| ● 基本データ 南武線は、東海道本線の川崎から全線の大半を川崎市を縦断するように走り、中央本線の立川に至るJR東日本の幹線路線である。この他、尻手と鶴見線の浜川崎を結ぶ支線(通称;浜線)を持つ。 神奈川県川崎市は南東から北東にかけて細長い形をしている。それを貫くように走っているのが、この路線である。また、山手線から郊外にむかって放射状に延びる複数の私鉄路線とも連絡し、横浜線同様、それらの連絡路線となっている。また、府中本町で武蔵野線と接続し、さらに武蔵野線は京葉線とつながっている。なので、これらの路線によって大きく首都圏を外周することができる。 南武線の最も古い歴史は、多摩川の川原で採取した砂利を運搬するのが目的で設立された多摩川砂利鉄道が、大正9(1920)年1月29日に川崎町-稲城間の鉄道敷設免許を取得したのにはじまる。同年3月1日に社名を南武鉄道に改称した。会社の目的が、砂利運搬と更には川崎と多摩地域をむすぶものへと大きく広がり、同年3月17日には終点を立川まで延長、府中町-国分寺町間の支線の敷設を追加で申請している。 しかし、資金が集まらず工事は進まなかった。そんな中、名乗りをあげたのが、浅野セメント(現;太平洋セメント)の創業者浅野総一郎とその系列企業であった。セメントの原料は石灰石である。奥多摩から産出された石灰石を京浜工業地帯まで運ぶのは、浅野セメントの傘下に入っていた青梅鉄道(現;青梅線)から中央本線・山手線・東海道本線経由でのルートになっていた。もし、川崎と立川を結ぶ路線が完成し、南武鉄道を傘下にすれば、すべて系列の路線で運搬することができ、輸送距離も大幅に短くなるので、南武鉄道は浅野系列となった。 こうして、昭和2(1927)年3月9日、川崎-登戸間が電化で開業した。同年11月1日大丸間(現;南多摩)まで、昭和3(1928)年12月11日屋敷分(現;分倍河原)まで、昭和4(1929)年12月11日立川まで延伸開業され全線が開通した。そして、昭和5(1930)年3月25日、貨物支線の尻手-浜川崎間が開業し、現在の南武線の形が完成した。 全線開業後、沿線には企業の工場が進出し、帝都防衛のための軍事施設も沿線に多く造られた。そのための軍事輸送も南武鉄道が担うこととなった。やがて、それが理由となり、軍事上重要な路線として戦時買収私鉄に指定され、昭和19(1944)年4月1日国有化され南武線となった。 戦前に目黒にあった競馬場を沿線の府中に誘致した(現;東京競馬場)のをはじめ、沿線には川崎競馬場・川崎競輪場・京王閣競輪場・多摩川競艇場・立川競輪場などの公営競技の施設が多く、「ギャンブルライン」とあまりイメージのよくない名前で呼ばれることがある。しかし、特に川崎市中原区を中心とした一帯にNEC・富士通・東芝などの電機・情報技術関連企業やその子会社の多くの工場があり、「日本のシリコンバレー」で働く会社員を運ぶのに一役買っている。 戦後の高度経済成長期に、前記の通り私鉄との乗り換え駅が多くのあることので、沿線の宅地化が進み利用客が急増した。これに対して、昭和45(1970)年頃には6両化、そして全線の複線化が昭和41(1966)年9月30日に完成し、需要に一応の対応をした。しかし、その後も沿線の人口が増加には対応しきれていない、これは駅の立地条件なので、南武線は(新型車輌を投入しても)1編成あたり6両と短いが原因だからである(首都圏を走る他のJR線は編成が8〜15両)。よって、他の路線よりも混雑率が高い。 そして、開業時(昭和4(1929)年)の川崎-立川間の所要時間が1時間10分、現在は53分とそれほど変わっていない。これは全線にカーブと駅数が多いからだ。しかし、一部の路線で高架がなされたりと、高速化などがはかられている。 ※ 比較的距離が短く、本数も多いので、乗りつくしは楽。 | |
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武蔵小杉から先は高架になり、車窓は気持ちよいものになる。そして、進行(立川)方向右手には住宅の屋根の波の先に等々力公園の森が、左手には天気がよいと富士山が見える。隣の武蔵中原を出ると、進行(立川)方向左手下に車輌基地が見える。そして、武蔵新城を出ると再び地上を走り、京浜第三国道をくぐると武蔵溝の口に着く。駅周辺には商業ビルなどが多く、武蔵小杉と並ぶ賑やかな商業地であるようだ。武蔵溝の口を出発すると、東急田園都市線をくぐり、しばらくすると国道246号もくぐる。この頃から、車窓に小高い丘が増えてくる。こうして、津田山になる。駅南側には緑ヶ丘霊園があり、駅周辺には霊園関係の店が多い。お隣は久地、そして東名高速道ををくぐると宿河原。駅の前後で二ヶ領用水を跨ぐが、この付近では用水に沿って歩道も整備されている。