伯備線

最終更新日2012.02.15.


● 基本データ

 伯備線(はくびせん)は、山陽本線の倉敷から新見を経由して、山陰本線の伯耆大山に至るJR西日本の幹線路線である。
 山陽本線と山陰本線とを結ぶ陰陽連絡線は、中国地方を横断する路線のことだが、東から福知山線加古川線、播但線、智頭急行+因美線、伯備線、福塩線三江線芸備線+木次線、山口線、美祢線がある。このうち幹線に指定されているのは福知山線、美祢線と伯備線の3つで、位置的に中央にあり最もパイプが太いのがこの伯備線である。
 明治25(1892)年6月21日に公布された鉄道敷設法に「兵庫県下姫路近傍ヨリ鳥取県鳥取ニ至ル鉄道又ハ岡山県下岡山ヨリ津山ヲ経テ鳥取県下米子及境ニ至ル鉄道若ハ岡山県下倉敷又ハ玉島ヨリ鳥取県境ニ至ル鉄道」と伯備線の原形となる路線が規定された。これにより、南北から路線が建設されることになり、北から伯備北線として伯耆大山-伯耆溝口間が大正8(1919)年8月10日開業。南からは伯備南線として倉敷-宍粟(後の豪渓)間が大正14(1925)年2月17日開業した。
 ローカル線規格で建設されていることと、同じ幹線に指定されている福知山線の建設が明治26(1893)年、美祢線が明治38(1905)年にはじまっていることと比べると、陰陽連絡線としてはあまり重要視されていなかったことが分かる。
 その後、伯備北線は路線を南へ、大正11(1922)年3月25日江尾まで、同年7月30日根雨まで、同年11月10日黒坂、大正12(1923)年11月28日生山、大正13(1924)年12月6日上石見、大正15(1926)年12月1日足立駅まで延伸開業した。伯備南線は路線を北へ、大正14(1925)年5月17日美袋まで、大正15(1926)年6月20日木野山間、昭和2(1927)年7月31日備中川面まで延伸開業した。昭和3(1928)年10月25日、備中川面-足立間が開業し、伯備線が全通した。
 高度経済成長期に路線の重要性が見直され、徐々に整備が進んだが伯備線が劇的に変化したのは、昭和47(1972)年3月15日に山陽新幹線が岡山まで延伸開業して以降のことである。米子・松江方面への短絡線として注目され、新幹線の岡山開業と同時にキハ181系による特急「やくも」が設定、更に一部区間の付け替え・複線化などの改良整備が行われ、昭和57(1982)年7月1日全線の電化工事が完了した。ただ、もともとローカル線規格で建設されたことから、単線区間や急カーブも多く残り、その為振り子式電車381系車輌を使用した特急「やくも」が登場した。また、東京から山陰本線を走る寝台特急「出雲」2往復のうち1往復が、平成10(1998)年7月10日寝台特急「サンライズ出雲」として生まれ変わり、(東京-出雲市間が)伯備線経由になった。ちなみに寝台特急「出雲」の残り1往復は平成18(2006)年3月17日に廃止された。
 伯備線は倉敷-伯耆大山間であるが、全ての列車は岡山や米子(特急は出雲市)まで走り、岡山方面はその先、赤穂線や姫路まで向かう列車もある。普通列車は新見が運行系統が分かれているが、全線を走る普通列車もある。
 現在、更なる高速化が求められているが、路線中に残る単線や急カーブがネックとなっている。


