生涯の極短い期間がんばった人が長期間に渡り利益を手にする... というのは 歴然とした事実。これが通用しない社会というのは、すなわち戦争状態か ジンバブエみたいな破綻国家 かのいずれかでしかない。
ゆえに「子供には勉強するさせるしかない」という話になるのは...極当り前の話。 当然塾にも行かせるだろうさ。
DQNにはこの理屈がわからないようだ。教育に投資するという概念がない。 かくして理屈のわからないDQNは、さらに理屈のわからない子供を育てる。DQNは再生産される。 投資は事業計画通りにいけば回収できるわけで。ギャンブルじゃあ断じてない。 そして株式やら年金の積み立てに比べれば、子供の教育なんてのは すげー回収効率の良い投資 に僕には見える。
まあ妻無し子供無し低賃金の負け組が言っても説得力ないかもだが(笑) 上のような悪循環を断ち切るには教育の敷居をさげるしかないわけで、無利子融資大いにけっこうでは。
俺等が中学の頃は(クマさんとかともりんとか俺)、マスゴミでは中高生の非行が叫ばれては いたけど、依然として公立至上主義だったんだよね。某横浜の片田舎の公立小学校の1学年 250名中、私立中学受験した奴なんて俺含め2人しかいなかった。 ウチの親なんか同級生の親にクラス会で囲まれて馬鹿呼ばわり。当然俺はいじめられっ子(苦笑)
当時から思ってたけど、日本には 平等ヒステリー としか思えないような雰囲気が 間違いなくある。互いの足の引っ張りあいが大好きで、個別の能力を伸長させよう、 などという発想はない。今はさしずめ 格差ヒステリー だろうか。
アメリカで経営コンサルなんかして文字通りのヤングリタイヤ(30代後半で3億くらい稼いでリタイヤ)を している人達でも、学生時代はMBA取得するために10万ドル超の学費ローンを自分で(!)組んでいた、 なんて人は多いみたい。元々アメリカは、親が子供の学費を出すという慣習じゃないからね。
中国の内陸部の、電気も通ってない農村でさえ、頭の良い子供に村人全員で金出し合って、 交通大学(上海?)に進学させたって話をこないだTVでやってた。
しかし日本だと....学費を払わない子供を入学式に出席させなかったからと言って学校を非難するんだよな...。 曰く「子供が可哀想」だそうで。参考記事。 一般に、金を払わなくてもサービス受けさせろ!ってのはキチガイ以外の何者でもないわけだが...。
成功体験の有無なんじゃないのか?と最近思うわけ。考えることの楽しさってのも結局は 「うはwwwわかったwwwおれ天才www」って成功体験のひとつですし。
テクニックだけに終止する受験勉強の害が叫ばれて久しいけど、これでさえ少なくとも 「自分で努力して望みの学校に入れた!」んなら、かけがえのない成功体験のひとつじゃないの?
この小さな積み重ねがない人間は社会でがんばれないと思う。 「失敗しても最後にはできればいい!」という思い込みは、ある程度成功した自分を想像できなければならないからね。 多少なりとも未来を想像できなければ、続けられないのが道理です。せっかく会社に入社しても、 失敗の連続で自信をなくしてすぐフリーターに戻っちゃう。でも新人の頃なんてそれこそ失敗ばっかりに 決まってるわけで、無論、それを叱っている周囲の上司も企業も当然わかっててやらせてるわけよ。
本当は、学校は社会という本番でそうなる前に、成功体験を擦り込む場所であるべきで、 それさえ子供に伝えられれば勉強の内容自体は実にどーでもいいと個人的には思っている。 たとえ1日中ドッヂボールでも百マス計算タイムアタックでも可。
しかし、かけっこで記録をとらないらしいから、足が速い子は成功体験が積めない...。 テストでも結果発表しないらしいから、算数が得意でも漢字をたくさん覚えても成功体験が積めない...。 二言目には「差別だ」「子供がかわいそう」。もう終わってるだろ公立教育は。親も教師もだ。 教育現場の平等を掲げるアフォ共が実は社会の格差拡大を助長している という大変笑えない状況にある訳です。
先生も親達も、揃って悪しき平等という発想から脱却しない限り、小手先のカリキュラム改変なんて何の意味もありませんぜ。 長くなったけど、以上のような理由により、ともりん先生の言う公立教育再生は不可能です。 だから、鶴見の小さな塾であっても責任は重大ですぜ。塾は勉強だけを教える場所にあらず。 日本の未来のためにがんばれ先生(笑)
