武蔵野線

最終更新日2012.02.07.


● 基本データ

 武蔵野線は東海道本線の鶴見から東京首都圏を外周するように走り、総武線の西船橋に至るJR東日本の幹線路線である。定期的に旅客営業を行っているのは、南武線の府中本町から西船橋までで、この区間をここでは武蔵野線と紹介する。また、貨物営業主体の鶴見-府中本町間を武蔵野南線と称されることがある。首都圏を外周する鉄道だけに、中央本線、西武新宿線、西武多摩湖線、西武新宿線、東武東上線、埼京線東北本線、埼玉高速鉄道、東武伊勢崎線、つくばエクスプレス、常磐線、新京成線、北総開発鉄道、京成本線など多くの鉄道と交差する。

 大正期(大正14年(1925)3月28日)に完成した山手貨物線を補完する形で、貨物専用線(東京外環貨物線)として計画され、大正11(1922)年4月11日に公布された改正鉄道敷設法に「千葉縣船橋ヨリ小金ニ至ル鉄道(49-2)」「千葉縣我孫子ヨリ埼玉縣大宮ニ至ル鐡道(50-2)」「埼玉縣與(与)野ヨリ東京府立川ニ至ル鐡道(50-3)」「東京都國分寺附近ヨリ神奈川縣小倉(川崎市幸区)ニ至ル鐡道(50-5)」とそれぞれ規定された。しかし、戦前・戦後を通して、路線が建設されることがなかった。しかし、昭和42(1967)8月8日に新宿駅構内で起った貨物列車(米軍燃料輸送列車)の転覆炎上事故が、武蔵野線建設の契機となった。このような危険な貨物列車が都心部を通過することは好ましくない、ということであるが、山手貨物線の輸送量も限界に近づいていたことも理由にあった。
 建設当時、まだ原野が残っていたとはいえ住宅街はあり、その中を危険な航空燃料を積んだ貨物列車が通ることには変わりはなく、見返りとして旅客輸送もおこなわれよう計画が変更になり、昭和48(1973)年4月1日に府中本町-新松戸間が開業した。昭和51(1976)年3月1日に鶴見-新鶴見操車場-府中本町間の貨物営業のみの路線(武蔵野南線)が開業、昭和53(1975)年10月2日、新松戸-西船橋間が延伸開業され、全線が開通した。そして、昭和63(1988)年12月1日、京葉線の新木場-南船橋間、市川塩浜-西船橋間が開業した際には蘇我(現;海浜幕張)まで、平成2(1990)年3月10日の京葉線全通には東京駅までの直通運転が開始された。
 このように歴史的には貨物線として建設が計画されたものだが、前記の通り首都中心部から放射線状に伸びる路線と交差していることより、それらとの連絡線としての役割が多くなり、また沿線の宅地開発などにより、現在は貨物輸送より旅客輸送に主体が置かれるようになってきている。また、武蔵野南線などを使って鎌倉・横浜から東北・常磐方面、大宮から青梅方面、東北方面から東京ディズニーランドがある舞浜までの臨時列車なども武蔵野線内を走る。





府中本町-西船橋間 71.8km

※ 本数は多く、攻略は楽。ただ、距離が長く乗りつくすのは、やや大変。



[車窓の楽しみ方]
 府中本町を出発すると南武線と分かれ、すぐに長いトンネルに入る。府中本町のホーム自体半分地下にあるような感じだ。トンネルを抜け、進行(新座)方向左手に東芝の工場が見えてくると北府中。ここから武蔵野台地を一気に駆け上るように走ると、西国分寺。ここでは中央本線と垂直に立体交差するが、ホームからそれを見ることができない。ここから再び長いトンネル区間になる。ただ、新小平のように半地下になっている部分もある。新秋津から徒歩5分のところに西武池袋線の秋津駅があるが、武蔵野線と西武各線との相性は悪く、この秋津駅が最も近い。
 新秋津を出ると、谷を越え急にのんびりとした田園風景が広がりはじめる。この谷を越えると一旦埼玉県に入る。再び半地下になると東所沢。進行(新座)方向左手に車両基地を見て、トンネルを抜けると、再び武蔵野台地が広がる。進行方向左手に中世の滝の城の城址公園を見て、柳瀬川を、そして関越道を渡る。そして、左手に貨物ターミナルの広大な敷地が広がると新座に着く。柳瀬川で東京都に貨物ターミナルで埼玉県と、この付近では県境が入り組んでいる。

 新座から住宅街が広がりだし、足元に東武東上線の朝霞台駅が見えると北朝霞になる。この後、武蔵浦和駅、南浦和駅、南越谷駅、南流山駅、新松戸駅と各路線と接続するが、接続駅に近づくと混雑がはじまり、駅に到着すると大半の乗客が降りていくことを繰り返すようになる。
 北朝霞を出発すると朝霞市街が続き、路線は高架の上を走るので、気持ちがよい景色が続く。こうして、 荒川を渡るようになるが、川幅より川原の 緑が目立つような気がする。荒川を渡り、下に国道17号、上に高速埼玉大宮線 にサンドイッチされた所を通過すると西浦和になる。西浦和から東へ埼京線の路線との間は、武蔵野線の路線と東北貨物線が三角形で交わっているので、地図などでみると面白い。西浦和を出ると、貨物線が進行(南浦和)方向左に分離していき(写真は貨物線から撮影したもの)、そして合流してくると、東北新幹線の高架をくぐり、南浦和に着く。

