山陽本線

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最終更新日2012.02.08.


● 基本データ

 山陽本線は、東海道本線の神戸駅から姫路、岡山、広島、新山口と瀬戸内地方の主要都市を結び、関門海峡を越え鹿児島本線の門司駅に至る幹線路線である。また、(通称和田岬線といわれる)兵庫-和田岬間の支線を持つ。正確には、神戸-下関間はJR西日本、下関-門司駅間はJR九州の管轄だが、ここでは神戸-門司駅を一緒にして(JR西日本として)紹介することにする。
 太平洋ベルト地帯と呼ばれる人口集中地帯を走る路線で、東海道本線に次ぐ重要路線であるが、東海道本線とは違い、神戸駅から下関駅までは、私鉄の山陽鉄道によって開通した路線である。

 歴史は、明治21(1888)年11月1日兵庫-明石間が開業したのにはじまる。この区間の建設の為に資材を兵庫港で陸揚げし、そこから資材を輸送する目的で敷設されたのが、和田岬線である。明石から西へは同年12月23日姫路まで、そして兵庫から東へは翌明治(1889)22年9月1日神戸まで延伸され、この際神戸駅で官営鉄道(後の東海道本線)と接続した。
 この後、路線は西へ延び、明治(1889)22年11月11日竜野(仮)、明治23(1890)年7月10日有年、同年12月1日三石(仮)と順次進み、明治24(1891)年3月18日には岡山に到達した。その後、路線は更に西へ、同年4月25日倉敷、同年7月14日笠岡、同年9月11日福山、同年11月3日尾道、明治25(1982)年7月20日三原(現;糸崎)、明治27(1984)年6月10日広島へ達した。時を同じくして同年8月1日、日清戦争が勃発し、広島に大本営が設置されることになった。ここが司令部となり、兵員の多くを広島の南にある宇品港から大陸に輸送する必要があった。この為、広島-宇品間には軍用線が敷かれることになり、山陽鉄道は広島開通早々兵役輸送を担うことになった。
 そして、明治30(1997)年9月25日徳山、明治31(1898)年3月17日三田尻(現;防府)、明治33(1900)年12月3日厚狭、明治34(1901)年5月27日馬関(現;下関)まで延伸され、神戸-馬関間の山陽道を貫く路線が完成した。

 山陽鉄道では、急行列車(明治27(1894)年10月10日;神戸-広島間)、官設鉄道との直通運転(明治28年10月20日;京都-広島間)、食堂車(明治32(1899)年5月25日;京都-三田尻間の急行に連結)、寝台車(明治33(1900)年4月8日;大阪-三田尻間の急行に連結)など日本初のものが多い。これらのサービス向上の背景には瀬戸内海に就航していた汽船との熾烈な旅客争奪戦があったからだ。
 やがて、山陽鉄道は船舶にも乗り出し、次々と航路を開設していった。下関-門司(開業当時は徳山-下関)間や、明治36年3月18日には岡山-高松間を開設。明治38(1905)年5月8日には宮島航路を宮島渡航会社から継承している。更には、下関から朝鮮半島の釜山とを結ぶ航路も開設した(明治38(1905)年9月11日)。
 日露戦争の勝利によって、鉄道の重要性を知った政府や軍部は、鉄道の効率的な(直接的な)運用を目指し、各地の鉄道を買収・国有化していった。 山陽鉄道も例外ではなく、明治39(1906)年12月1日国有化、明治42(1909)年10月12日の線路名称制定によって、神戸-下関間、兵庫-和田岬間が山陽本線となった。
 国有化直後の明治45(1912)年6月15日には、新橋-下関間で特急列車が運行された(所要時間は25時間)。もちろん、これも日本初のこと。この頃は、国際連絡運輸もはじまっていたので、新橋から下関、関釜連絡船で大陸に渡り、朝鮮鉄道、東清鉄道、シベリア鉄道を経て、モスクワ、ベルリン、パリ、ロンドンといったヨーロッパの主要都市に(新橋からの)通し切符で行くことができた。当然飛行機などのない時代、明治・大正の人たちがこのコースで遠くヨーロッパまで行ったのかと思うと、現代にはない雄大なロマンを感じる。

