久大本線

最終更新日2008.04.15.


● 基本データ

 久大本線(きゅうだいほんせん)は、鹿児島本線の久留米駅から、九州の小京都といわれる日田や全国的に有名な温泉地の由布院を通って、日豊本線の大分に至るJR九州の地方交通線(ローカル線)である。由布院を通るのでゆふ高原線の愛称を持つ。また、豊肥本線とともに九州横断鉄道の役目を果たしている。

 大分市の西(由布院の南)には湯平という温泉地があり、戦前は別府温泉に次ぐ九州で第2位の入湯客を誇る温泉地として知られていた。その湯平までを私鉄の大湯鉄道が、大分から路線を建設しようとしたのが久大本線のはじまりである。大正4(1915)年10月30日、大分市(後に大分と併合)-小野屋間で開業した。更に路線を西に延ばそうとしたが、第一世界大戦やその後の景気の影響を受け路線延長はならなかった。大正11(1922)年12月1日大湯鉄道は国に買収され、同区間は大湯線(だいとうせん)となり、以降の路線建設は国鉄が担当することになった。その後、大正12(1923)年9月29日湯平、大正14(1925)年7月29日北由布(現;由布院)、大正15(1929)年11月26日分水嶺の水分隧道の完成で野矢まで、昭和3(1928)年10月28日豊後中村、昭和4(1929)年12月15日豊後森、昭和7(1932)年9月16日北山田までと、部分開業を繰り返し、昭和8(1933)年9月29日天ヶ瀬まで延伸された。
 一方、久留米からは筑後馬車鉄道を発祥とする筑後軌道が、久留米-豆田までを大正5(1916)年5月10日に開業させたのが路線の祖先にあたる。豆田は日田駅から北約1kmの所にある町で、日田が天領だった時代の町並みが残り重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。しかし、昭和3(1928)年12月24日に鉄道省によって並行して久大線が敷設されると、競合を避ける為、筑後軌道は補償を受ける形で廃線されることになった。以降、昭和6(1931)年7月11日筑後大石、昭和7(1932)年3月12日夜明、昭和9(1934)年3月3日日田まで延伸された。最後に残った日田-天ヶ瀬間が昭和9(1934)年11月15日に開業し、大湯線を編入する形で久大線が全通した。
 昭和12(1937)年6月27日、豊後森の1つ東の恵良から南に延びる宮原線(昭和59(1984)年12月1日廃止)が開業すると、久大線は久大本線に改称され、昭和62(1987)年4月1日、他の路線とともにJR九州に移管されて現在に至っている。

 博多から大分に至る場合、久留米経由久大本線の方(177.2km)が小倉回りで日豊本線(198.5km)よりも距離が短いので、博多-大分間に昭和31(1956)年に快速「ゆのか」が登場したのをはじめ、優等列車として昭和36(1961)年準急「由布」(後に急行)が運行されるなどし、博多-大分・別府間の速達輸送を受け持っていた。しかし、日豊本線電化後はメインルートは日豊本線に移ることとなる。だが、観光路線としての価値は高く、JR移管後は急行「由布」を(JR四国から購入した183系気動車を使うことで)特急「ゆふ」に格上げ、また新型車両を利用した特急「ゆふいんの森」の運行を開始するなど利便性などをはかっている。現在、全区間(博多-大分・別府間)に優等列車として、特急「ゆふ」・「ゆふDX」・「ゆふいんの森」が運転されている。また、シーズンには由布院-南由布間でキハ58系気動車が牽引するトコッロ列車(その内部)が運行されている(時には、大分-由布院間)。




久留米-大分間 141.5km

※ 特急が2時間おきに運転されている他、(だいたい日田駅・由布院駅で運行系統が分かれる)普通列車も1〜2時間
おきに運転されているが、天ヶ瀬-豊後森間は本数が少なくなるなど、乗りつくしにはやや注意が必要。



