バイオリンに亀裂が入り、弓が折れてしまった。
末長く付き合っていこうと思ったのに、不甲斐ない持ち主のせいで短命だったね、ごめん…。新しいのを買うと○十万の出費か。ゲンナリ…。
という夢を見た。本気で焦った。
横浜の某楽器店へ点検してもらいに行きました。店内は親子連れで賑わっており、点検の順番を待つこと30分。職人氏に見せたところ、点検のために手際良くバイオリンの部品が解体(?)されてゆく…今までバイオリンの構造を良く知らなかったのですが、バイオリンの表面にくっついてる部品はかなり簡単に取り外せる部分が多いようで(もちろん素人には無理でしょうが)、あまりの外しっぷりと物珍しさに口をポカ〜ンと開けて眺めてしまいました。職人氏曰く「問題はなさそうだけど、駒(部品の一部)がゆがんでる」ということでメンテナンス開始。木でできた小さい板のような部品で、本来は平坦でなければならないのに、使っているうちにゆがんで(たわんで)きてしまったそう。どう直すのかと思いきや、いきなり水の入った霧吹きが登場。「???」と思っていると、駒に水を吹きかけた後、ヤスリでゴリゴリと削って、ゆがんだ駒をきれいな平面に直しているもよう…。
無事にメンテナンスが完了したのですが、驚いたことにお代はタダ。楽器店のメンテナンスって、簡単なものならどこもタダなんだろうか…。
ともかくこれで、安心して練習ができます。ありがたや…。
飲み会後に入った某コーヒー店で、私が興味本位で激辛「地獄のカレーパン」を注文してしまったがために、皆様を激辛地獄へ道連れすることとなってしまい、誠に申し訳ありませんでした…。皆様その後体調はいかがでしょうか。自分は激辛料理が好きだと思っておりましたが、アレは自分の能力をはるかに超えていました。
来週は、私が通っているヤマハ音楽教室の弦・管楽器の生徒を総動員した、オーケストラ形式の発表会。難易度も何も考えずに、ごく気軽な気持ちで参加申し込みをしたら、とんでもなかった…年に1回ある通常の発表会だと、先生が毎回のレッスンの中で懇切丁寧に指導をしてくれるので今回もそのつもりで油断をしておりました。全体練習は3回だけ、音やら指づかいやらは後は全部自分で練習しとけ、と。いや、本来は、普段のレッスンや発表会だって、本来は自分でどんどん積極的に練習するべきだと思うんですけどね。ともかくナメきって参加した初回の練習では、文字通り何も弾けずに恥をかきました。
自分が使っている物には不思議と愛着がわくもので、最近、バイオリンが生きてるような気がすることがあります。機嫌が悪くて全然鳴ってくれなかったり、それでも付き合いはじめて3年経って、互いに少しずつ分かり合えてきたような気がしたり。もちろん、鳴ってくれないのは気候が悪かったり、私自身が疲れてることが原因であって、バイオリンが何か物事を考えて機嫌が悪くなってるわけではない、ということは分かってます。それでも、この発表会前の危機的状況に至って、唯一一緒に戦ってくれる戦友のような気がして仕方ないのです。
_ ぱ [いやいや。道具は生きてまっせ。 今、目の前に小1から使ってるハサミがありますが.... あらゆる工作はこれで作りま..]
バイオリンの練習・・・は、平日の夜はなかなかできないので、土日にやっています。始めてから3年立っています、あんまり上達している気がしません。習い事にありがちですが、「レベルが上がっていくから」という名目で、レッスン料は毎年値上がっています。去年に比べて月額+1,500円なんですが、そんなに上手くなっていないなあ(笑)
最近、自分のバイオリンを弾いていて気付いたのですが、どうも雑音が(奏者が下手だから、ということでなくて、本当の雑音)するような。思えば、3年前に買って以来、健康診断やメンテナンスを全然していない・・・。
犬にとっての幸せってなんだろう。犬に、幸せ、不幸せという概念はないのか。何を言ってるんだろう、私。何が言いたかったんだっけ。
私が幸せだったってことを言いたかったのかな。18年間、本当に毎日、そこにいて当たり前の存在になるまで毎日、笑ったり怒ったりした日々があって、今の私がいるんだろう。幸せだった。
飼い始めたら、最後まで飼い続けるのはもちろん、悲しさを背負うことも飼い主の責任なのだろう。脈絡のない文章ですみません。
なんでこんなに悲しいんだろう。世の中に犬はたくさんいるのに、たった一匹のこの犬が、なんでこんなに大切なんだろう。
