五日市線

最終更新日2008.09.25.


● 基本データ

 五日市線は、青梅線の拝島駅から西にむかい東京都あきる野市の武蔵五日市駅までを結ぶJR東日本の幹線路線である。
 路線は、私鉄の五日市鉄道(当時は「五鉄」と呼ばれていた)が、大正14(1925)年4月21日に拝島-五日市(現;武蔵五日市)間を開通させたのにはじまる。同年9月20日、武蔵岩井まで延伸された。延伸という形ではあったが、武蔵五日市の立川寄りにあった三内信号所から分岐する支線(岩井支線)のようなものであり、列車は武蔵五日市から一旦三内信号所まで戻りスイッチバックし、武蔵岩井にむかっていた。その後、五日市鉄道は青梅鉄道とは別の線路を敷設する形で、昭和5(1930)年7月13日に立川-拝島間を開業させている。昭和16(1941)年2月28日、五日市鉄道は青梅電気鉄道(現;青梅線)と共に浅野セメント(現;太平洋セメント)傘下の南武鉄道(現;南武線)に合併され、同社の五日市線となり、戦時買収により昭和19(1944)年4月1日に国有化され、国鉄の五日市線となった。同年10月11日、青梅線と並行する立川-拝島間は不要不急線として休止されることになる。戦後になって、この区間が復活することはなかったが、青梅線の複線化、また中央本線からの短絡線として用いられることになった。
 昭和32(1957)年5月19日、全線で気動車化が実施され、昭和36(1961)年4月17日全線で電化、及び電車運転が開始された。その後、(武蔵五日市-武蔵岩井間の)支線が昭和57(1982)年11月15日に廃止され、現在の形となった。
 五日市線内を往復する列車の他に、青梅線を通って立川から、そして東京から乗り入れてくる列車などがあり、沿線の通勤・通学の輸送を担っている。




拝島-武蔵五日市間 11.1km

※ 距離も短く、また多くの本数があるので乗りつくしは楽。



[車窓の楽しみ方]
 路線の起点を示す0kmポストは拝島駅の五日市線ホームにあった。しかし、拝島駅の改装によって、どう変わったか調査をしていない。列車は、青梅線と一緒に北に進むが、200mほど走ったところで分岐、大きく左にカーブし進行方向が西に変わる。以降、五日市線の路線はほぼ西にむかって進むような線形になる。分岐して市街地を走り1つ目が熊川。市街地の中というより、家屋に取り囲まれたような駅だ。熊川を出ると、しばらくして多摩川を渡る。河口からかなり離れているが、まだ川幅は広く、気持ちよい光景が広がる。川を渡ると景色は一転、市街地のものから、田園が広がるものになってくる。多摩川の支流秋川が、五日市線の南に平行に流れていて、進行(武蔵五日市)方向左手、つまり南の方向になだらかに下っているような地形になっている。それほど急な傾斜ではないが、遠くまで見渡すことができるので楽しい。再び建物が増えてくると秋川。秋川を出ると、すぐに圏央道をまたぎ、再び田園地帯が広がるようになってくる。そして、その先(進行方向左)にはサマーランドの観覧車も見える。こうして、武蔵増戸(ますこ)になるが、ここに集落を拓いた人達は、この土地に人口の増えてくれることを念願して増戸と名づけ、それが駅名ともなったのだそうだ。武蔵増戸からは、急に山がちな風景に変わり、右にそして左に大きくカーブして廃線の跡(土台)が見えると、終点武蔵五日市に到着する。
 車窓は、進行(武蔵五日市)方向、左手がやや面白い。



● 乗りつぶし記録

  ・1992.08.19. サークルの合宿に参加するため拝島→武蔵五日市間に乗車。完乗達成。
  ・1992.08.20. その帰り、武蔵五日市→拝島間に乗車。往復完乗。
  ・1993.08.26. サークルの合宿に参加するため拝島→武蔵五日市間に乗車。
  ・1993.08.27. その帰り、武蔵五日市→拝島間に乗車。
  ・2005.10.02. 彼岸花作戦拝島→武蔵五日市間に乗車。
  ・2005.10.02. その帰り、武蔵五日市→拝島間に乗車。
  ・2008.04.27. 青梅・五日市線全駅下車作戦拝島→武蔵増戸間に乗車。
  ・2008.04.27. 同、武蔵増戸→拝島間に乗車。全駅下車達成。



● 駅舎写真

拝島駅(2005.10.) 熊川駅(2008.04.) 東秋留駅(2008.04.)
秋川駅(2008.04.) 武蔵引田駅(2008.04.) 武蔵増戸駅(2008.04.)
   全駅掲載
武蔵五日市駅(2005.10.)



● おすすめ撮影ポイント

 のんびりとした風景の中を列車は進んでいくので、撮影ポイントは少なさそう。



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