[車窓の楽しみ方]
 久大本線の始発久留米の駅前には大きなからくり時計がある。これは、久留米が生んだ発明家「日本第一細工師」田中重久翁の生誕二百年を祝い、その業績を顕彰するために作られたものだそうだ。さて、久留米を出発した車輌は、鹿児島本線ととも南に向け出発する。約2kmほど鹿児島本線と並走し、西鉄大牟田線の高架が見えてくると分岐し、その高架の下をくぐり、東へと向きを変える。
 しばらくは、久留米市街の中を走り、九州自動車道をくぐって御井付近から、進行(大分)方向右手にがあらわれてくる。御井から見える山の上には、筑後の一ノ宮高良神社がある。ここから先、筑後大石までは、進行(大分)方向右手に耳納(みのうの山並みが、左手には筑後川が作り出した筑後平野が広がる。ただ、路線は筑後川から離れ、平野の南端を走るので川を見ることができない。しかし、路線から横、北に向けなだらかに傾斜しているので、筑紫平野の水田地帯や、その先の街並が点状に続く景色が広がるので、気持ちがよい。
 途中、河童の里で知られている田主丸がある。駅では巨大なかっぱが出迎えてくれる。また、駅舎も河童そのものであった。その昔町を開いた菊池丹後は「我極楽浄土楽生」という死生観を持っていた。このうち、楽生(たのしくうまる)をとって田主丸という地名になったのだそうだ。楽生から駅前にはかっぱの楽太郎君が楽しそうに駅利用者を見守っている。また、田主丸から南、耳納山麓一帯には「山苞(やまづと)の道」という"日本の歩きたくなる道500選"にも選ばれた道がある。平成7(1995)年に一般公募で名付けられた道で、「苞」は、ワラに包まれたみやげものという意味があるのだそうだ。
 筑後大石を出ると左右から山が迫ってきて、水田に加えて果樹園が増えてくる。こうして、筑後川を渡り、トンネルが続く区間になる。2つほどトンネルを抜けるとダム(夜明ダム)が見え、その後、進行方向右に移った筑後川とともに進んでいく。ダムがあるからか川幅が広くなっているので景色は広々としている。こうして、日田彦山線との接続駅、夜明になる。接続駅(左;久大本線、右;日田彦山線に分岐している)ではあるが、日田彦山線の全ての列車は、そのまま久大本線を走り、日田を発着とするので、夜明駅は国鉄時代の古い駅標や駅舎が残るなど、まるで時から見放されたような雰囲気を持つ駅であった。もちろん無人駅であるので、駅前の売店が駅事務の代行を行っているようだ。また、九大本線はその昔、博多-大分のメインルートを担っていたので、交換(行き違い)機能のある各駅には、広いスペースが残されている。この夜明駅もその1つ。列車は、やがて盆地状の土地に入っていき、建物が増えてくる。そして、筑後川の支流をいくつか渡ると、九州の小京都日田に着く。

 日田を出発すると、再び谷の中を走るようになるが、今後は筑後川の支流玖珠川(くすがわ)とともにすすんでいくようになる。玖珠川は大きく蛇行を繰り返して遡上し、並走する国道210号線もそれにあわせて走っているが、鉄道は機能上大きく蛇行させることができないので、直線や大きくカーブするようなコースを走るようになる。よって、この区間では川や国道は、線路の下を行ったり来たりするような感じに見える。こうして、天ヶ瀬になる。天ヶ瀬温泉の旅館群は、駅を出て進行(大分)方向左、線路と川の間にあるのが見える。天ヶ瀬からも川と国道は蛇行を繰り返し、杉河内の先まで、それが続く。杉河内を出て、しばらくすると、平地が広がりはじめ、それにあわせて玖珠川の流れもゆったりしたものに変わる。水田が広がる平地の中を走っていくようになるが、進行(大分)方向右手に切り株のような面白い形の山が見えてくるが、その名もずばり伐株山というのだそうな。こうして、豊後森になる。
 豊後森は童話の里なのだそうで、桃太郎をはじめ多くのキャラクターを駅ホームで見ることができる。豊後森のお隣恵良から南へ肥後小国まで宮原線が走っていた。この列車は豊後森を発着としていて、その為か駅構内には機関区の転車台(ターンテーブル)や扇形車庫の跡が残る。豊後森からは、進行(大分)方向右に旧線跡とともに走り、恵良を出ると旧線の築堤は途切れ途切れに山の中へ消えて行く。
 ここから、川を何度か渡り、街並が見えると豊後中村。豊後中村から先は、玖珠川の支流野上川に沿って進んでいく。野矢の先には、分水嶺の下を走る水分トンネルがあるが、それにむかって進んでいくので、ますます谷は深くなり杉林の中を突っ切るように列車は走っていく。水分トンネルやその後長いトンネルを幾つか越えると、線路は下りになり、車窓に棚田などが見えるようになっている。また、分水嶺を越えたので川の流れが変わるので面白い。急な勾配を駆け下るようになると、全国的に知られた温泉街、由布院の市街が広がる。線路は⊃の字で由布院を包み込むように走っているので、⊃の字の中に広がる水田地帯などが見渡せるので楽しい。こうして、⊃の字の底に位置する由布院に到着する。