 その後、国によって路線の整備、複線化・電化が進められることになった。そのうち、岩国-柳井-徳山間では、山口県東南部に突き出した半島状の地形を海に沿って周るようなルートであった為、この区間を旧山陽道に沿って直線的に結ぼうと新路線の工事がはじまった。大正末期(1920年代)に建設がはじまり、昭和9(1934)年12月1日に麻里布(現;岩国)-周防高森-櫛ヶ浜間が全通。その際、麻里布-柳井-櫛ヶ浜間の山陽本線が柳井線として分離されることになった。短絡線は完成したが、この区間は山岳地帯であったため急勾配と長大トンネル(欽明路トンネル)が続き、複線化工事がでは取り残される結果となってしまった。昭和5(1930)年には、岩国-櫛ヶ浜間を除いて山陽本線の複線化工事が完了、この区間の複線化も検討された。しかし、長い欽明路トンネルをもう1本掘らねばならないことから、複線化は柳井線経由で行われることとなり、昭和19(1944)年10月11日、柳井線区間の複線化工事が完了した。同時に、この区間(岩国-柳井-徳山間)が再び山陽本線となり、岩国-周防高森-櫛ヶ浜間が岩徳線となった。
 現在でも、山陽本線(や山陽新幹線)で広島方面から徳山以西、徳山方面から広島以東に行く場合、運賃は岩徳線経由で計算される(経路特定区間)。これは、岩徳線経由のほうが距離が短いという理由もあるが、元は山陽本線だった名残を残している。
 昭和17(1942)年7月1日、世界初の海底トンネルである関門トンネルが開通し、山陽本線が全通した。この際、門司駅を門司港駅、西隣の大里駅が門司駅と改められた。

 戦時中は戦時ダイヤが組まれ優等列車皆無の時代が続いたが、戦後は多くの優等列車が復活し、東海道・山陽本線は黄金期を迎えた。しかし、昭和39(1964)年10月1日東海道新幹線が完成すると事情は一変。東海道本線からの(昼行)特急はなくなり、東海道新幹線に接続して西日本各地へ向かうという運行へとシフトしていった。その後、山陽新幹線が、昭和47(1972)年3月15日に岡山まで、昭和50(1975)年に博多駅まで開業し、山陽本線を走っていたほとんどの特急が廃止された。以後、寝台特急と貨物列車のほかは、地域内輸送が主な役割となっている。




神戸-門司間 534.4km 兵庫-和田岬間 2.7km 計537.1km

※ 優等列車がほとんどないので、普通列車が主となる。そして、距離が長いので7〜8時間
かかるのを覚悟したい。また土休日の兵庫-和田岬間はほとんど運転されないので注意が必要。



[車窓の楽しみ方]

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● 乗りつぶし記録

  ・1981.08.?   岡山からの帰省の際、(寝台特急瀬戸にて)岡山→神戸間に乗車。
  ・1985.01.?   岡山からの帰京の際、(寝台特急瀬戸にて)岡山→神戸間に乗車。
  ・1988.03.?   友人達と金沢・岡山旅行の帰り、(大垣夜行にて)岡山→神戸間に乗車。
  ・1993.02.23. アルバイトの広島出張で、(寝台特急瀬戸にて)神戸→岡山間に乗車。
  ・1993.02.24. その帰り、(寝台特急あさかぜにて)倉敷→岡山→神戸間に乗車。
  ・1998.03.13. 高松・岡山旅行で、(寝台特急瀬戸にて)神戸→岡山間に乗車。
  ・1999.03.12. 山陰旅行で、(サンライズ瀬戸にて)神戸→姫路間に乗車。
  ・1999.03.14. その帰り、倉敷→東岡山/相生→神戸間に乗車。
  ・2000.07.22. 岐阜・神戸旅行で、神戸→塩屋→明石→垂水/舞子→三ノ宮間に乗車。
  ・2000.07.23. 同、住吉→三ノ宮間に乗車。
  ・2001.09.09. 南紀・近畿旅行で、神戸→塩屋間に乗車。
  ・2003.03.16-17. 九州旅行で、(寝台特急富士にて)門司→神戸間に乗車。
  ・2003.08.04. 生徒達と岡山県美星町へ、神戸→岡山→倉敷間に乗車。
  ・2003.08.06. その帰り、倉敷→神戸間に乗車。
  ・2004.07.17. 萩・津和野旅行で、(寝台特急あさかぜにて)神戸→新山口間に乗車。
  ・2004.07.19. その帰り、(サンライズ出雲にて)岡山→神戸間に乗車。
  ・2005.04.29. 四国作戦で、神戸→姫路間に乗車。
  ・2005.05.03. その帰り、(サンライズ瀬戸にて)岡山→神戸間に乗車。
  ・2006.03.12. 山陰旅行で、神戸→倉敷間に乗車。
  ・2006.03.13. その帰り、加古川→神戸間に乗車。
  ・2006.08.16-17. 北九州攻略作戦で、ムーンライト九州にて神戸→門司間に乗車。
  ・2006.08.19. 同、門司→宇部/宇部→新山口間に乗車。
  ・2006.08.20. その帰り、小野田→櫛ヶ浜/岩国→海田市/三原→神戸間に乗車。
  ・2007.03.24. 九州研修旅行で、神戸→門司間に乗車。
  ・2007.03.26. その帰り、門司→神戸間に乗車。
  ・2007.03.30. 南九州攻略作戦で、神戸→門司間に乗車。
  ・2007.04.03. その帰り、門司→広島/倉敷→神戸間に乗車。
  ・2007.07.27. 西九州攻略作戦で、神戸→門司間に乗車。
  ・2007.07.29. 同、門司→厚狭間に乗車。
  ・2007.07.30. 同、厚狭→神戸間に乗車。
  ・2007.08.24. 中国山地攻略作戦で、神戸→姫路間に乗車。
  ・2007.08.25. 同、福山→神戸間に乗車。
  ・2008.03.28. 九州完乗作戦で、神戸→相生/東岡山→門司間に乗車。
  ・2008.04.01. その帰り、倉敷→神戸間に乗車。
  ・2008.07.19. 近畿完乗作戦で、元町→兵庫→和田岬間に乗車。完乗達成。
  ・2009.03.27. 九州研修旅行で、神戸→姫路→倉敷→新山口間に乗車。
  ・2009.03.28. 同、新山口→門司間に乗車。
  ・2009.03.29. 同、門司→宮島口間に乗車。
  ・2009.03.30. 同、広島→神戸間に乗車。
  ・2009.04.04. 近畿乗りつくしで、神戸→塩屋→神戸/神戸→姫路間に乗車。
  ・2009.07.18. 奄美日食作戦で、神戸→新山口間に乗車。
  ・2009.07.25. 同、門司→神戸間に乗車。
  ・2010.03.27. 倉敷・広島研修旅行で、神戸→岡山間に乗車。
  ・2010.03.28. 同、倉敷→広島/横川→宮島口/宮島口→広島間に乗車。
  ・2010.03.29. その帰り、広島→神戸間に乗車。
  ・2010.08.20. 九州鉄道記念館号撮影で、神戸→倉敷/福山→瀬野/瀬野→門司間に乗車。
  ・2010.08.22. 同、門司→新山口間に乗車。
  ・2010.08.23. 同、新山口→岩国/横川→神戸間に乗車。
  ・2011.03.13. 大阪撮影&乗りつくし旅行で、神戸→須磨→神戸間に乗車。
  ・2011.03.25. 関西撮影旅行で、加古川→神戸/神戸→岡山に乗車。
  ・2011.03.26. 同、岡山→西川原→岡山/岡山→庭瀬→東岡山/相生→神戸間に乗車。
  ・2011.08.19. 九州遠征で、神戸→広島間に乗車。
  ・2011.08.22. その帰り、広島→東岡山/相生→神戸間に乗車。
  ・2011.09.03. 近畿遠征で、神戸→東加古川→舞子間に乗車。
  ・2011.09.04. 同、舞子→神戸/神戸→相生間に乗車。
  ・2011.09.05. その帰り、相生→ひめじ別所→姫路/姫路→神戸間に乗車。
  ・2011.10.10. 山陰遠征で、上郡→姫路→神戸間に乗車。