 南浦和を出て、しばらくは市街地が続くが、田園風景が多くなってくる。再び、住宅街が増えてくると東浦和。東浦和を出ると、のんびりとした田園風景が広がる。東北自動車道を越えると東川口。ここでは、埼玉高速鉄道と交差するが、地下鉄なので路線を見ることができないが、ホームから地下駅の入り口が見える。また駅前広場で、埼玉高速鉄道を建設する際に使用されたシールドマシーンの巨大な歯を見学することができる。ここからも、田園風景が続くが、宅地開発も急激に進んでいるような感じだ。
 やがて、市街地に入っていき、東武伊勢崎線の高架が見えてくると南越谷になる。ここで、東武線の新越谷駅と接続する。南越谷を出発すると、進行(新松戸)方向左手に巨大な貨物ターミナルが広がる。車窓からは見えないが、このターミナル北側に大きな物流基地が広がっている。
 中川を渡ると、吉川。駅前では、金色のなまずが出迎えてくれる。ここから三郷にかけては、進行方向右手に貨物ターミナルの跡地の横を通過する。ここは現在使われていないようだが、武蔵野線では、時々貨物列車とすれ違うので楽しい。この貨物ターミナルの跡を通過中に常磐道を跨ぎ、三郷に着く。
 三郷を出るとすぐに江戸川を渡り、千葉県に入る。ここからしばらく流山の市街地をはしるようになるが、常磐線との短絡線が分岐していくと、高架になり新松戸に着く。常磐線とは垂直に立体交差する。

 新松戸では常磐線が2階、武蔵野線が3階部分を走るような形になる。1階部分に賑やかな商店街が広がるが、この中をコトコトはしっているのが、総武流山鉄道である。新松戸の下にあるのに、流山鉄道の駅は幸谷駅なので面白い。新松戸を出て、しばらくすると国道6号を渡る。ここから山がちな風景に変わり、やがて地下を走るようになり新八柱。新京成電鉄の八柱駅へは、地上に出ないとならない。新八柱を出ると地上に出て、近未来的な高架が進行方向に対して垂直に近づいてくると東松戸になる。これは、北総開発鉄道の路線である。東松戸からしばらく畑作地帯を進むが、徐々に家屋が増えてくると市川大野。この周辺では家屋が多いが、古くからの町並みのようなので味がある。こうして、船橋法典。この駅の近くには日帰り温泉施設法典の湯さんがあるようなのだが、近郊型の路線では珍しい。船橋法典から、進行(西船橋)方向右手、畑作地帯の先に中山競馬場が見え、やがて高架路線を走るようになると、終点西船橋に到着する。
 車窓は、進行方向左右、それほど差はない。しかも、地下で車窓が楽しめない区間が多い。



● 乗りつぶし記録

  ・1989.04.##. 武蔵野線の乗ってみたくなり、南浦和→西船橋(→東京)間に乗車。
  ・1995.06.##. サークルの先輩の家へ、府中本町→東所沢間に乗車。
  ・2005.05.20. 武蔵野線攻略作戦東所沢→南浦和間に乗車。完乗達成。
  ・2007.06.03. 武蔵野線全駅制覇作戦西国分寺→西船橋間に乗車。
  ・2008.04.27. 青梅・五日市線全駅下車作戦(大宮)→西浦和→新小平→(国立)間に乗車。
  ・2009.02.01. 千葉私鉄乗りつくし旅で、東松戸→西船橋間に乗車。
  ・2010.04.04. 真岡鐵道撮影で、府中本町→南浦和間に乗車。
  ・2011.07.09. EL&SLみなかみ号撮影で、西国分寺→武蔵浦和間に乗車。
  ・2011.09.10. 武蔵野線・新幹線・常磐線撮影で、南浦和→東浦和→南浦和間に乗車。



● 駅舎写真

府中本町駅(2006.01.) 北府中駅(2006.07.) 西国分寺駅(2006.01.)
新小平駅(2007.06.) 新秋津駅(2007.06.) 東所沢駅(2007.06.)
新座駅(2007.06.) 北朝霞駅(2007.06.) 西浦和駅(2007.06.)
武蔵浦和駅(2007.06.) 南浦和駅(2005.10.) 東浦和駅(2007.06.)
東川口駅(2007.06.) 南越谷駅(2007.06.) 越谷レイクタウン駅
吉川駅(2007.06.) 新三郷駅(2007.06.) 三郷駅(2007.06.)
南流山駅(2007.06.) 新松戸駅(2007.06.) 新八柱駅(2007.06.)
東松戸駅(2007.06.) 市川大野駅(2007.06.) 船橋法典駅(2007.06.)
西船橋駅(2007.06.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地武蔵野線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。



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