倉敷-伯耆大山間 138.4km

※ 1時間に1本(朝夕は1時間に2本)運行しているので、容易に乗りつくしができる。
[車窓の楽しみ方]
 倉敷を出発した列車は、山陽本線と分かれ古くからの市街地を走る。しかし、市街地を走るのも、ものの数分程度で、すぐに高梁川のほとりに出る。進行(新見)方向左手に川面があらわれ気持ちがよい光景が広がる。新幹線の高架が頭上を越えていき、井原鉄道の巨大な高架が近づいてくると清音。井原鉄道はそのまま総社まで乗り入れてくる。室町時代に活躍した水墨画家雪舟は、ここ総社出身といわれ、駅前には雪舟の石造がある。
 徐々に車窓左右の山々が迫ってくるようになる。しかし、春にはその山肌にいくつもの桜が満開を迎えるので、緑の山にピンクかたまりをいくつもつけた美しい光景を楽しむことができる。こうして備中高梁に着く。天守閣を持つ城で最も高いところにあるのは備中松山城、備中高梁はその最寄駅。その備中松山藩の役人として活躍したのが山田方谷。幕末、藩財政好転をはかる為出した土着政策を自らから実践する為、備中高梁の北に移住し、更に長瀬塾を作った。この時、戊辰戦争で旧幕府軍の一員として名を馳せた長岡藩士の河井継之助が訪れているのでも有名である。そんなことより、地元の住人は伯備線開通当時(昭和3年)、駅名に山田方谷の名を残そうとした。渋る鉄道省を前に、何度も陳情を重ね、遂に当時としては珍しい、そして全国唯一の人名の駅が誕生することになる。その方谷駅は備中高梁駅から北に3つ目の駅である。駅ホームに立つと山側に方谷邸宅跡に石碑を見ることができる。
 これより先、高梁川が激しく蛇行をはじる。しかし、線路は基本的にまっすぐ進もうとするので、高梁川を何度も渡ることになる。トンネルから出ると高梁川の川面が見え、すぐにトンネルと、何度も明滅を繰り返すような感じとなる。こうして、進行方向右手から姫新線の線路が近づいてくると新見に着く。
 新見から山間を走り、備中神代で芸備線と分かれ、線路は北にむかって進んでいくようになる。時より、小さな盆地に水田が広がることもあるが、基本的には中国山地の山の中を走っているような感じだ。そして、新見駅前後には採掘場が多く見られ、時には大きく切り取られた山も見ることができる。新郷-上石見間で岡山-鳥取県境の谷田トンネルを越える。
 ここからは、の流れが高梁川と逆になるので面白い。高梁川は瀬戸内海に流れるので進行方向逆向き、県境を越えると進行方向と同じ向きとなる。だんだん川幅が広くなってくると根雨。ここから先は、平野に入ってくるようで並走する日野川の流れもゆったりしたものになる。伯耆溝口付近から平らかな水田地帯を走るようになり、天気がよいと進行(伯耆大山)方向右手やや後方に、伯耆富士大山の姿を見ることができる(写真は中腹までしか写っていない)。そして、山陰本線と合流すると終点伯耆大山に到着する。しかし、すべての列車はそのまま米子(やそれ以西)を目指す。
 車窓は、新見までは高梁川が見られる進行(伯耆大山)方向左側、伯耆溝口から先は大山が見られるので右側がよいが、それ以外の区間では左右それほど変わらない。



● 乗りつぶし記録

  ・1983.08.?  家族旅行で出雲大社へ、(やくもにて)倉敷←→伯耆大山間に乗車。完乗達成。
  ・1998.03.##. 撮影旅行で、備中神代→倉敷間に乗車。
  ・2006.03.13. 出雲撮影旅行で、倉敷→総社間に乗車。
  ・2007.04.03. 南九州攻略作戦で、備中神代→倉敷間に乗車。
  ・2007.08.24. 中国山地攻略作戦で、新見→伯耆大山間に乗車。
  ・2008.04.01. 九州完乗作戦で、伯耆大山→倉敷間に乗車。
  ・2010.08.20. 九州鉄道記念館号撮影で、倉敷→清音間に乗車。
  ・2011.10.09. 山陰遠征で、伯耆大山→根雨→伯耆大山間に乗車。



● 駅舎写真

倉敷駅(2006.03.) 清音駅(2010.08.) 総社駅(2006.03.)
美袋駅(2008.04.) 備中広瀬駅(2008.04.) 備中高梁駅(2008.04.)
方谷駅(2007.04.) 新見駅(2007.04.) 備中神代駅(2008.04.)
新郷駅(2008.04.) 上石見駅(2008.04.) 生山駅(2008.04.)
上菅駅(2008.04.) 根雨駅(2007.08.) 伯耆溝口駅(2007.08.)
伯耆大山駅(2007.08.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地伯備線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)
 すり鉢状の地形が俯瞰できる布原駅付近、伯耆大山と列車が撮影できる岸本-伯耆大山間など。



全線一覧の Pege へ もどる