山手線

最終更新日2009.11.05.







品川-田端間 20.6km

※ 本数が多く、日本で最も乗りやすい路線だろう。
ただ、1周には60分ほどかかる。
● 基本データ

 日本の路線の中で、山手線ほど知られている路線は他にないだろう。もちろん、日本で最も利用者が多いというのは間違いないが、首都圏に住む人間には最も身近な路線であるからだと思う。
 都区内をぐるりと一周しているが、品川-新宿-田端間の西回りの区間が正式な山手線の線区で、東京-品川間が東海道本線に、東京-田端間が東北本線に所属し、更に東海道本線の支線としての扱いとなっている。ただ、品川-東京-田端間の東回りにも独自の路線を持ち、そして前記の通りぐるりと一周する運行形態が取られているので、これを山手線と言ってもいいだろう。
 また、大正期(大正14年(1925)3月28日)に完成した貨物線を大崎-田端(操)間に持つ。近年これが整備され、赤羽線を通って 埼京線の路線が池袋から大崎、そしてりんかい線へ、また湘南新宿ラインが、この区間を通って南は東海道本線や横須賀線、北は東北本線や高崎線へ乗り入れる運転が行われている。

 明治期、官設鉄道の東海道本線は新橋発着で、私鉄日本鉄道の東北線は上野始発であった。これを結ぶ目的で路線が建設されることになり、明治18(1855)年3月1日、日本鉄道が品川-新宿-赤羽間を開業させたのが山手線のはじまりである。当時は品川線と呼ばれていたが、新橋-上野間が最短のコースではなく、まるで迂回するかのようなコースが取られたのは、最短コースの新橋-上野間が住宅密集地域で用地の確保が困難で、原野が残り用地買収の容易な武蔵野台地の山の手側が選ばれたからだ。品川線は赤羽線の路線を通っていたが、明治36(1903)年4月1日に日本鉄道が池袋-田端間を豊島線として開業させ、山手線の正式区間が開通した。
 明治39(1906)年11月1日、日本鉄道が国有化され、明治42(1909)年10月12日の線路名称制定において、赤羽-品川間、池袋-田端間が山手線となった。複線化は国有化の前後から進められ、明治43(1910)年4月1日に完成している。また、電化も進められ明治42(1909)年12月16日に田端-池袋間、赤羽-品川間の電化が完成し、上野-新宿-品川-烏森(現;新橋)、赤羽-池袋間に電車の運転が開始された。その後、大正8(1919)年3月1日には、中央本線と接続し、中野-東京-品川-池袋-上野間で『の』の字運転がはじまり、そして大正14(1925)年11月1日に東北本線の神田-上野間が開業したのに伴い環状運転開始された。
 戦後になって田端-田町間の線増工事が昭和31(1956)年11月19日に完成、京浜東北線と分離運転開始された。昭和47(1972)年7月15日に、池袋-赤羽間が赤羽線として分離されることになり、品川-新宿-田端間が正式な山手線となった。
 昭和38(1963)年にウグイス色にした列車(103系)が投入され、以後ウグイス色が路線カラーとなっている。

 山手線は身近な路線としている理由の1つは、多くの私鉄が山手線の各駅を発着駅にしているからであろう。これには、戦前の東京市内交通公営主義政策により、私鉄は山手線の内側に乗り入れることができなかったことに原因がある。戦後も山手線内に新設する路線は全て地下鉄が条件となったため、私鉄の各路線が山手線内に進入することはなかった。東京メトロや都営地下鉄の路線が整備され、そして各私鉄と交互乗り入れがはじまり、各私鉄の列車がようやっと都心に入ってくるようになったが、各路線を連絡する山手線の重要性は増々大きくなっている。
 だが、その分混雑率も高く、前記の湘南新宿ラインの開業(平成13(2001)年12月1日)まで東京-上野間などで高い状態が続いた。だが、混雑率は依然高く、湘南新宿ラインの成功を受けて、現在、上野-東京間に新線を設けて、東北・常磐方面の列車を東海道線方面に出す計画があり、平成23(2011)年度の完成を目指して整備が進んでいる。(通称・東北縦貫線)。

[車窓の楽しみ方]
 路線の起点を示す0kmポストは品川駅のホーム上にある。品川を出発した列車は、京浜東北線、東海道本線の路線と仲良く南に進み、左から近づいてきた京急の高架や八ッ山橋をくぐる。しばらくすると山手線の路線が高くなり東海道新幹線や横須賀線の高架が近づいてくると、京浜東北線や東海道本線と分かれ大きくカーブし、東海道新幹線の高架などとともに北にむかうようになる。東海道新幹線や横須賀線の高架は、すぐに進行(新宿)方向左手に分かれていき、変わって湘南新宿ラインの(貨物)路線が近づいてくると大崎になる。大崎の南には車輌基地があるので(東海道本線から見える)、山手線の多くの列車が大崎で起終着を迎える。大崎からは多くの建物の中を進むようになるが、オフィスビル群からマンションなどの建物が増えてくるから面白い。東急池上線の高架が頭上垂直に近づいてくると五反田。この駅では、国道1号線の幅広い道路が足元を通過している。五反田から首都高2号線をくぐり、マンション群を抜けると目黒になる。東京メトロ南北線の目黒延伸によって、東急目黒駅が地下化、駅前は大きく様変わりした。
 目黒から貨物線が足元を通過し、進行(新宿)方向右手に移る。そして右手に恵比寿ガーデンプレイスの建物(地下部分)が見えると恵比寿に着く。ガーデンプレイス通過直後の頭の上にある橋が、歌にもなった有名なアメリカ橋(正式名恵比寿南橋)で、明治37(1904)年に開催されたセントルイス万博に出展された橋を大正15(1926)年に架設したことから、この橋が「アメリカ橋」と呼ばれるようになった。現在の橋は2代目で、平成18(2006)年の改修で著名な照明デザイナーの石井幹子さんがデザインした街路灯が付けられている。恵比寿では東口でえびす像が出迎えてくれる。そして、恵比寿といえばビール。発射音がエビスビールのテーマ曲なのは有名だが、多くのオブジェを駅内で発見することができる。恵比寿を出発して、東急東横線の路線が頭の上を通過していくと。渋谷になる。埼京線や湘南新宿ラインの渋谷駅ホームは山手線のホームより早くあらわれる。
 渋谷を出発すると、すぐ進行(新宿)方向左手に駅前の交差点が見える。多くの人がスクランブル交差点の上を歩き、その先に109と渋谷を代表する景色だ。やがて進行方向左手に東京体育館、そして参宮橋をくぐると原宿になる。原宿駅西(進行方向左手)には明治神宮の広大な森が広がり、原宿前後では森が多い。また、明治神宮に面した部分に普段は使われないホームがあるが、正月3ヶ日だけ外回り線(新宿方面)専用として使用される。原宿を出発すると、進行方向右手に皇族専用の原宿宮廷駅が見える。森から再び建物が増えはじめ、首都高4号線をくぐると、進行方向右手から中央本線の路線が合流してきて、代々木になる。そして、線路の数が急激に増え、進行方向左手に高層ビル群、右手にタイムズスクエアが見えてくると新宿に着く。

