片町線

最終更新日2012.02.08.


● 基本データ

 片町線は、木津駅から生駒山地の北側を周るように走り、大阪環状線の京橋駅に至るJR西日本の幹線路線である。大阪圏の重要な通勤・通学路線だが、京田辺市にある関西文化学術研究都市へのアクセス路線でもある為、学研都市線の愛称がある。
 明治28(1895)年8月22日、浪速鉄道によって片町-四条畷間が開業。浪速鉄道は、生駒山地北端の飯盛山西麓にある野崎観音(慈眼寺)・四條畷神社への参詣鉄道として設立されたもので、日清戦争下であったが明治27(1894)年6月よりはじまり、工事は1年程で完成している。
 古来より伊賀山地で切り出された木材は、片町線と同じように生駒山地の北麓を流れる木津川と淀川の水運を使って大阪湾に運び出されていた。浪速鉄道の片町-四条畷間が完成したことを受け、木材を早く確実に運搬できるの路線が求められた。木津から四条畷間を軽便鉄道で結ぶ鉄道として、城河鉄道が明治28(1985)年8月26日に発足した。しかし、城河鉄道は、兼ねてより名古屋-大阪間の路線建設を目指していた関西鉄道(本社;四日市)によって、明治30(1897)年2月9日浪速鉄道とともに合併されてしまう。
 関西鉄道は、明治30(1897)年11月11日加茂(木津の1つ東)まで開業。以降は関西鉄道によって路線建設が進められることになった。明治31(1898)年4月12日四条畷-長尾間が、同年6月4日新木津(のちに廃止)まで延伸、9月16日木津まで開業。奈良鉄道(現;奈良線)に接続した。11月18日加茂-新木津間、網島-放出間がそれぞれ開業。大阪の網島-四條畷-名古屋間に直通列車の運転が開始された。明治34(1901)年12月21日、網島から桜ノ宮まで延伸している。
 明治33(1900)年6月、湊町(現;難波)-奈良間などに路線を持っていた大阪鉄道を関西鉄道が合併、名古屋駅-奈良駅-湊町駅が本線となり、明治40(1907)年8月21日奈良付近の路線を変更・廃止をし、現在の路線の形が完成した。同年10月1日に関西鉄道が国有化され、湊町(現;難波駅)-奈良-名古屋が関西本線になり、木津-桜ノ宮間が桜ノ宮線、放出-片町間が片町線と命名された。大正2(1913)年11月15日、放出-桜ノ宮間が廃止されたことで、木津-片町間が片町線となった。
 旅客線の他に、貨物線支線の建設・廃止が繰り返され、現在は城東貨物線と呼ばれる鴫野-吹田間、放出-八尾・平野間の貨物支線を持つ。この貨物線支線を、大阪外環状線として旅客線化する工事が、第三セクター会社の大阪外環状鉄道によって進められている。
 平成9(1997)年3月8日、JR東西線開業により、JR宝塚線・JR神戸線からの直通運転を開始された。同時に京橋-片町間が廃止、線名の由来となった片町駅が消えることになった。



木津-京橋間 44.8km

※ 数多くの本数が運転されているので、乗りつぶしは容易。
ただ、松井山手-木津間が30分に1本と本数が少なくなるので注意が必要。



[車窓の楽しみ方]
 木津駅を出発すると西木津。ここから大きく北に向きを変え、木津川に沿って走るようになる。しかし、全線を通して木津川を望むことはできない。また、西木津から京田辺までは、近鉄京都線と仲良く並走する。
 京田辺から、しばらくは田園地帯を残す風景が見られるが、京阪交野線をくぐる前後から、家屋やマンションが増え、大阪圏のベッドタウンに入っていくことが実感できる。こうして、多くの建物を見ながら終点京橋に到着する。
 列車がロングシートなので、(座っていると)車窓は十分に楽しむことはできない。



● 乗りつぶし記録

  ・2006.03.24. 京都研修旅行で、木津→京橋間に乗車。完乗達成。
  ・2008.07.27. 近畿完乗作戦2で、放出→京橋間に乗車。
  ・2011.08.01. 南紀遠征で、河内磐船→京橋間に乗車。



● 駅舎写真

木津駅(2005.08.) 同志社前駅 松井山手駅
河内磐船駅(2011.08.) 放出駅(2008.07.) 鴫野駅(2008.07.)
京橋駅(2011.03.)



(ともりんが)行ってみたい撮影ポイント

 近郊路線なので、撮影地は少なそう。



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