舞鶴線

最終更新日2008.09.22.




綾部-東舞鶴間 26.4km

※ 距離も短く普通列車も1時間に1本ほど運行されていて、また特急もあるので、乗りつくしは容易。
● 基本データ

 舞鶴線は、山陰本線の綾部から東舞鶴に至るJR西日本の地方交通線(ローカル線)である。東舞鶴で小浜線に接続する。過去に支線として舞鶴港線(西舞鶴-舞鶴港間)や、出征者や戦場からの引揚者を運んだ中舞鶴線(東舞鶴-中舞鶴間)などがあったが、舞鶴港線が昭和60(1985)年3月14日に、中舞鶴線が昭和47(1972)年11月1日に廃止されている。
 もともと重要な商港であった舞鶴に、海軍の鎮守府が設置されることが事が明治22(1889)年に閣議決定された(明治34(1901)年開庁)。ここに京都と大阪から鉄道路線を建設しようと、京都からは京都鉄道が明治26(1893)年に、大阪からは阪鶴鉄道が明治30(1897)年2月16日に設立され、両社が路線の建設を進めることになった。
 京都鉄道は、明治32(1899)年8月15日に京都-園部間が、阪鶴鉄道は同年7月15日に神崎(現;尼崎)-福知山南口(後に福知、現;廃止)まで開業させたが、舞鶴まで届くことはなかった。福知山からは、阪鶴鉄道の系列会社由良汽舟商社が汽船を運行しており、由良川を下って舞鶴まで約3時間で結び、一応大阪-舞鶴の連絡は果たしていた。しかし、日清戦争後の三国干渉(明治28(1895)年)などにより、対露戦争が避けられないものと考えた政府は、軍部からの要請もあり舞鶴からの路線の整備を急ぐことになった。明治37(1904)年11月3日福知-福知山間、同時に福知山-綾部-新舞鶴(現;東舞鶴)間を官設で開通させ、同区間が阪鶴鉄道に貸与する形で運行がはじまった。
 明治40(1907)年8月1日、阪鶴鉄道と京都鉄道が国有化され、明治42(1909)年10月12日、神崎(現;尼崎)-福知山-新舞鶴(現;東舞鶴)間が阪鶴線と命名された。明治45(1912)年3月1日、綾部-新舞鶴間を分離、この区間を舞鶴線に改称、同時に残った阪鶴線区間が福知山線となった。ちなみに、京都-園部間は京都線となり、明治43(1910)年8月25日に綾部まで延伸し、後に山陰本線となった。
 福知山、綾部から普通列車が運行され、また京都から特急が東舞鶴まで乗り入れてくる、舞鶴に国や京都府の出張官庁、また企業の支店・営業所などが集中している事から特急はビジネス利用が多く、普通列車は通学等の利用が多くなっている。

[車窓の楽しみ方]
 綾部を出発した列車は東に進み由良川を渡る。渡ると進路が北東に変わり、のんびり水田地帯を走っていくようになる。やがて国道27号線が進行(東舞鶴)方向右から近づいてきて並走するようになる。綾部から2つ目が梅迫。ここには足利尊氏誕生の地安国寺があるが、生母上杉清子の故郷なのだそうだ。梅迫を出ると進行方向左側に生母の墓とおぼしきものが見られる。
 国道27号が左に移ると谷が深くなっていく。やがて、舞鶴自動車道が頭を上を通過していくと、進行(東舞鶴)方向左手に黒谷和紙の里が見える。谷を越えると、国道が再び右に移り、左には西舞鶴市内に流れる伊佐津川と共に舞鶴市内にむかって谷を下っていく。進行方向左手後方からタンゴ鉄道が近づいてきて、タンゴ鉄道の車輌基地が見えるようになってくると西舞鶴。西舞鶴から山を1つ越えて、再び市街地が広がり出すと高架になり、終点東舞鶴に到着する。
 車窓は、進行(東舞鶴)方向左右それほど差がない。左がやや楽しいかもしれない。



● 乗りつぶし記録

  ・2000.03.18. 近畿旅行で、東舞鶴→西舞鶴間に乗車。
  ・2008.07.20. 近畿完乗作戦で、綾部→東舞鶴間に乗車。完乗達成。



● 駅舎写真

綾部駅(2000.03.) 淵垣駅(2008.07.) 梅迫駅(2008.07.)
真倉駅(2008.07.) 西舞鶴駅(2000.03.) 東舞鶴駅(2000.03.)

全駅掲載



(ともりんが)行ってみたい撮影ポイント

 距離も短いので、撮影地は少なさそう。



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