まぁ、確かにぱぱんださんの意見はある意味的を射ている部分もありますね。<br>「成功体験」ってのは何かをやって、その結果を「良きもの、秀でたモノとして誉められる」ことによって得られると思うし、<br>「失敗経験」だってその結果に対して「それもまたいずれは次への糧になると励まされる」ことがあればまた前を向くことが出来る。<br>ただねぇ・・・特に今の若い人達や子供を抱えた親ってそういうことを出来ない状態なんですよね。<br>今の日本って「成功も失敗も出来ない国」であり、また「秀でていても劣っていてもダメな国」なんですよ。<br>成功すれば妬まれる。失敗すれば嗤われる。<br>秀でていれば叩かれる。劣っていれば蔑まれる。<br>「人を前向きにさせる心や思い」っていうのが著しく欠如してるんですよね。<br>人がこういう状態に置かれたら自分を、子供を守るためにどう対応するか。<br>「とにかく固い殻に入れてできるだけそこから出ないようにする(させる)」。これしかもう手がないんですよ。<br>その結果どうなるか。どういうことが起きるか。<br>ぱぱんださんが嘆かれるような事態・状態になるのもむべなるかな、なんですよ。<br>もちろんこれでいい、仕方がないって訳じゃありませんが、とかく「人を前向きにすることのできない」環境下に<br>置かれている現状では、やれることにものすごい限界があるわけです。<br>まず「人には優劣も格差もあることが自然なのだ」という概念をきちんと植え付けて、<br>優れていること・秀でていることに対してはきちんと誉める、<br>劣っていること・遅れていることに対しては励ましてあげる、<br>ということを教育することから始めないと、「成功経験」を得るもも何もないのですよね。<br>まぁ、「羮に懲りて膾を吹く」というか、それまでの成功ばっかりの体験から一気にどん底まで<br>突き落とされた負け犬根性がとうとう国民性としてまでに成長してしまったってとこですかね。<br>もう一遍日本は焼け野原からやり直さないとダメかもしれません。
しかし、社会全体がそういう風潮でも、津々浦々まで<br>侵食されているわけじゃないでしょう。<br>まともな学校、まともなPTA(笑)、まともな教師、<br>まともな企業も当然あるわけでしょう。<br><br>公立義務教育の、本質的かつ決定的な問題点は、<br>産まれ落ちた場所で強制的に学校が決まってしまう、<br>そこにどんないじめっ子が居ようが、基地外親子が<br>入ってこようが、地域から逃げられないという点に<br>あるのです。<br><br>要は逃げればいいのです。できればポジティブに。<br><br>受験のよいところは(塾に行くこともそうですが)、<br>少なくとも親も子供も考えて、自分の進むべき進路を<br>決定するというフェーズがあるということです。<br>その過程で得るものもきっとあると思います。<br>努力を馬鹿にするような人間の集団からは逃げましょう、<br>そのためには勉強することが必要です、とだけは<br>言いたいですね。<br><br>いや子供とかいないからぶっちゃけ関係ないですけどね('A`)
日本は何で食っている国なのか、再認識した方がいいですよね。そう、個々の高い能力であると。<br>責任は重々承知してますよ〜。こんな小さな塾ですが、当代の松下村塾になる意気込みで日々頑張っております。<br>でも、最近では最後の防波堤を守る意識の方が強いかも。。。
日本の社会的な動向で非常に気がかりなのは、教育に限らず、<br>「主張はするけど論理が通ってない」ことがあまりにも<br>多いってことですわ。<br><br>なんせ最高裁の判事までそうだから始末におえない。<br>「海外ファンドに買収されそうだからかわいそう」と言って<br>ブルドックを守ったわけですが、あの小さな食品会社を守る<br>ことで資本主義の論理を根本から否定したことに気づいては<br>いない。<br>これで失われた国益は兆単位なはずなんです・・・<br>対外投資欲を思いっきり冷え込ませたからね。