● 駅舎写真

神戸駅(2001.09.) 兵庫駅(2008.07.) 和田岬駅(2008.07.)
新長田駅(2008.07.) 鷹取駅(2009.04.) 須磨海浜公園駅(2009.04.)
須磨駅(2009.04.) 塩屋駅(2009.04.) 垂水駅(2011.09.)
舞子駅(2011.09.) 朝霧駅(2011.09.) 明石駅(2000.07.)
西明石駅(2011.08.) 大久保駅(2011.09.) 魚住駅(2011.09.)
土山駅(2011.09.) 東加古川駅(2011.09.) 加古川駅(2011.03.)
宝殿駅(2011.08.) 曽根駅(2011.08.) ひめじ別所駅(2011.09.)
御着駅(2011.09.) 姫路駅(2006.03.) 英賀保駅(2009.07.)
はりま勝原駅(2011.09.) 網干駅(2009.07.) 竜野駅(2011.09.)
相生駅(2006.03.) 東岡山駅(2008.03.) 西川原駅(2011.03.)
岡山駅(1998.03.) 北長瀬駅(2011.08.) 庭瀬駅(2011.03.)
中庄駅(2010.08.) 倉敷駅(2006.03.) 新倉敷駅(2007.03.)
鴨方駅(2007.07.) 笠岡駅(2007.07.) 福山駅(2007.03.)
松永駅(2007.07.) 尾道駅(1999.03.) 糸崎駅(2006.08.)
三原駅(2006.08.) 白市駅(2009.07.) 瀬野駅(2008.03.)
海田市駅(2008.03.) 広島駅(2006.08.) 横川駅(2007.03.)
五日市駅(2008.03.) 宮島口駅(2007.03.) 岩国駅(2006.08.)
柳井駅(2008.03.) 櫛ヶ浜駅(2006.08.) 徳山駅(2006.08.)
新山口駅(2006.08.) 宇部駅(2007.04.) 小野田駅(2007.04.)
厚狭駅(2007.07.) 新下関駅(2007.07.) 幡生駅(2008.03.)
下関駅(2007.03.) 旧駅舎 門司駅(2003.03.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地山陽本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)
 この他、周防灘を望む戸田-富海間など。



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