北陸本線
最終更新日2012.02.08.
● 基本データ
北陸本線は、東海道本線の米原から福井・金沢・富山など北陸地方の主要都市を通り、信越本線の直江津に至るJR西日本の幹線路線である。敦賀-敦賀港間に通称敦賀港線とも呼ばれる貨物支線を持つ。近畿圏から東北・北海道を結ぶ日本海縦貫線(湖西線-北陸本線-信越本線-羽越本線-奥羽本線)の重要な役割を担っている。
路線は全線が官営鉄道として建設されることになり、明治15(1882)年3月10日長浜-柳ヶ瀬間、洞道口-金ヶ崎(現;敦賀港)間が開業した。柳ヶ瀬-洞道口間は徒歩で連絡されていたが、明治17(184)年4月16日の柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、柳ヶ瀬-洞道西口間の徒歩連絡は廃止された。明治15(1882)年5月1日に長浜-大津間に就航した琵琶湖水運(鉄道連絡船)を利用して、関西圏から長浜へ、そこから鉄道で敦賀港まで行き、ロシアなど大陸へ乗客は目指した。
明治22(1889)年7月1日、琵琶湖の東岸を走る路線として米原-長浜間が開業、明治28(1895)年4月1日の線路名称制定で、米原-敦賀-金ヶ崎間が北陸線となった。 その後、敦賀から北東へ路線建設が進み、明治29(1896)年7月15日に福井まで延伸された。敦賀-今庄間は険しい山地があったため、今より海側のコースで建設された。その為、急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッチバックが連続する難所となった。難所ではあったが、路線風景の美しさは鉄道唱歌にも詠われたほど。この難所は、昭和37(1962)年6月10日の北陸トンネルの開通によって解消されている。明治30(1897)年9月20日に小松、明治31(1898)年4月1日に金沢、同年11月1日に高岡、明治32(1899)年3月20日に富山まで延伸した。しかし、この時の路線は呉羽から北に向かって∩に進み、富山駅は市街地の西側(田刈屋(たがりや)地区)に設けられた。なぜそのような形になったのかは、富山市街地中心部を流れていた神通川を市街の西に流す(神通川馳越(はせこし)線の)工事が進行中であったからだ。この神通川付け替え工事が完了し、明治40年6月に起工した神通川に架かる鉄橋や呉羽トンネルが完成した明治41(1908)年11月16日に呉羽-富山間の経路が変更され、新しい富山駅が現在の地に移転した。
富山から東へは、日本有数の断層帯フォッサマグナ(糸魚川-静岡構造線)が控えている為、工事の難航が予想され、富山からは富山線として、直江津からは信越線として、糸魚川の東西から路線が建設されることになった。明治41(1908)年11月16日に富山-魚津間が開通、そして明治43(1910)年4月16日に泊まで、明治45(1912)年10月15日に青海まで延伸された。一方、直江津からは明治44(1911)年7月1日に直江津-名立間が、明治45(1912)年12月16日に糸魚川まで延伸された。親不知などある糸魚川-静岡構造線の北端部である青海-糸魚川間が大正2(1913)年4月1日についに開通し、米原-直江津間が全通した。この際、信越線糸魚川-直江津間が編入される形で北陸本線が誕生した。
全通してからは輸送力増大の為、勾配緩和や複線化などの路線改良が課題となり、線形の修正としては昭和32(1957)年10月1日に木ノ本-敦賀間が近江塩津経由の新線に切り替えられたことや、前出の北陸トンネルの開通などがあげられる。また、電化・複線化工事も順次進められ、昭和44(1969)年10月1日に全線で工事が完了している。ほぼ全線が交流だが、米原-敦賀間が直流となっている。これは、新快速など京阪神方面との直通運転を目的としたもので、以前は交流だった区間を直流にする転換工事がなされた。工事は米原方面から進められ、平成16(2006)年9月24日に敦賀までが完成した。
北陸地方の主要都市を結んでいるので、各都市の地域輸送や、京阪神圏、中京圏と北陸地方の各都市への輸送も担当している。この為、在来線としては特急列車の運転本数がきわめて多く「特急街道」とも呼ばれることもある。
しかし、平成26(2014)年度には北陸新幹線の長野-金沢間開業が予定され、この際に直江津-金沢間がJRの経営から分離されることになっている。関西圏から北陸本線を通る東北・北海道への長距離列車、特急、貨物列車、そして普通列車の運行がどのようになるのかについて、不安の声があがっている。
米原-直江津間 353.8km
※ 特急列車も普通列車も充実しているので、乗りつくしは容易。ただ、距離が長いので、
(一部の列車を除き)特急及び普通列車の場合は数回の乗換えが必要になる。
[車窓の楽しみ方]
只今、編集中
● 乗りつぶし記録
・1988.03. 友人達と金沢・岡山旅行で、糸魚川→金沢間に乗車。