 新宿を出発すると、すぐに進行(池袋)方向左手にビルとビルの間から高層ビル群が見える。これは日本を代表する景色かもしれない。また、夜景もよい。同時に左手には靖国通りのネオンが続く光景が目に飛び込んでくる。そうして、進行方向左手に西武新宿線の西武新宿駅が見えてくると、中央本線が分岐していき、建物の高さはだんだん低くなっていく。西武新宿線と並走するように走り、新宿の隣の新大久保になる。中央本線もそれほど離れていないので、駅ホームから中央本線の大久保の駅が見える。平成13(2001)年1月、ホームから転落した人を助けようとして、カメラマンと韓国人留学生の方が犠牲になった。駅構内には2人の行動を称えるプレートが掲示されている。彼らの勇気・行動を見習いたいものである。西武新宿線と引き続き並走し、車窓には、マンションや公園が多くなってくる。
 『鉄腕アトム』のテーマ曲に見送られながら、高田馬場を出発すると神田川を渡る。そして並走してきた西武新宿線が大きくカーブをしながら山手線の路線の下をくぐり、進行(池袋)方向左手に消えていく。高田馬場の次は目白、この周辺には大学が多いので、入試期にはお菓子メーカーの垂れ幕が並ぶ。受験生はきっと勇気付けられることであろう。進行方向左手から西武池袋線の高架が通過して行き、そのままカーブして右手に並走するようになってくる。そうして、デパートやホテルの建物が進行方向左右に続くようになってくると池袋に着く。
 池袋の北通路東口付近には、いけふくろの像があり、多くの通行人を見守っている。池袋から赤羽線と東武東上線がまっすぐに進み、山手線は大きくカーブをして、それらと分かれていく。ここからは列車より高い法面が続き車窓が暗くなる。この区間に国道254号+首都高5号線、そして明治通りの高架をくぐる。これらを通過すると幾分明るくなり、大塚になる。大塚では路面電車の都営荒川線と交差する。また、駅ホームには国鉄時代の列車接近案内があって嬉しい。首都圏でもかなり数が少なくなってきているので。大塚から列車は左にカーブをきるが、これは路線建設当時の日本鉄道が池袋を通さずに田端から目白を目指していた名残だ。進行(田端)方向右手はなだらかな坂が下っていて、このカーブを通過している時、建物が続く光景が広がる。建物が近く、あまり遠くまで見渡せない山の手線内で、私が好きな風景の1つとなっている。
 再び谷の底を走るようになり、頭の上を国道17号線が通過すると巣鴨。そして、駒込になる。駒込からしばらく走ると、山手線唯一の踏切(貨物線を除く)、第二中里踏切を渡る。この踏切の直前で、湘南新宿ラインが走る貨物線が分岐し、大きく左にカーブしながら山手線の路線の下をトンネルで通過し、北へ大宮方面にむかう。このトンネルが山手線唯一のトンネル(中里トンネル)となっている。一方、山手線は右にカーブしながら、谷を駆け下るように走り、東北本線の路線や東北新幹線の高架が見えてくると、田端に到着する。
 列車は、さらに東京方面にむかい、1周運転を続けていく。車窓は、左右それほど差がない。



● 乗りつぶし記録

   乗車回数過多の為、省略。



● 駅舎写真

巣鴨駅(2006.02.) 駒込駅(2006.02.) 田端駅(2005.09.)
池袋駅(2005.09.) 大塚駅(2006.02.) 西日暮里駅(2006.08.)
目白駅(2006.02.) 鶯谷駅(2006.07.) 日暮里駅(2005.06.)
高田馬場駅(2005.12.) 御徒町駅(2006.07.) 上野駅(2005.11.)
新大久保駅(2006.02.) 秋葉原駅(2006.06.) 神田駅(2005.07.)
新宿駅(2005.07.) 代々木駅(2005.07.) 東京駅(2005.07.)
渋谷駅(2006.06.) 原宿駅(1988.) 有楽町駅(2006.08.)
恵比寿駅(2006.02.) 目黒駅(2006.02.) 新橋駅(2006.08.)
五反田駅(2006.02.) 田町駅(2006.08.) 浜松町駅(2006.08.)
   全駅掲載
大崎駅(2006.02.) 品川駅西口(2005.07.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地山手線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい))。



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