芸備線

最終更新日2008.04.08.


● 基本データ

 芸備線(げいびせん)は、伯備線の備中神代から霧の町として有名な三次を通って、山陽本線の広島に至る地方交通線(ローカル線)である。非電化区間が全線159.1kmの全てと比較的長く、中国山地西部の山間をぬうように走っている。
 路線は広島側から建設され、芸備鉄道が大正4(1915)年4月28日、東広島-志和地間を開業させたのにはじまる。同年6月1日三次間(現;西三次)まで延伸された。大正9(1920)年7月15日国鉄広島駅に乗り入れ、大正11(1922)年6月7日塩町まで延伸、この際十日市(国有化後、備後十日市)現在の三次駅が開業している。翌大正12(1923)年12月8日備後庄原間が開業した。備後庄原から先備後落合まで開業させ、そこから木次線と接続して広島から陰陽連絡線を建設する為、国鉄は昭和8(1933)年6月1日、十日市(現;三次)-備後庄原間を国有化し庄原線とした。路線の建設が進み、昭和9(1934)年3月15日備後西城まで、昭和10(1935)年12月20日備後落合までが開業した。
 一方、路線の東は備中神代から建設がはじまり、国鉄が三神線として昭和5(1910)年2月10日備中神代-矢神間を開業させている。路線名は備中神代と三次を結ぶ為であったことより、両方の名を取っている。その後、同年11月25日東城まで、昭和10(1935)年6月15日小奴可まで、昭和11(1936)年10月10日備後落合まで延伸開業した。この際庄原線を編入し、備中神代-備後落合-備後十日市間が三神線となった。こうして現在の路線が完成した。
 昭和12(1937)年7月1日、芸備鉄道の広島-備後十日市間を国有化、三神線と合わせて備中神代-広島間が芸備線とされた。戦前・戦後の一時期には、姫新線と一体のダイヤが組まれ、姫路-津山-新見-備後落合-三次-広島間を直通という列車が日数往復も設定されていたり、昭和30(1955)年には快速「ちどり」が広島から芸備・木次線経由で米子まで運転され大好評を博していた。
 しかし、陰陽連絡線の使命は伯備線に移り、更には車社会の進展、過疎化などで、現在は広島-下深川(あるいは狩留家)間、その先三次まで、三次-備後落合間、備後落合-備中神代間の4つに大きく運行区分が分かれてしまっている。そして、備中神代-東城間は日に3往復と超過疎ダイヤになっている。一方、広島-三次間は、通勤・通学路線としての需要の高まりにより本数も多く、急行「みよし」が日に4往復運転されている。
 平成18(2006)年7月19日、大雨で備後落合-備後西城間が被災し運休、翌日からバスによる代行輸送を実施された。復旧作業により、平成19(2007)年4月1日、同区間の運行が再開された。



備中神代-広島間 159.1km

※ 備中神代-東城間が日に3往復と本数が極端に少ないので、この区間の攻略が乗りつくしのポイントとなってくる。



[車窓の楽しみ方]
 路線の起点を示す0kmポストは、備中神代の駅南西にあった。芸備線の始発は、備中神代だが全ての列車が新見発となる。備中神代を出発した列車は、伯備線と分岐し、大きくカーブする。伯備線は北東にむかい、芸備線は南西へと備中神代からTの字に分かれていく。
 しばらく、のんびりとした光景が広がるが、神代川に沿って走っていくうち渓谷の中に入っていく。岡山県から広島県に入り東城に着く。ここから成羽川に沿って、北北西にむかって走り、時折川岸には削られた白い巨岩が見え、驚かされる。小奴可(おぬか)を出ると、路線中最も標高の高いところを走るのか、進行(広島)方向左手には永遠と続くかに見える杉の林が広がる。樹冠が近く人工物も少ないので、とても気持ちがよい。道後山から急速に下り、のんびりとした風景が見えてくると備後落合に着く。
 備後落合を出発すると、木次線と分岐し、西城川に沿って、南にむかうようになる。深い谷となるこの区間、平成18(2006)年7月19日豪雨の影響で運休した。復旧(平成19(2007)年4月1日)直後に通過したのだが、被災場所が痛々しかった。また、ヒバゴンが出ると有名になった比婆山。ここは木材の産地でもあるので、車窓から多くの材木を見ることができた。西城川を渡ると備後西城に着く。駅を出発して川を渡ると古くからある西城市街が車窓に広がる、川と国道が近づくポイント(進行(広島)方向左後方)で、市街を一望できる。庄原にむけて山を駆け下りる。西城川が車窓の左右に移り、川幅が広がり、平地に町が広がると備後庄原。ここから、再びのんびりとした風景が続き、山を1つ越えて、馬洗川を渡ると三次盆地に入り塩町に着く。ここには瀬戸内から石見(島根県)に抜ける塩の通り道があったのだそうだ。車窓(広島方向)右手に馬洗川の流れを見つつ、家屋が増えてくると三次に着く。この馬洗川の他に、一時離れていた西城川が、ここ三次で江の川に合流し、また盆地上地形なので霧が発生しやすく、三次は「霧と鵜飼の町」と言われる。三次駅停車中の快速列車
 三次を出発すると、三江線と分岐し、江の川に沿って南西に進んでいく。江の川が造り出した平野を進み、時には石垣畔の田んぼや石州瓦の家が見える。やや登りになり、江の川やその支流が離れていくと庄原。庄原からは、太田川水系の三篠川が作り出した平野を走るのだが、庄原付近が台地なので、その切り替わりが見ることができない。ここからのんびり下っていき、志和口付近で、進行(広島)方向左に三篠川が流れ、その渓谷美を楽しくことができる。ここから徐々に住宅が増えてきて、広島都市圏に入ったことを感じる。しかし、まだ谷と住宅が共存しているようだ。下深川で急速に住宅が増え、駅を出発すると三篠川と太田川が合流する場所が、進行(広島)方向右手に見え気持ちが良い。目を凝らすと、可部線の鉄橋も見ることができる。ここから太田川に沿って走るのだが、堤防があり川面を見ることができない。しばらく、住宅街の中を走り、新幹線の車輌基地が見えてくると矢賀。すぐに山陽本線と合流して、終点広島に到着する。
 車窓は、総じて右側の方が面白いが、川面が左側に広がることも多いので、他の乗客が少ない場合などは、こまめに(座席を)変えるのもよい。



● 乗りつぶし記録

  ・1998.03.##. 撮影旅行で、備後落合→備中神代間に乗車。
  ・2007.04.03. 南九州攻略作戦で、広島→備中神代間に乗車。完乗達成。
  ・2007.08.25. 中国山地攻略作戦で、三次→塩町間に乗車。



● 駅舎写真

備中神代駅(2008.04.) 備後落合駅(1998.03.) 比婆山駅(2007.04.)未下車
山ノ内駅(2007.04.)未下車 下和知駅(2007.04.)未下車 塩町駅(2007.08.)
三次駅(2007.04.) 井原市駅(2007.04.)未下車 志和口駅(2007.04.)
中三田駅(2007.04.) 下深川駅(2007.04.) 広島駅(2006.08.)



ともりんが行ってみたいおすすめ撮影ポイント

 旧街道の街並が残る備後西城付近、山間を走る列車が撮影できる備中神代付近など。



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