そして桜も植えられているので、春には桜色の風景がわずかな時間あるが車窓に飛び込んでくる。こうして、登戸に着く。 登戸を出るとすぐに小田急小田原線をくぐり、住宅街の中を左右にカーブしながら進んでいく。こうして中野島、三沢川をまたぐと稲田堤になる。京王相模原線とは西に0.4kmほど離れているので、他の接続駅と比べて賑わいは少ないように感じられる。京王相模原線の高架の下をくぐり、しばらく走り高架路線になると神奈川県から東京都に入る。特に案内などないので実感がない。こうして、矢野口になる。ここから先畑が増えてくるが、時より梨畑などを見ることができる。また、進行(立川)方向左手の山の上にはよみうりランドが遠望できる。しかし、全体的には住宅街が多い。矢野口から有料道路である稲城大橋へ通じる道を跨ぎ、稲城長沼になる。高架路線を降り、府中街道を踏切で渡ると南多摩。多摩丘陵の崖の下を避けるように右にカーブする。そして、崖の下からトンネルで出てきた貨物線と合流して、仲良く多摩川を渡る。渡ると中央高速をくぐり、東京競馬場の脇を走ると府中本町になる。到着前には競馬場への連絡通路が見え、さらには上り線が地下に潜る。競馬場が開催されると大変な混雑となるので、かなり広い改札となっている。 府中本町から武蔵野線はそのままトンネルで北に進み、南武線の路線は左に大きくカーブする。そして、分倍河原になる。京王線へは、階段の上の改札を通る。分倍河原から住宅街の中を走り、隣は平成21(2009)年3月に開業と南武線で最も新しい西府駅。駅北西徒歩10分ほどのところには全国でも4基しかない上円下方墳がある。国道20号を跨ぐと谷保。谷保には、東日本最古の天満宮である谷保天満宮がある。谷保から矢川、そこから大きく右カーブし、いよいよ家屋や建物が増えてくる。西国立から踏切を通り、中央本線と合流すると、終点立川に到着する。駅周辺は多摩地方一の繁華街であり、駅北側・南側共に官公庁の施設や大規模商業施設が立ち並んでいる。 浜川崎は鶴見線との接続駅であるが、鶴見線の浜川崎とは道路を挟んで対面にある。乗り換えるためには、一旦改札を出る必要がある。 | ||
● 乗りつぶし記録
乗車回数過多の為、省略。
● 駅舎写真
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川崎駅(2006.01.) 尻手駅(2006.01.) 矢向駅(2008.02.) ![]()
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鹿島田駅(2008.02.) 平間駅(2008.02.) 向河原(2008.02.) ![]()
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武蔵小杉駅(2006.01.) 武蔵中原駅(2008.02.) 武蔵新城駅(2008.02.) ![]()
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武蔵溝ノ口駅(2006.01.) 津田山駅(2008.02.) 久地駅(2008.02.) ![]()
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宿河原駅(2008.02.) 登戸駅(2008.02.) 中野島駅(2008.04.) ![]()
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稲田堤駅(2006.01.) 矢野口駅(2008.04.) 稲城長沼駅(2008.04.) ![]()
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南多摩駅(2008.04.) 府中本町駅(2006.01.) 分倍河原駅(2006.01.) ![]()
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西府駅(2009.05.) 谷保駅(2008.04.) 矢川駅(2008.04.) ![]()
西国立駅(2008.04.) 立川駅(2006.01.)
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八丁畷駅(2006.02.) 川崎新町駅(2006.10.) 浜川崎駅(2006.10.)
全駅掲載
● おすすめ撮影ポイント
撮影ポイントは、JR線路線別撮影地南武線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。
この他、宿河原-登戸間にある二ヶ領用水船島鉄橋の桜模様など。