赤穂線

最終更新日2012.02.15.


● 基本データ

 赤穂線は、山陽本線の相生駅から瀬戸内海に沿って同線の東岡山駅までを結ぶJR西日本の地方交通線(ローカル線)である。始発の相生発はあるが、終点東岡山止まりはなく、全ての列車が岡山か、その先まで走る。山陽新幹線を挟んで山陽本線と対称な路線を走るが、これは呉線と同じように山陽本線の補助的な性格を持っているからである。
 戦後の高度経済成長期に山陽本線の旅客需要は急増、また同線の上郡-三石間間には船坂峠とよばれる難所を抱えていた為、山陽本線の代替線として建設されたのが、赤穂線であった。こうして、昭和26(1951)年12月12日相生-播州赤穂間が開業した。昭和33(1955)年3月25日伊部間まで、そして、昭和37(1962)年9月1日東岡山まで延伸され、全通した。それまでは、有年-播州赤穂間に赤穂鉄道と、西大寺-後楽園間に西大寺軌道(後の西大寺鉄道、両備バス)という二つの軽便鉄道が存在したが、両社の路線とも赤穂線の開業に伴い廃止された。
 そして、電化工事も早くから着工され、全通より早く昭和36(1961)年3月30日に相生-播州赤穂間が電化された。しかし、赤穂線の全通時点で山陽本線の電化及び輸送力の増強が完了したので、本来の目的であった「山陽本線の輸送力を補う代替路線」から「地域住民のためのローカル線」という役割に代わり、昭和44(1969)年8月24日に全線が電化されても、現在に至るまでその役割は変わっていない。ちなみに話はずれるかもしれないが、戦前の新幹線計画である弾丸列車計画では、赤穂線に並行して同幹線を建設する予定であったといわれている。
 山陽本線の補助的な路線という歴史より、山陽本線の相生-東岡山間60.6kmに比べて、3.2kmほど距離が短くなっている。だが、最高速度が遅い、単線のため列車交換があることから山陽本線経由に較べ、20分ほど所要時間が長くなっている。しかし、山陽本線の同区間の運行本数は少ないので、時間帯によっては山陽本線を使うよりも早く移動できる場合もある。
 播州赤穂駅を境に東は大阪近郊区間、西は岡山管轄路線と運転系統が分かれており、全線を通して運転される列車はほどんどない(上り1本のみ)。よって、東からは京阪神から播州赤穂まで乗り入れてきたり、西へは岡山止まりだけでなくその先三原・糸崎・徳山や、伯備線に乗り入れ備中高梁や新見・米子まで行く列車があり、その運行形態は多様である。



相生-東岡山間 57.4km

※ 相生-播州赤穂間・長船-東岡山間は30分に1本、播州赤穂-長船間は
1時間に1本となるが、距離もそれほど長くないので、乗りつくしは容易。



[車窓の楽しみ方]
 相生を出発した列車は、山陽本線・山陽新幹線の路線と分かれ、大きく左にカーブし、やや長いトンネルに入っていく。トンネルを抜けると西相生、まだ相生の市街地が続いているが、周囲に山が迫ってくる。再び、トンネルになり抜けると水田が広がってくる。そして、千種川が渡ると坂越になる。このあと、寒河(そうご)、日生(ひなせ)、香登(かがと)、邑久(おく)と赤穂線には難読駅が続くが、坂越はさこしと読む。坂越からもしばらく水田が続くが、住宅が増えてくると播州赤穂に着く。

