.12.) 旧駅舎
浜坂駅(1999.03.) 鳥取駅(1999.03.) 青谷駅(2011.10.)
松崎駅(2011.10.) 倉吉駅(2011.10.) 伯耆大山駅(2007.08.)
東山公園駅(2011.10.) 米子駅(2007.08.) 安来駅(2011.10.)
揖屋駅(2008.04.) 松江駅(2008.04.) 玉造温泉駅(2008.04.)
宍道駅(1998.03.) 荘原駅(2008.04.) 直江駅(2011.10.)
出雲市駅(1998.03.) 北口 久手駅(2008.04.) 大田市駅(2008.04.)
五十猛駅(2008.04.) 温泉津駅(2008.04.) 江津駅(2007.08.)
浜田駅(2007.08.) 折居駅(2008.04.) 益田駅(2004.07.)
宇田郷駅(2004.07.) 東萩駅(2007.07.) 長門市駅(2007.07.)
仙崎駅(2007.07.) 長門古市駅(2008.04.) 特牛駅(2008.04.)
滝部駅(2008.04.) 小串駅(2008.04.) 吉見駅(2008.04.)
幡生駅(2008.03.) 下関駅(2007.03.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地山陰本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)



全線一覧の Pege へ もどる