三江線

最終更新日2007.10.05.


● 基本データ

 三江線(さんこうせん)は、山陰本線の江津(ごうつ)から芸備線の三次に至るJR西日本の地方交通線(ローカル線)である。
 島根県の中央部から東部、そして広島県に流れる江の川(ごうのかわ)に沿って鉄道を敷設し、三次から芸備線で広島あるいは福塩線で福山へと山陽側の都市とをつなぐ陰陽連絡線として計画されたのが三江線である。
 路線建設がはじまったのは大正末期と新しく、昭和5(1930)年4月20日に石見江津(現;江津)-川戸間が開業した。翌昭和6(1931)年5月20日石見川越、 昭和9(1934)年11月8日石見川本、 昭和10(1935)年12月2日石見簗瀬、昭和12(1937)年10月20日浜原まで延伸したが、その後、日中戦争それに続く太平洋戦争の激化により路線建設は中断された。
 路線建設が再開されたのは戦後で、三次からも建設されることになり、昭和30(1935)年3月31日、三次-式敷(しきじき)間が開業した。この際、新規開業区間を三江南線とされ、既存の江津-浜原間を三江北線と改称された。建設は南線で進められることになり、昭和38(1963)年6月30日口羽(くちば)まで延伸された。
 三江線の建設が進む頃は、時代は急速に自動車社会に移行する時代でもあり、昭和43(1968)年国鉄諮問委員会が全国の赤字廃止路線意見書を取り纏めた。いわゆる「赤字83路線」と呼ばれる勧告だが、三江線もその中に入っていた。しかし、路線の建設は進み、昭和50(1975)年8月31日浜原まで延伸され全通、三江北線が新規開業区間と三江南線を編入する形で三江線と改称された。こうして全通したのだが、新規開業区間から江津方面及び三次方面への利用に関しては原則的に浜原及び口羽での乗換えが必要であった。これは、昭和53(1978)年3月30日の全線直通運転開始によって解消されたが、現在でも半分近くの列車は浜原乗換えとその名残は残る。



江津-三次間 108.1km

※ 全線を走破する列車が日に3便しかないので、乗りつくしには周到な計画が必要。


 建設中から予想されていた通りなのだが、その後の中国自動車道、浜田自動車道の開通により、陰陽連絡線の使命は完全に失われ、三江線は一層苦境に立たされることになった。地元の足としての役割を果たしているのだが、中国山地を走る路線としては、木次線と並ぶ超閑散路線となっており、可部線同様に部分廃止が取りざたされている。
 また全通する以前より、豪雨により被災していたが、平成18(2006)年7月18日の集中豪雨により沿線各所で土砂崩れが発生、全線が運休状態に入った。関係者の懸命な復旧工事により平成19(2007)年6月16日運転が再開されたが、これによって廃止の話が再燃されないことを切に願いたい。


[車窓の楽しみ方]
 江津を出発した列車は、山陰本線と分岐し、大きく右にカーブする。するとすぐに江の川が目の前にうわっと広がる。中国地方最大の川で、別名「中国太郎」とよばれる大河だけにその河口付近の川幅はとても広い。列車は川岸に沿って走り出し、山陰本線の鉄橋や国道9号のバイパスの橋が江の川を渡っていくのが見える。また、これだけの大河にも関わらず河口付近に平野を作らなかったとされ、河口付近まで両岸に山が続くのが面白い。千金付近で対岸に採掘場が見える。深くえぐられて赤い地表が見えたのが印象的であった。両岸の山が高いので、まだ河口が近いのに、まるで渓谷を走っているような印象を受けた。対岸の国道も断崖の上を通っている。また、日本海からの風の影響でか天気が変わりやすく、時にはで視界が悪くなることもあった。川が蛇行しその内側の流速が落ち土砂が堆積するが、江の川でも蛇行して堆積する土地があるが面積はそれほど広くはないようだ。その土地に畑作地帯が広がり、家屋が身を寄せ合うように立っていた。時には、水田が広がることもある。しかし、急流で氾濫するのか田畑や家屋のある土地の周りには高い堤防が築かれていて、上流部分を線路が通過する時には堤防を通るので面白い。
 比較的大きな街になってくると石見川本。ここでは対岸にも集落が広がるようになる。集落の屋根が石州瓦なのが印象的だ。しばらく走ると再び、のんびりとした川沿いを走るようになる。県道が対岸に移ると、川の向こうに三瓶山の頭が見える。この頃になってくると川の透明度がとても高くなる。川が大きく北にむかってUの字に蛇行すると同時に線路も蛇行し川を渡り集落が増えてくると浜原に着く。
 浜原からは、江の川を離れ、支流の沢谷川に沿って走り、しばらく平野を走る。沢谷川を離れ長い登矢丸トンネルを越えると、再び江の川に沿って走るようになる。浜原までは、進行(三次)方向左手に江の川が広がるが、浜原から口羽までは右手になる。中流域に入るのか、時々川底も見えるようなるが、ここら辺でも集落は大きな堤防に囲まれている。この区間は三江線で、昭和50(1975)年完成と最も新しい路線なので高架部分が多く、軽快にどんどん登ってゆく。トンネルが続きを渡ると、宇都井。この駅はコンクリート製の秘境駅として有名で、地上に出るまで七階建ての階段を降りなければならない。この付近は山口-広島県境に近く、宇都井からは川を2度か渡るようになるが、その都度県を越えるが深い渓谷にそんなの気にならなかった。川の対岸の集落が見えてくると、口羽に着く。
 口羽を出ると、江の川は再び進行(三次)方向左手に移り、川のむこうの山肌には石灰岩が見える。作木口を出ると、広島県に完全に入り、対岸に公園(江の川カヌー公園さくぎ)が見えてくる。その隣には発電所もあるようだ。西にUの字に蛇行するとを渡り、再び川を渡る。シーズンには鮎釣りをする人たちを眼下に見ることができる。ここから先は、蛇行することなくのんびりと走るようになり、対岸には石垣の田が広がる。川面にあるを通過すると、川は湖のようになり、流れが一層ゆるやかになる。視界の左右にあった山がなくなると三次盆地に入ったことが実感できる。川を渡ると市街地に入り、川の反対側からは三次の街並が遠望できる。三次まで1駅の尾関山をでると高架になり市街地が見通せ気持ちがよい。市街地の西で江の川と支流の西郷川と馬洗川が合流する。西郷川と馬洗川の合流部分を渡る中心部に入り、芸備線と合流し、終点三次に到着する。三江線の乗り場は三次駅の西部分にある。
 車窓は、江津-浜原間は進行(三次)方向左手、浜原-口羽間は右手、口羽-三次間は左手が江の川が広がるので楽しい。



● 乗りつぶし記録

  ・2007.08.25. 中国山地攻略作戦で、江津→三次間に乗車。完乗達成。



● 駅舎写真

江津駅(2007.08.) 千金駅(2007.08.)未下車 浜原駅(2007.08.)
宇都井駅(2007.08.)未下車 香淀駅(2007.08.)未下車 式敷駅(2007.08.)未下車
長谷駅(2007.08.)未下車 尾関山駅(2007.08.)未下車 三次駅(2007.04.)



ともりんが行ってみたいおすすめ撮影ポイント

 江川に沿って走る列車が撮影できる口羽-江平間など。



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