_ 生まれてから今までずっと実家に住んでいましたが、明日から新居に引っ越します。生まれて初めての引っ越しで、ここ2か月くらいバタバタしていたため、実家を離れる実感も不安も感じることもなくここまで来ました。気がかりは、両親や妹が寂しがるであろう事です。もう20代半ばですから、親元を離れることは珍しいことでも何でもありませんし、いつかは実家を出ていく(いつまでも実家にいたら、かえって困る)ことは家族も十分分かってる事とも思いますが、今まで毎日一緒にいた人間がいなくなるのが寂しい事には変わりないし…涙もろい母が、私の不在に慣れるまで泣きはしないか、とか、友達のような関係の妹だって、遊び相手がいなくなって寂しいだろうなとか、気付くとそんな心配ばかりをしています。思い浮かぶのは、日頃の何という事もない風景で、例えば母のパート先で起こった面白い事や愚痴を夜に母から聞いたりだとか、妹と漫画を貸し借りし合ったり、一緒にテレビを見てツッコミを入れたりだとか、父が作ってくれた手料理だとか、今まで私を取り巻いていた、本当に何の特別なこともない出来事が大切に感じられて、その生活に別れを告げることを寂しがっているのは私の方なのかもしれない。家族が寂しがりはしないだろうかと心配する姿勢を取ろうとするのは、自分が寂しがっていることを自覚したくなくて、自分は家族の心配ができるほど心に余裕がある人間、寂しがりではない人間だと思いたいだけなのではないだろうか。
久々に「…っ、聴いたぞーっ」とお腹いっぱいになったコンサートでした。最近N響を聴きに行くたびに、N響の演奏と相性が悪い気がしてたんで…本日は↓
東京交響楽団
マーラー/交響曲第七番「夜の歌」
シューベルト/イタリア風序曲第二番
リスト/死の舞踏
指揮:飯森範親
ピアノ:岡田博美
サントリーホールで。すみません、すみません、シューベルトとリストは記憶がありません…私は今日はマーラーを聴きにきておったのです。交響曲第七番は、あんまり演奏会で取り上げられない曲目なのだそうです。私は、最近この曲が好きになりまして、しかもいま一番好きな曲なので、もっとたくさんの演奏を聴き比べてみたいんですが…
生で聴くのは初めてでしたので、とても楽しみにホールへ行きました。両隣に座ってたおじ様は、二人とも第一楽章から第五楽章まで指でリズムを取りっぱなしでした(笑)好きなんだなあ。この曲はあんまり演奏されない、というのが本当なら、いざ演奏されるコンサートがあると、マーラーおたくや第七番おたくが大勢馳せ参じるのでしょうか…
ちなみに演奏は大満足でした。こういう大編制・大音量の曲は生で聴くと感動もひとしお。という事を差し引いても、冒頭から「おおっ」と思わず身を乗り出してしまう演奏はこれが初めてです。音の洪水に80分間、脳が覚醒しっぱなし。
演目は以下のとおり。
指揮:デーヴィッド・ジンマン
ヴァイオリン:リサ・ヴァティアシュヴィリ
ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調
シューベルト:交響曲第8番ハ長調「ザ・グレート」
すみません、疲れがたまってて、コンサート中かなりの時間寝てしまいました…。ショスタコーヴィチの曲は実は聴いたことがなかったのですが、うーん、取っつきにくかった。修行が足りないんでしょうか。「楽しい音楽」を目的に作ったわけでもなさそうなので、仕方ないのかもしれませんが。
3日といえば箱根駅伝復路ですね。1㎞すら完走できない私は、苦しみつつも走り抜く選手たちに尊敬の念を抱きつつ、展開にハラハラしつつ…結局は母校が出てるわけでもなし、どこが優勝しても関係ないや…(心が狭い?)。そしてなぜか、くま家で駅伝を見ております。鍋をつついております。本日はくま家の御家族ご招待で、フグチリをご馳走になったのでした。とてもプリプリで美味しかったのです。昔食べた時は子供だったせいか、ふぐを美味しいと思えず、この年になるまで極力食べるのを避けていたのですが、久々に食べたらナルホドこれは美味しい。味覚が変わったようです。
先日スカパーのアニマックスで「銀河鉄道999」特集(連続放送企画)を放送しており、テレビ版の10話〜14話あたりを見たのです。実はこれが初見でして、どんな話なのか知らなかったのですが、こんなに(いい意味で)重いテーマを含む話だったとは。続きが気になったのですが、アニマックスでは14話までしか放送してくれないみたいなので、う〜ん…と、くまさんに言ったら、くまさんの弟さんが持ってる劇場版999のDVDを貸してもらえることになりました。そして本日受け取り〜。有りがたくお借りします。
そして999鑑賞
最後までちゃんと見て、やっとスッキリしました。でもまだ、上手く語れるほどの感想が醸成されてないので、ここで語るのはもっと見てからにしよ。劇場版の続編も借りて来たので、これも見なきゃ。ちなみに、鳥キャラ「トリさん」ってすごく可愛いですよね?くまさんには可愛さを否定されたんですけど…
_ 通りすがりのあいあん [「けいおん!」にも楽器を調整するくだりがありましたな。大事にしてあげてください。 >地獄カレーパン ネタができたので..]