・1988.03. 同、翌日金沢→米原間に乗車。
・1998.07.18. 富山・美濃旅行で、米原→武生/芦原温泉→富山間に乗車。
・2000.03.18. 近畿旅行で、米原→敦賀間に乗車。
・2004.04.09. 富山・金沢旅行で(北陸にて)直江津→高岡間に乗車。完乗達成。
・2004.04.09. 同、高岡→滑川/滑川→東富山→富山間に乗車。
・2004.04.10. 同、富山→倶利伽羅峠→金沢/金沢→粟津間に乗車。
・2004.04.11. その帰り加賀温泉→金沢/金沢→直江津間に乗車。
・2004.07.31. 福井水害復旧ボランティアに参加する為、米原→福井間に乗車。
・2004.08.01. その帰り、福井→米原間に乗車。
・2004.11.13. 飛騨・立山・黒部旅行で、(しらさぎにて)米原→富山間に乗車。
・2008.07.20. 近畿完乗作戦で、敦賀→越前花堂/越前花堂→福井→近江塩津間に乗車。
・2008.09.07. 新潟・長野旅行で、直江津→筒石→糸魚川間に乗車。
・2008.11.08. JR全線完乗作戦で、直江津→高岡/高岡→津幡/津幡→金沢→高岡/高岡→加賀温泉間に乗車。
・2008.11.09. 同、加賀温泉→芦原温泉/福井→津幡→金沢→直江津間に乗車。
・2009.09.20. 北陸乗りつくしで、直江津→富山/魚津→富山間に乗車。
・2009.09.21. 同、富山→高岡/西高岡→福井/福井→西金沢/西金沢→金沢間に乗車。
・2009.09.22. 同、金沢→加賀笠間→倶利伽羅峠→高岡間に乗車。
・2009.09.23. 同、高岡→直江津間に乗車。
・2010.07.25. 近畿乗りつくしで、近江塩津→敦賀/余呉→近江塩津間に乗車。
・2011.03.26. 関西撮影旅行で、近江塩津→加賀温泉間に乗車。
・2011.03.27. 同、加賀温泉→森田→大聖寺→米原間に乗車。
・2011.08.01. 南紀遠征で、近江塩津→南今庄→近江塩津間に乗車。
● 駅舎写真
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米原駅(2006.03.)
| 木ノ本駅(2000.03.)
| 余呉駅(2010.07.) |
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近江塩津駅(2008.07.)
| 新疋田駅(1998.07.)
| 敦賀駅(2000.03.) |
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南今庄駅(2011.08.)
| 武生駅(2008.07.)
| 鯖江駅(2008.07.) |
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越前花堂駅(2008.07.)
| 福井駅(2008.07.) 旧駅舎
| 森田駅(2011.03.) |
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芦原温泉駅(2004.03.)
| 加賀温泉駅(2008.11.)
| 小松駅(2009.09.) |
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加賀笠間駅(2009.09.)
| 西金沢駅(2009.09.)
| 金沢駅(2008.11.) 旧駅舎 |
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津幡駅(2008.11.)
| 倶利伽羅駅(2003.04.)
| 石動駅(2008.11.) |
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西高岡駅(2009.09.)
| 高岡駅(2008.11.)
| 富山駅(1988.03.) |
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魚津駅(2009.09.)
| 親不知駅(1998.03.)未下車
| 糸魚川駅(2008.09.) |
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能生駅(2008.09.)
| 筒石駅(2008.09.)
| 直江津駅(2006.01.) |
● おすすめ撮影ポイント
撮影ポイントは、JR線路線別撮影地北陸本線にて紹介している。(このページに戻る際は、ツールバーの"戻る"を使って下さい)。
他に、チューリップと立山連峰と一緒に撮影できる東滑川-魚津間、日本海をバックに撮影できる越中宮崎-市振間など。
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