 由布院では木製駅標がお出迎え。駅名は由布院、町の名は湯布院、この違いはどうしてなのか調べたかったが、調べる時間は得られなかった。駅構内で足湯を楽しむことができるが、是非、街中に出ることもお勧めしたい。温泉を楽しむことができるのはもちろん、天気がよいと美しい由布岳が望める場所が街中に沢山あるからだ。馬車(駅で予約)でのんびり揺られるのもよいが、レンタサイクルなどで街中をまわるのもよい。温泉街は、駅東南東に広がり、由布岳は南西の水田地帯からがよい。線路際に行くと列車が走るのとともに楽しむことができる。

 由布院を出発すると、大分川やそれが作り出した平地の中を進んでいく。南由布からは谷の中に入っていき、大分川とともに谷を駆け下っていく。湯平付近からは河岸段丘の谷が広がるようになる。川は進行(大分)方向右に流れているが、谷の底にあるので見えないが、列車は段丘面の上を走るので、気持ちの良い風景が鬼瀬付近まで続く。そして、どんどん標高が下がっていくので、それに伴って段丘の幅が広がっていくので面白い。途中、庄内では鬼神楽が有名なのだそうで、駅の表札にも鬼が見える。そして、大分の西に広がる山々に差し掛かる。ここでは、川も国道も近づいてきて、大きく蛇行しながら一緒にを下っていく。再び川が見えてくると向之原。ここから台地状の土地を走るようになり、やがて家屋が増えてくるようになる。こうして豊後国分になる。天平13(741)年に出された国分寺建立の詔によって全国に国分寺が建てられることになったが、豊後の国の国分寺は、名が示す通り、ここ豊後国分に建立された。再建はされていないが、建物の土台などが復元されている。また、近くには大分市歴史資料館があり、駅から徒歩3分ほどの場所にあり近い。また、歴史資料館は車窓からも見ることができる。大分川の支流賀来川を渡ると賀来。ここから住宅街の中を走るようになり、大きく左にカーブし、日豊本線と合流すると、終点大分に到着する。
 車窓は、左右それほど差がないが、夜明から先は、進行(大分)方向右側が楽しい。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.08.17. 北九州攻略作戦で、久留米→日田→夜明間に乗車。
  ・2008.03.31. 九州完乗作戦で、南久留米→大分間に乗車。完乗達成。(および、JR九州完乗達成)




JR九州制覇記念



● 駅舎写真

久留米駅(2006.08.) 南久留米駅(2008.04.) 久留米大学前駅(2008.04.)
御井駅(2008.04.) 田主丸駅(2008.04.) 筑後吉井駅(2008.04.)
うきは駅(2008.04.) 夜明駅(2006.08.) 日田駅(2006.08.)
由布院駅(2008.04.) 庄内駅(2008.04.) 小野屋駅(2008.04.)
向之原駅(2008.04.) 豊後国分駅(2008.04.) 賀来駅(2008.04.)
大分駅(2003.03.)



● おすすめ撮影ポイント

 撮影ポイントは、JR線路線別撮影地久大本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)
 他、玖珠川(くすがわ)を渡る列車が撮影できる豊後中川-天ヶ瀬間など。



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