 元禄14(1701)年2月4日(旧暦)江戸城松之廊下で、赤穂藩主浅野匠頭長矩が吉良上野介義央を切りつけるという刃傷事件が起った。幕府は喧嘩両成敗の原則に反し、浅野匠頭に切腹、吉良上野介にはおとがめなしという裁定を下した。これに不満を持つ大石内蔵助良雄ら赤穂旧藩士達が、翌元禄15年12月14日(旧暦)に江戸本所の吉良邸への討ち入りを果たした。というのが、有名な忠臣蔵(赤穂事件)である。播州赤穂は、その片方の舞台。駅構内には、畳2帖分はありそうな額縁に入った浅野匠頭大石内蔵助の辞世の句が、そして、駅前には采配を振る大石内蔵助の銅像などが出迎えてくれるので、忠臣蔵の世界にトリップすることができる。しかし、時間があれば、是非赤穂城(写真は大手門)まで歩いて欲しい。城内には、大石邸大石神社があり、大石神社の参道には石像などがあり赤穂藩士の気持ちなどを偲ぶことができる。また、その徒歩15分位の道のりに、赤穂市内の古い風情のある街並や歴史的な旧跡などが多い。中でも、浅野匠頭の刃傷事件を一刻も早く知らせようと早水藤左衛門と萱野三平が江戸から4日半かかって赤穂城下に入った時、利用したという息継ぎの井戸が市内に残されていて面白い。そして、赤穂と言えば塩田があったが有名である。赤穂城には、塩蔵を模した歴史博物館がある。

 播州赤穂を出発すると住宅街の中を走るが、すぐにそれも切れ、車窓の左右に工場が姿をあわらす。赤穂港の入江を渡る橋からは、赤穂発電所などの工業群を見渡すことができる。ここから先は、山の中に走りトンネルが続くようになる。時より水田などが見られるが、トンネルとトンネルの間にわずかな時間に、って感じである。このように赤穂線は山陽本線より海側を走るが、殆ど海を望むことができない。そんな中で、海が望める数少ない区間が日生周辺である。駅到着直前には、進行(岡山)方向左手に小豆島行のフェリーなどが見ることができる。また、入江の対岸にはひなせの文字が駅を見下ろしている。
 日生からは再び山の中を走るようになり、伊里を挟んで左右に大きくカーブすると山陽新幹線の路線が近づき、備前片上の街並がはじまる。片上からは、以前同和鉱業片上鉄道が和気まで運転されていたが、平成(1991)3年7月1日に廃止されて以降、その面影を探すのは難しい。ちなみに、片上鉄道は吉井川の川舟に代わり柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を片上港まで輸送する目的で建設され、大正12(1923)年1月1日に開業。その後、旅客営業も行われたが、鉱山の閉山、沿線人口の減少などで廃止に至っている。
 片上から、しばらく山陽新幹線の高架とともに西に進んでいくが、伊部の先までは新幹線がトンネル区間などを走る為、あまり並走しているという感じではない。伊部は駅前に岡山県の備前陶芸美術館などがあるなど備前焼の里。伊部を前後して、陶芸用のレンガでできた煙突を多く見ることができる。伊部から香登まで山陽新幹線と並走し、香登を出ると赤穂線の路線は左に大きくカーブし、再びのんびりとした水田地帯の中を走るようになる。こうして、日本刀の「備前長船」で有名な長船に、そしてその隣は邑久。ここには大正時代の叙情画家竹下夢二の生家があることでも知られ、駅東南東約2kmの所に夢二の美術館がある。
 吉井川を渡ると、西大寺。奇祭「はだか祭り」が行われることで有名な西大寺(観音院)は駅南1kmにある。ここから、路線は左右に大きくカーブし、国道250号線の高架の下をくぐると山陽本線の路線が合流し、終点東岡山に到着する。
 車窓は海が見られるので、進行(岡山)方向左手が面白い。ただ、(上記にも書いたが)海が見られる時間は少ない。



● 乗りつくし記録

  ・1999.03.14. 山陰旅行で、東岡山→相生間に乗車。完乗達成。
  ・2008.03.28. 九州完乗作戦で、相生→東岡山間に乗車。往復完乗達成。
  ・2011.03.26. 関西撮影旅行で、東岡山→相生間に乗車。
  ・2011.08.22. 九州遠征で、東岡山→相生間に乗車。



● 駅舎写真

相生駅(2006.03.) 播州赤穂駅(2008.03.) 日生駅(2008.03.)
西大寺駅(2008.03.) 東岡山駅(2008.03.)



(ともりんが)行ってみたい撮影ポイント

 日生駅を俯瞰できる場所や、備前米の産地を走る列車が撮影できる西相生-坂越間など。



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